脱獄

※ラルフとエドガルドの再会の物語が、数話に亘って続きます。

 途中、……。で挟まれた部分は、現在のジウ(エドガルド)とラルフの会話です。

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 アンゲルの海軍将校ラルフ・リールは、王党派の支援を始めた。

 ユートパクスの海岸線をあちこち巡り、敵の戦艦に焼き打ちを掛けた。また、王党派の亡命に手を貸し、多くの貴族をアンゲル初め国外へ逃がした。


 それはもちろん、海賊上がりのラルフ・リールが、義を重んじる将校だったからだ。だが、他にも理由があった。というか、こちらの方が大きかった。


 エドガルド・フェリシン。

 シュール港で出会った、プラチナ色の瞳のあの男に、もう一度、会いたかったのだ。


 彼は、再入国した亡命貴族だ。そうそう簡単に、国外へ出られるわけがない。ユートパクスのどこかに潜んでいることは確実だ。


 目立とう、とラルフは思った。そうすれば、彼の方から連絡を入れてくるかもしれない。


 ラルフの活動は派手だった。戦艦焼き打ちや、彼が手を貸した王党派の脱出を、あちこちの国の新聞が競って報じ立てた。彼は、ちょっとした有名人になった。


 そんなある日、王党派貴族を逃がそうとしていたラルフは、ちょっとした立ち回りを演じた後(それは、ブドウ弾の炸裂する華々しい活劇だった)、とうとう、捕えられてしまった。


 海軍将校である彼は、当然、祖国が捕虜交換に応じてくれると思った。自分が処刑されるなどありえないと、たかをくくっていた。


 しかし祖国アンゲルは、捕虜交換に応じなかった。その時ラルフが従事していた王党派の救助は、正規の任務ではなかったからだ。彼は、アンゲルの海軍将校ではなく、海賊として、首都のシテ塔へ収監された。

 シテ塔は、「処刑の控室」と呼ばれ、重罪犯が収容される監獄だ。ユートパクスの先王夫妻が斬首されるまでの間、監禁生活を送ったことでも有名だ。


 そうこうしているうちに、日の出の勢いのオーディン・マークスが、戦争を勝利に導いた。彼は祖国へ凱旋し、ユートパクスの民衆は熱狂の裡に、彼を出迎えた。

 民の人気を独り占めしたオーディン・マークスは、革命政府に対し、強い影響力を持つようになった。


 なんとも間の悪いことに、オーディンは、シュール湾包囲戦の時の、砲兵隊長だった。かろうじて勝利はしたが、アンゲル海軍のラルフ・リールには、さんざんに苦しめられた。ラルフ一味に多くの艦隊や兵站(前線基地)を焼かれ、船だけではなく武器弾薬を始め、必要物資を失った。

 シュール包囲戦は、オーディン・マークスの、砲兵隊長としての初めての戦いだった。その輝かしい勝利につけられた、汚点。オーディンの、ラルフ・リールへの恨みは深かった。


 やがてシテ塔に収監中のラルフの元へ、暗殺者が向けられたとの情報が入った。

 知らせてくれたのは、塔の向かいに住む3人の娘たちだ。


 牢獄暮らしのつれづれに、ラルフは彼女たちに信号を教え込んだ。女の子たちが窓辺へ出す文字板に、ラルフが手を振って答えるという方法だ。

 3人の娘の一人が、政府の議員と恋仲だった。彼女はラルフ暗殺計画を知った。すぐさま、娘たちは、ラルフに危険を知らせた。


 ……今、政府を牛耳っているのは、オーディン・マークスだもんなあ。


 もはや悠長に構えてはいられなかった。このままでは、ある日食事に毒を入れられ、暗殺されてしまうかもしれない。その場合、ラルフの死は、単なる病死として片づけられるはずだ。

