short story: 嫌われる理由
士官学校の生徒たち
カドカク士官学校は、アンゲルの首都ランデルにある。全寮制のこの学校には、10歳にも満たない少年から、彼らよりずっと年上の青年まで、多くの学生たちが学んでいる。
士官学校では、軍務の他に、語学や数学などの学科も授けられた。また、兵士としての心構えはもちろん、未来の高級将校にふさわしい清廉な人間に育て上げるべく、道徳教育にも力を注いでいる。
校舎一階の初等科の教室では、今しも、ノックス教授による道徳の授業が行われていた。
「国王陛下に仕える諸君は、決して人の嫌がることをしてはいけません。人というのは、父上・母上、親戚の人、近所の人、使用人たち、そして、学友……、」
「センセー!」
挙手があった。
「なんだね、オスカー君」
「シノンは僕が嫌がることばかりします。教科書を隠したり、すげー走り込んできて頭をぶん殴って逃げたり、僕が歌っていると音痴とバカにしたり、突然、ズボンを脱がしたり」
途中まで微笑みながら聞いていたノックス教授は、最後の一言を聞いて、顔色を変えた。
物を隠したり、意味もなく殴ったり、大声を出したり、それは、この年頃の少年にはよくあることだ。しかし、ズボンを脱がす?
このクラスは、概ね、10歳未満の少年たちのクラスだ。しかし中には、遅れて入学してきたため、10代半ばの少年たちもちらほら混じっている。シノンはその中の一人だ。この年代は、第二次性徴の現れる頃だが、あいにくと、学校に女子はいない。彼らの標的が同性に向かうのは、ある程度は仕方のないことだった。だが、相手が年端もいかない少年とあっては、そうも言ってはいられない。
これはちょうどいい機会かもしれない、と、ノックス教授は考えた。年長の少年を牽制し、年少の子どもたちに自衛の意識を持たせることが急務だと、常々感じていたのだ。
「それは親しさの表れでしょう。違いますか、シノン君」
シノンと呼ばれた14歳の少年は、真っ赤になって頷いた。親しみの表明以外の理由を口にするわけにはいかないのだろう、と教授は思った。
「ですが、相手のズボンを脱がすのはいけません。冷たい風が吹いて来たら、オスカー君はお腹を壊してしまいます。いいですか、皆さん」
教授は正面に向き直った。教壇の上から、一人一人の顔を見回していく。
「人が嫌がることや、人を傷つけることは、決してしてはいけないのです。友人にお腹を壊させてはいけません」
「はい!」
元気よく手が上がった。
「質問を許可します。アレックス君」
「オスカーが嫌がらなければ、シノンはオスカーのズボンを脱がしてもいいんですか?」
核心を突いた質問であった。質問をしたアレックスは、オスカーの友人だ。というか、悪友である。もう一人の生徒を加えて、悪ガキトリオを形成している。
この三人は、常に教師たちの頭痛の種だった。今も、ノックス教授は、前準備もなしに、同性同士の行為という難問を突き付けられ、途方に暮れた。
好き合ってたらヤってもいいのか。相手が18歳未満の少年同士であっても?
