第2話 幸せ者のおばあさんが死んだ
家の近所のお婆さんがいよいよ、体調がよろしくないという話を聞いた。
元々体が弱くて、近所の人たちが声をかけたり、手伝いをしたりしていたのだが
どうにもならなさそうと。今は医者の管理のもと、家で横になっているという。
「その近所の方は、ずっと一人で暮らしてるんですか?」
花瓶の水の入れ替えをしている魔女様に私は頭を横に振った。
「いえ、旦那さんがいたんです。旦那さんと二人暮らし」
最近は引きこもりがちだったが、旦那さんとの二人暮らしの時は、よく街に出ていたし
庭先でお茶をしているのを覚えてた。小さな花瓶を白いクロスの張ったテーブルに置いて
二人でお茶してるのだ。その光景を幸せと言わず何と言えばいいのか……と評する人がいて、子供心に
私は素敵な夫婦だなって思った。
そんな話をしていると、隣の家に住むダンドが訪れた。
帽子を深く被って神妙な顔をしたダンドは、出迎えた私にこう言った。
「リーン、魔女様に頼んで、お婆さんが天国に行けるよう、祝福を与えてくれないだろうか」
魔女に看取ってもらった者は、神に祝福され、天国に行けると言う謂れがあった。
実際は本当に天国に行けるかは分からないが、それでも祝福を与えられた者はとても穏やかな顔でいけるらしい。
「わかりました……魔女様に相談します、私も手伝いますので」
ダンドは私の言葉にホッとしたような顔をした。
力が抜けたらしい、随分緊張していたようだ。
魔女様は気さくな方の性格であるが、特別な力を持っている。
畏敬の念から、ダンドのような態度をとる人は珍しくなかった。
パン一つでも美味しいと喜んで、私に美味しいからと分け与えたり
花の水の入れ替えこまめにやって少しでも活かそうと頑張ったり
私だけが知っている顔を思い出して、少し優越を覚えた。
魔女見習いしてよかったなと思うけど、それをおくびにも出さず、私はダンドを見送った。
「そうですか、祝福ですか」
魔女は私の話に静かに頷いた。
白磁機のような綺麗な肌と、光を秘めた瞳は美しく、それだけで絵になるような姿だった。
「魔女としての役割です、命の灯火が消えていこうとしているなら、尚のこと動きますが、私はその方のことをろくに知らないんですよね」
魔女は私に対して小首を傾げた。
可愛らしさを秘めた仕草に、私は目を丸くした。
「リーナは知っていますか? この方のこと」
私は困ってしまった。
確かに近所付き合いをしていたし、関わることも多かったが、旦那さんが亡くなった後のお婆さんの様子はあまり知らないのだ。家に引きこもりがちで、静かに静かに暮らしていた。
私は一通りの近所の人と共通のお婆さんに対する認識を話し、魔女に他にありませんかと言われ、唸りに唸って、ふと思い出したことを話した。
その日は雨が降っていた。
しとしとと、静かで冷たい雨だった。晩秋の頃だったと思う。
落ち葉が石畳に落ち、雨に打たれて、力なく横たわっていた。
もう冬の足音が確実に聞こえてくるような気がした。
私は小瓶の葡萄酒とお菓子を買って、家に帰ろうとしていた。
あまりに寒いので、葡萄酒にスパイスを入れて温めてお菓子でも食べようと言う話になったのだ。
私の家族は病弱な母一人で、私が代わりに、寒雨の町へと出かけた。
その帰宅中、珍しくお婆さんが一人でいるのを目撃した。
その頃、お婆さんの旦那さんが体調を崩していた。
お婆さんは自身も体が弱いのに、出かけているようだった。
手元のカゴから覗く袋には、薬局の印がついている。
旦那さんであるお爺さんのために、薬を取りに行ったのは明白だった。
私は地面を蹴り、お婆さんのもとへと駆け寄った。
お婆さんが表情を曇らせ、路上で立ち尽くしてるように見えたのだ。
お婆さんは、駆け寄った私に驚いた様子だが、私の顔を認めると
「リーナちゃん、どうしたの、買い物?」
と、寒さに堪えきれてない声で言った。
「ええ、そうですけど……そんなことより大丈夫ですか、一人でここまで出てくるなんて
大変だったでしょうに……」
