真実を告げる時
ユートパクスの船は砲撃してこなかった。オーディンのソンブル大陸脱出は極秘だから、目立ちたくなかったのだろう。
敵艦から離れ、ラルフの「リオン」号はゆっくりと沖へ出て行った。
ルグランと俺は、リオン号の船長室に招かれた。船長……つまり司令官のラルフのことだ。
そこには華美ではないが、そこそこの調度が設えられていた。バネのきいた長椅子が置かれ、床には、タルキアの絨毯が敷かれている。
グラスにブランデーを注ぎ、ラルフが勧めた。首を横に振って、俺は断った。
「そうか。未成年だったな」
なぜか残念そうにつぶやき、傍らのルグランに渡す。受け取って、ルグランは一気に飲み干した。
「マワジの港でずっと待っていたんだ。そろそろ来るはずだと親分が言うから」
あの日も、ルグランは、暗くなるまでマワジ港にいた。そして、縄でぐるぐる巻きにされた水色の髪の少年が、平船に積み込まれるのを見た。水色の髪は、ラルフが言っていた目印だ。すかさず彼は馬に乗り、河に沿って平船を追った。
一方、ラルフのリオン号は、すでにマワジを抜け出しイスケンデル沖に停泊していた。俺がユートパクス戦艦に連れ込まれるのを見届け、ルグランは沖へ向けて狼煙を上げた。
「そういうわけで、細かいことは伝わらなかったんだ。だが、いつだって俺の仕事は完璧だからね」
「その通りだ、ルグラン。アップトック提督が了承してさえくれれば、君を少佐に昇進させたいくらいだ」
「なら、無理だべ。リール代将の推薦じゃ」
あっさりとルグランは言ってのけた。前にも言っていたが、どうやらラルフは、アップトックという上官と、相当折り合いが悪いようだ。
「それで、君は殺してきたのかね。君の愛しの
目に揶揄するような光を浮かべ、ラルフが問うた。
「……」
上ザイードでも、ラルフはしきりと、俺とシャルワーヌの仲を勘ぐっていた。俺は彼の命を奪おうとしていたというのに。
だが、シャルワーヌを殺せなかったのは事実だ。恐らく俺の体に残存した、ジウ王子の意識が邪魔をするのだ。あの世間知らずな王子は、
「剣舞を舞った時みたいに、また、シャルワーヌ・ユベール将軍に刃物を突き付けたりしたのか?」
ラルフが悪趣味な笑みを浮かべている。
そういえば、あれから一度も、彼を殺そうとしないまま、上ザイードを出てきてしまったことに思い至った。
「彼を殺すことをすっかり諦めてしまったとでも?」
面白そうに俺の顔を見守っていたラルフが問う。
「試してみたとしても、失敗したと思う」
苦し紛れに俺は、ムメール族のイサク・ベルから貰った剣の話をした。触れただけで相手を殺せる、毒を塗った短剣の話を。
「その剣でオーディン・マークスを殺そうとしたら、」
言いかけると、ラルフは目を丸くした。
「何だって!?」
「マワジの港で、オーディン・マークスを見かけたんだ。だから、剣で切りつけた」
「それでユートパクスの連中に取っ捕まったってわけか!」
ルグランが叫ぶ。
剣がすり替えられていたと俺は語った。手をかすったけど、オーディンは死ななかった、と。
「全く、なんて無謀な真似を」
深いため息をラルフが吐いた。
「とてもじゃないけど、王子のすることじゃないな」
「そういえば、あんた、俺の名前を知っていたね」
思い出したようにルグランが言う。
「俺に王族の知り合いはいねえぜ」
ルグランの傍らでラルフが大きく頷いた。
「そのことだ。君は自分を王党派だと名乗った。エドガルド・フェリシンの知り合いだ、とも。俄かには信じ難いことだ。だから俺は君を試した。イスケンデルまで来ることができたなら、少なくとも本気で来る気があったのなら、俺は君を信じよう、と。結果、君はほぼ独力でここまで来た。よろしい。君は俺の試験に合格した。これから君が言うことがどんなに突拍子もないことであろうと、俺は君を信じる」
青い目がじっと俺を見つめている。
信じる、ラルフは言った。
信じる、と。
「ごめんね、ルグラン。しばらくラルフと二人きりにしてくれないか」
俺が言うと、ルグランは驚いたように目を瞠り、次に肩を竦めた。
「まあ、もう酒は飲んじまったからね」
ぼそりとつぶやくと、彼はキャビンから出て行った。
しばらく無言が続いた。
ラルフは立ち上がり、再びグラスに琥珀色の液体を満たして戻ってきた。
「常々俺は言っているんだ。俺が海で死んだら、ブランデーの樽に詰めて海の底へ沈めてくれ、って」
密やかに微笑んだ。
「ワインじゃダメだ。蒸留酒が好みだから。そういうわけでこの船には、極上のブランデーを積んでいる」
俺の緊張を解そうとしてくれているのだとわかった。
いつまでもラルフの好意に甘えるわけにはいかない。真実を告げる時だと悟った。
「ラルフ。驚かないで聞いて欲しい。僕は、ウテナのジウ王子じゃない。体はそうだけど。転生したんだ。いや、この場合は転移かな」
大きく息を吸った。
「僕は、エドガルド・フェリシンだ」
「……」
無言でラルフはグラスに口をつけた。半分ほどをひと息に空ける。
「わかってた」
グラスを傍らに置いた。
「……そう言うことができたら、どんなに幸せか。君は彼に似ている。考え方や、気持ちの癖のようなものが。それに、俺たちの出会いの時の言葉も知っていた。あの時の彼の言葉は、ルグランにさえ聞こえなかったはずだ。聞こえたのは、俺だけだった」
……「君らも公開処刑を見に行くのか」
「小さな声で耳元で囁いたからね」
俺は応じた。ラルフが頷く。
「俺は、誰にも言わなかった。エドガルドも人に言うはずがない」
「なぜそうわかる?」
俺としては、単純にそう思ってくれるだけでいいのだけれど。ラルフと出会った時のことを誰にも言わなかったのは事実だし。ただ、決めつけるような口調が気になった。
「俺と同じ理由さ。記念すべき二人の出会いだ。軽々しく他人に打ち明けるなんてことを、エドガルドがするわけがない」
俺は呆れた。
「君は、全然変わってないな。苦労知らずで、心労というものを知らない。いや、苦労してないわけじゃない。それは俺だって知ってる。君には、苦痛を苦しいと感じる能力が欠如しているんだ。いつものほほんとしていて、自分のいいように考える。だから君はいつだって幸せだ」
それが彼の魅力でもあるのだが。
「いいか。
「エドガルド?」
ラルフが喘いだ。
「いや、俺の願望だ。だがその口調は確かに彼のものだ。俺を罵倒する、その言い方は!」
はっとした。
「罵倒? すまない。罵倒なんて、そんなつもりは……」
「そうじゃない」
ラルフは激しく首を横に振った。
「今ここにエドガルドがいるのなら、俺は、全てを捨て去ったっていい」
その目は潤んでいた。
「だが、俺は、アンゲル海軍に所属している。同盟国タルキアの宰相は、俺を信じ、頼りにしている。王党派の友人達もだ。俺には責任がある。なあ、君、ジウ王子……いや、エドガルド。少し昔話をしようじゃないか」
「昔話?」
「俺たちに共通の話さ。二人の間には、多くの思い出があったはずだから」
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