もちろんダメに決まってる。だがこれは、つい最近の価値観だ。そこのところをどう説明したらいいか……。
いきなりこんな話になるなんて、父兄が知ったらどう思うだろう。というか、この悪ガキどもに理解は可能なのか。
「いいですか、諸君。たとえそれが親愛の情であっても、友人に接触する際には必ず、相手の許可を取らなければなりません。間違っても相手の服が傷んだり、ボタンが飛んだりするような接触をしてはなりません」
「シノンがシャツをつかんだ時、ボタンが千切れました!」
「僕も見た!」
オスカーが黄色い声で叫び、同じくらい甲高い声でアレックスが同意する。
「それはダメですね。人前で行為に及ぶなどもっての外、また、必ず事前合意が必要で、事後合意ではいけません。コンプラ重視は至上命令です」
日々口を酸っぱくして説明しているせいか、コンプライアンスに対する質問は生徒の中から出なかった。
ノックス教授は深い満足を覚えた。
「それから、薬や医薬部外品を購入する際は、相手の体質を考慮する必要があります。お薬手帳を持参の上、できたら軍医に相談してから、
「軍医殿はお忙しいと思います……」
小さな声はシノンだった。確かに、ユートパクスとの間が険悪な今、軍医は多忙を極めている。
シノンの消え入るような声は、己のしたことを恥じているように見えた。
もう一押しだ。
「いずれにしろ、カドカク士官学校では18歳以下の行為は禁じられています」
「先生!」
絶望的な声が迸った。さすがにノックス教授は、シノンが哀れになった。繰り返すようだが、これは新しい価値観である。
「しかしそれではBになりません。これは、学術的に由々しき問題です。言葉の伝統は厳粛に守られねばなりません。私はこの問題を、アンゲル言語学会に提出する用意があります」
こぶしを握り、虚空に目を据え、教授は言い放った。
しかし、彼の熱意は肝心の生徒たちには伝わらなかった。少年たちは授業に飽きてしまって、ペン先を飛ばしたり、教科書で殴り合ったりしている。
大変な無法状態だったが、ノックス教授としては、無知な年少者に手を出さぬよう、ここでしっかり釘を刺しておく必要があった。
「しかし、L はどうですか? シノン君。君のように知的で学識高い学生が、オスカーのような悪ガ……失礼、生徒を相手にするとは、思えんのですよ」
「……だってオスカーがあっちこっちですぐに服を脱ぐから」
「煽った側が悪いという理屈は通用しません。何度も言いますが、コンプライアンス重視です」
「……はい」
シノンは深く反省しているようだった。
「こらっ! 静かにしなさい!」
教師がシノンにかまけているのをいいことに傍若無人に振る舞う年少の生徒達に向けて、ノックス教授は大声を上げた。
「ジョシュア、席について! 教室を逆立ちで歩き回ったらいけないと、何度言ったらわかるんだ!」
教授はジョシュアに駆け寄り、へそからバラ色の二つのぽっちの辺りまでめくれたシャツを引き上げた。
もちろん、生徒の肌に触れないように厳重な注意をして、だ。
コンプライアンスは大切である。どのような話が父兄の耳に入るかわからない。
すっかり荒れ果てた教室を、なんとかノックス教授は正常に戻した。年少の生徒たちを見回す。
「君達も、人前で無防備に服を脱いだりしてはいけませんよ。お腹を壊しますし、第一それは、紳士のすることではありません」
「はーーーーい」
お行儀のいい返事が返ってきた。
◇
「28点。追試」
地理のロアン教授は、×でいっぱいの答案用紙を、初等科のジョシュアに返した。
「追試は1週間後だ。今日から毎日、残り勉強すること」
「ええーーーーーーっ」
不満の声が上が一斉に上がった。対象者は、ジョシュアの外に3人いた。
「地図の勉強なんてしたって、役に立たないよ!」
「そうだそうだ。火山が噴火すれば、地形なんて、簡単に変わるんだぞ!」
「ユートパクスなんか、革命が起きただけで、町の名前が変わったじゃないか」
「僕は海軍将校になるんだ。地図じゃなくて海図の勉強をしたい」
「黙りなさい!」
ロアン教授は一喝した。
「地形が変わるなんて、そうそう滅多にあることじゃない。町の名前が変わるのだって、何十年、何百年に一度だ。それからジョシュア、地図も読めずに海図の勉強ができるものか!」
「ちぇっ」
「こら! 教師になんたる言い草だ。ジョシュア、君は、休日もなし! 今度の日曜日は寮に籠って、しっかり勉学に励め!」
*
日曜日の朝。