 だが、相変わらず祖国は、救いの手を差し伸べようとしない。ラルフの友人たちが働きかけてはいるのだが、外交的に何の動きもなかった。


 翌日、父に頼まれたと言って、刑務官の娘が訪れた。どうでもいい書類を渡すだけの些末な用だった。


 ……「私の恋人モン・シェリに頼まれたの」

 去り際、彼女は囁いて、ラルフの手に、紙片を握らせていった。周囲に人がいないのを確認して広げてみると、ユートパクス王党派の指導者からの手紙だった。手紙は、近く彼を脱獄させる用意があると告げていた。


 すぐにラルフは、監獄を変えると告げられた。首都にあるここを出て、郊外の監獄に身柄を移されるという。


 「ああ、どうしましょう。ここから出て行った人の消息は、例外なく、絶たれているのです」


 移送の当日。

 ラルフの回りをぐるぐると回りながら、看守の妻が嘆いた。彼女は、今にも泣き出しそうな顔をしている。

 看守夫妻は、善良な人たちだった。ラルフに敬意を抱き、少しでもその待遇をよくしようと心を砕いてくれた。シテ塔に反乱軍が侵入してきた時は、看守自ら地下にラルフを匿い、数日間を共に過ごしたこともあった。


「私は大丈夫」


 にっこりとラルフは笑った。数日前に刑務官の娘が持ってきた手紙が正しいのなら、迎えに来るのは味方のはずだ。ラルフは監獄を移るのではない。脱獄するのだ。


「そんなことを言って、もし、貴方に何かあったら……」


 年若い看守の妻は、もはや半泣きだ。

 自分を心配してくれる看守夫妻を前に、ラルフは心が痛んだ。とはいえ、これが脱獄だと教えることは、彼らの立場を危うくするだけだ。心配し続けてもらうしかない。


「出発のお時間です、ラルフ・リール将軍」

 監獄の中に、迎えの将校が入ってきた。


 息が詰まるかと思った。

 アッシュブロンドの髪。高く通った鼻に、プラチナ色をした冷たい瞳。

 エドガルド・フェリシン。

 彼だ。


 シュールでの別れ以来、一度として忘れたことはなかった。ラルフが今、シテ塔に閉じ込められているのだって、煎じ詰めれば、エドガルドに会いたい一心が裏目に出たと言えよう。

 思いもかけない再会に、ラルフの胸は高鳴った。


 「ああ、ムッシュ・リール。もう二度とあなたに会えないのかしら」

 看守の妻の涙声で、はっと我に返った。


 ……「大丈夫。この人は王党派だから。どうか脱獄の無事を祈っていて下さい」


 もちろん、そんなことが言えるわけがない。代わりに彼は、背中に回した手で、OKのサインを送った。自分は大丈夫。心配しないで。


 エドガルドは無表情を貫いていた。縄で手を縛られたラルフを連れ、馬車に乗った。




 ……。


「そうか。オーディン・マークスは、ラルフ、君を殺そうとしたのか」


「間違いなく」


「オーディンは執念深い男だ。気をつけろよ」


「大丈夫。俺には人徳ってやつがあるから。だから、可愛いお嬢さん方に救われたんだ」


「それだよ! 全く、君ってやつは! 監獄の隣に住む女の子達と仲良くなるなんて!」


「彼女らとは、信号を送り合っていただけだよ。最初に、笑いながら手を振ってきたのは向こうだぜ? 君こそ何だよ。刑務官殿の娘を垂らし込んだりして。恋人モン・シェリって何だよ、モン・シェリって!」


「手紙を届けてもらう必要があったんだ。計画を知っていた方が、君だって安心できたろ? 捨て身で抵抗されたら困るからな」


「かわいそうに、彼女は本気だったぞ? 本気で君に恋をしていた」


「他に方法がなかったんだ。地下道を掘ったのだが、シテ塔は古い要塞でもあるから、中世のレンガに阻まれてしまって。ラルフこそ、看守の奥さんに色目を使いやがって」


「馬鹿を言うな。彼女は夫と一緒だったじゃないか」


 ……。




 「久しぶりだな、ラルフ・リール」


馬車の中で、二人きりになると、エドガルドは言った。2年間の時の流れを消し去るような、さりげなさだった。


「確かに君か、エドガルド!」

「間違いなく俺だよ」

 エドガルドは微笑んだ。

「シュール湾では世話になった」

「今度は君が俺を助けに来てくれたんだな?」

「デギャン元帥からの命令だ」


 ラルフが問うと、そっぽを向いてエドガルドは答えた。すぐにラルフは見抜いた。


「それは嘘だな」

「嘘なものか! 俺はデギャン元帥の下にいる!」


 エドガルドが喚いた。ムキになっている。どうやら、照れているらしいと、ラルフは思った。

 嬉しかった。

 

