物語の犠牲

ナナシリア

物語の犠牲

 僕は、死んだ。


 物語のような恋はできなかったし、順風満帆な人生を歩みはできなかったけど、最期の瞬間に僕は満足していた。


 意識を保っていた最後の瞬間まで読んでいたほど物語が好きだったからか、僕は物語に出てくるかのような謎空間に鎮座していた。


 死んだはずなのに生きているというこの状況と反対に、僕の気持ちは落ち着いていた。


「ここは……」


 目の前に少女の顔があった。


 僕と同級生くらいに思えるので、十代中盤から後半だろうか。


「なんなんだろうね」


 僕がよく読む物語のジャンルで、死の直前に恋をするようなジャンルがあった。


 僕は思わず、そのジャンルの作品をいくつか思い浮かべてしまった。


「私、好きな人がいたの」


 目の前の少女が言った。


「私の死が分かってから、好きになっちゃって」

「死ぬってわかってたのに」

「死を受け入れられてたのに、死にたくなくなった」


 僕は何も言えなかった。


「それで死んだらさ、私の生きた世界は現実じゃなかったって」

「現実じゃなかった……?」

「私の生きた世界は、人々を感動させるための娯楽。物語の中の世界だったんだって」

「物語の中の世界」


 少女の言葉を繰り返すことが僕にとって精一杯の言葉だった。


「私が死ぬっていう構想はもう決まってて、最終的に私は死ぬ運命だった」


 それは、少女にとって残酷な事実。


「私は、死ぬために創られた」


 先ほどまで何とか喋れていた口を、僕は噤まざるを得なかった。


「悲しいことだよね」


 彼女は僕に反応を求めた。


「ちょっと待って、そんなことどこで知ったの」


 僕の知っている常識の上では、物語の中の世界と作者の世界が交わることはない。


「死って、何だと思う?」


 僕の質問には答えないのか。そう思ったが傷ついた彼女をこれ以上傷つけたくはなかった。


「……生命の終わり」

「その先に何があると思う?」

「何もないんじゃないか」


 僕はそう答えたが、それならばなぜ今僕がここにいるのか説明がつかない。


「私の場合にそこにあったのは、無じゃなくて無限」


 無、無限。字面では近そうに見えて全く反対の言葉が、僕を突き刺した。


「その、根拠は」

「私、死んだ後になんでもできるようになってた」

「なんでも」

「全知全能、みたいな。さすがにそこまでではないけど」


 目の前のこの小さな少女が全知全能とは、にわかに信じられない話だ。


 しかしこの状況がそもそも不思議にあふれているので、信じるしかない。


「私は、これは私が死ぬために創られたことへのお詫びだと思っておとなしく受け取ってるよ」


 この少女は案外強かなのかもしれない。


「君は私の物語を読む側の人だから気味悪がられるかもしれないと思ったけど、全然だね」

「この状況自体、現実感がないから。どれだけ現実感のないことが起ころうが、あんまり変わらない」


 僕は彼女と喋ることが楽しいと思い始めた。


「君が僕をここに連れてきたの?」

「そうだよ。私の物語を読んでたから、連れてきてみた」


 彼女は寂しかったのだろうか。


「でも、死者を長く縛っても仕方ないよね。じゃあね」


 彼女がそう告げると僕がこの空間にいるという感覚が薄くなってきた。多分、彼女からは僕が透けていくように見えているのだろう。


「さようなら」


 彼女の笑顔が切なげに目に映った。


 彼女が愛する人と再会することは、きっとない。


 彼女の愛する人は物語の中で死ななかったから。


 彼女は一人で死んでいるしかない。

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物語の犠牲 ナナシリア @nanasi20090127

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