礼拝堂の美人ピアニストに会うのを楽しみに自室を出たロアン教授は、妙に頭がすうすうするのを感じた。
「あっ!」
よく見ると、天井から糸が垂れ下がっている。彼の鬘は、その先端に付けられた釣り針に引っかかっていた。
歓声が聞こえた。
天井のシャンデリアを支点に、糸は、廊下の隅まで引かれていた。飾られた甲冑の陰から、彼の生徒が3人、走り去っていく。先頭で鬘を持って走っていくのは、ジョシュアだった。後ろから、アレックスとオスカーがついていく。
ジョシュア、アレックス、オスカー。
先生方の頭痛の種、悪ガキ
*
「あはは、見たか。あの時のロアン先生の顔!」
「まるでカメかカエルみたいだったな!」
「胸に赤いチーフなんか差しちゃって、すげーおめかししてたよな」
「きっと、例の美人ピアニストに会いにいこうとしてたんだぜ」
アレックスとオスカーが腹を抱えて笑っている。
ふと、傍らの彼らの友人、ジョシュアがおとなしいのに気づいた。
「どうしたんだよ、ジョシュア。すげー獲物が手に入ったじゃないか」
「これか?」
つまらなそうにジョシュアは、ロアンの大事な鬘をぽんと放り上げた。落ちてきたそれを両手で受け止める。
「俺はそれどころじゃないんだよ……」
「叔父さんのことか?」
鋭くもアレックスが察した。にわかにまじめな顔になり、オスカーも頷いている。
ジョシュアの叔父、ラルフ・リールは、今、ユートパクスに捕らわれの身だ。恐ろしいシテ塔に監禁され、一向に解放される気配がない。
「なんで
ぼそりとジョシュアがつぶやく。
将校クラスになれば、たとえ敵国に捕まっても、捕虜交換で返還されるのが通例だった。叔父のラルフは海軍将校だから、アンゲル軍が捕まえているユートパクス軍将校の誰かと交換に釈放される筈なのに。
アレックスとオスカーは顔を見合わせた。
「ジョシュア、お前、知らねーの?」
おずおずとオスカーが尋ねる。
「何を?」
「海軍のアップトック提督が捕虜交換に反対してるって噂だぜ?」
「あ、それ、俺も聞いた。学校の先生から」
アレックスも口を出す。
アップトック提督は、海軍の実力者だ。先の海戦で実績を上げ、常にユートパクス海軍の優位に立っている。彼の言うことは、閣僚の間でも絶対だ。
「アップトック提督が捕虜交換に反対してるって? 俺の叔父さんの? なぜ!」
「さあ。お前の叔父さんのことが嫌いなんじゃねえの?」
「そんな……」
ジョシュアの顔が、みるみる青ざめた。
オスカーとアレックスは顔を見合わせた。
「なんでアップトック提督は、ジョシュアの叔父さんのことが嫌いなんだろうな」
「とてもいい人なのにね」
「うちの母さんは、悪く言ってたけど」
「俺の父さんもだ」
「叔父さんは立派な海軍将校だ!」
憤然とジョシュアは言い放ち、急に力をなくした声で続けた。
「僕の母さんも、
「アップトック提督は今、ランデルにいるぜ? 休暇でメドレオン海から帰ってきてるんだ」
不意にオスカーが思いついた。アレックスも付け加える。
「ハーマー夫人の家に入り浸ってるって、学長が言ってた! 奥さんを放り出して、アイジンの家に入り浸るとはどうしたことか、って。なあ、アイジンって何?」
「ハーマー夫人の家なら知ってる!」
跳ねるように、ジョシュアが立ち上がった。ロアン教授の鬘を投げ捨て、そのまま走り出す。
「おい、ジョシュア! どこ行くんだ?」
「決まってる! ハーマー夫人の家だよ!」
「ま、待て。ジョシュア、お前、
「知ったことか!」
ジョシュアは走る勢いを緩めない。再び、オスカーとアレックスは顔を見合わせた。
「俺も行く!」
「俺もだ!」
二人同時に叫ぶ。
学寮の外へ向けて、三人の少年たちは走り出していった。
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※ここから二話に亙り、Ⅱ章「敵機襲来」で出てきた3人の
https://kakuyomu.jp/works/16817330665612772654/episodes/16817330667385751185
ラルフが、ユートパクス軍に捕まり、シテ塔で監禁されていた(Ⅱ章「脱獄」)頃のお話です。
https://kakuyomu.jp/works/16817330665612772654/episodes/16817330666829496432)
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