「だが、元帥は未だ亡命中だ。アンゲルの海軍将校おれがシテ塔に監禁されているなんて、そんなこと、知るものか」

「……金は、元帥が出した」

「なんだって?」

「君の牢を移すという命令書だ。精巧な偽造で、3万リブレもした。その金は、デギャン元帥が出した」

「3万リブレ!」


 大金だ。エドガルドは肩を竦めた。


「王党派の活動資金だ。俺に委ねられた予算だから、どう使おうと、構わないのだ」

「その金を、俺の為に?」

ラルフの胸はいっぱいになった。


「無礼者!」


 手の甲を、剣の柄で思い切り叩かれた。思わず彼を抱きしめていたのだ。ほっそりと見えるが、意外と抱き応えがあった。鍛えられている体だ。

 ただ、抱き締めると、細かく震えていた。彼が異様な緊張下にあったことを、ラルフは悟った。


「俺が失敗して、君が殺されるようなことになったらどうしようと思ったんだ。自分がやられるのは構わない。だが君は、外国人だ。君にだけは、どうしても逃げてほしかった」

 俯き、言い訳のようにぼそぼそと、エドガルドは語った。


「エドガルド……」


「おい、スピードを上げろ」

真っ赤になった顔を隠すように馬車から首を出し、エドガルドが叫ぶ。

「へい!」

馬丁は張り切り、馬車は猛スピードで街を駆け抜けた。


「飛ばし過ぎじゃないか?」

ラルフは心配になった。

「急ぐんだ」

そっけなくエドガルドが答える。


 ラルフの不安は的中した。角を曲がろうとしたとき、馬車の一部が、果物屋の台に触れた。


「あっ! イチゴが!!」

叫び声が聞こえる。馬車の窓から、ころころと赤い粒が転がっていくのが見えた。


「ひでぇ。商品が台なしだ!」

「弁償させろ!」

「逃げてくぞ。警察を呼べ!」

野次馬達が集まってくる。


 「ちっ」

エドガルドが小さく舌打ちをした。

「飛び降りるぞ」

「え?」

「いくぞ!」


 次の瞬間、二人は馬車の右と左へ飛び降りた。


「おおい、お客さん! 運賃! 運賃を払ってくれ!」

置いてけぼりを喰らった馬丁が喚く。

「ほら!」

エドガルドがコインを放った。うまく馬丁がキャッチする。


「こっちだ」


 ラルフの手首が掴まれた。そのまま全速力で走りだす。

 手首を握る温かい手の感触に、ラルフの胸がときめいた。この時間が永遠に続けばいいと思った。




 ……。


「君は、全然走り出そうとしなくて。長い監禁生活で走り方を忘れちまったのではないかと本気で心配したぞ」


「いやいや、体は鍛えていたさ。君に手を握られて、あまりの幸せに、時よ止まれ、って念じていたんだ」


「良く言う。牢の中で女の子に貰った恋文を持ち出したくせに」


「まあいいじゃないか。長い監禁生活の記念だよ。夢見る乙女だった彼女は、今や某伯爵夫人だぜ……」


 ……。




 エドガルドは周到にも、別の馬車を用意していた。それに乗り換え、西の海岸へ向かう。


 海岸には、筏が待機していた。イカ釣り用の舟だ。二人を乗せた筏はユートパクスの海岸を離れ、すぐに航行中のアンゲル艦に発見された。



 アンゲル艦に救助されたラルフとエドガルドは、ラルフの祖国へ上陸した。

 馬を調達し、首都ランデンへ向かった。











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