お婆さんはその言葉に深く頷いた。
「ええ、あの人にいつもついていって、助けてももらってましたからね……こんなに大変だったとは。でもあの人にお薬を届けれるなら、私、頑張らなきゃって思ってね」
「私でも誰でもお手伝いしましたよ、なぜ言ってくれなかったんですか?」
私はお婆さんの荷物を持つという意思を示した。
しかしお婆さんはゆるゆると頭を横に振った。
いいのよ、お嬢さんと言わんばかりに。
「私、ずっと誰かに助けて生きてきた、お爺さんが倒れて、図らずも自分で頑張らなきゃいけないことが増えたけど、それはそれで、どこかね、嬉しいの……私でもやれる事があったんだって。お爺さんに薬を届けるってことだけでも、私が動かなきゃいけない……きっとこれは今だけなのかもしれない、だからこそ、味わいたい」
私は絶句した。
お婆さんに対してずっとこんなイメージを持っていた。
優しい旦那さんと添い遂げ、死ぬまでずっと幸せに暮らしました。
童話のハッピーエンドのような幸せを持った人だと。
それは確かに事実かもしれない。でもあくまで事実の一つで、お婆さんの中に秘めたる葛藤があって、
それが垣間見えた気がした。
実際それから間も無くして、お爺さんは亡くなった。
旦那さんを失ったお婆さんは、街の支援を受けながらひっそりと暮らしていた。
生活する上では何も困らない。だけど旦那さんが亡くなった後、どんな思いを抱えて生きていたのか。
それは誰も知らない気がした。
お婆さんは語ることはなかったからだ。
魔女は私の話を聞くと立ち上がった。
なるほど、と言いながら。
「出かけましょうか、リーナ」
魔女はお気に入りの帽子を深めに被った。
「祝福を授けに」
トコトコと砂利道を歩く。
お婆さんちへと向かうために。
魔女は途中の花屋で百合の花を買った。
水気も撥ねさせ、芳しい清冽な香りが放ってた。
「綺麗ですね、瑞々しい」
「ええ、手向けの花にはいいと思いましてね」
お婆さんの寿命はどう足掻いても潰える。
決定事項として終わりがくる。
ならば、その終わりは美しい花でも添えようという気遣いのようだ。
「リーナ、お婆さんは今際のこの時をどう過ごしていると思いますか?」
私は頭を傾げた。
突然の質問に私はどう言うことなのか皆目見当もつかなかったが
それでも唸りながらも答えた。
「お爺さんにやっと会える……とかでしょうか。あれだけ仲のよい夫婦はいませんでしたし」
「そうですね、そうだと思います。でも少し足りない」
「足りない?」
魔女は目を伏せた。少し眉を寄せる。
まるで何かに耳をそば立てるように、集中した表情で。
「私は今、意識のほとんど失いかけてる、お婆さんの声を聞いています」
「え!」
私は驚き、口元に手をやった。
もう、意思疎通のとれないお婆さんは最後何を思っているのだろう。
私は食い入るように魔女を見た。
魔女は寂しげに言った。
「やっと終われる……だそうです。彼女は生きることに、疲れはてていたのでしょう、大事な人もいない、弱い自分で何かに助けられたまま、言葉に尽くせない葛藤があったようです」
私は目を丸くした。
それはあまりに寂しい言葉だった。
確かに私たちは、晩年のお婆さんに寄り添えなかったのは認めるが
聞き耳を持ってない訳でなかった。
「どうして、お婆さんは何も言ってくれなかったんです、どうして……!」
私はお婆さんの家の前で、魔女に食い下がった。
魔女は私の顔を見ず、足をすすめながらこう言った。
「幸せ者が不幸な顔をしたら、みんなに心配かけるのが目に見えてた」
彼女は優しい世界で、独りだったんでしょうね。
魔女はポツリと言った。
魔女は借りてきた鍵を使いドアを開ける。
「さ、いきましょ、リーナ。お婆さんを解放しましょう」
魔女はおいでと私に呼びかける。
しかし私は動けず、立ち尽くした。
魔女見習いの寂寞(フリー・朗読OK小説) つづり @hujiiroame
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