恋敵/アンゲル艦の襲撃
暗く狭い場所に、俺は閉じ込められていた。空気はよどみ、そして揺れている。手足を縛られ、ご丁寧に猿
ルビン河を下る平船の上で、意識を取り戻した。烈しい頭痛は治まっていた。だが全身を拘束されていたので、逃げ出すことはできなかった。そのまま荷物のように運ばれ、ここに放り込まれた。
ここはユートパクスのフリゲート艦の船倉だ。イスケンデルの港に係留中の。
……いずれにしろ、ユートパクスへは帰れるわけだ。
皮肉な思いで考えた。
しかしこのままでは、王党派の同志との合流など、できるわけがない。
幽かに軋む音がして、ドアが開いた。重いブーツの足音がして、誰かが俺の前に立った。
オーディン・マークスだった。
「もうすぐ出航だよ、ジウ王子」
潜めた声が言う。低い声で俺は唸った。
「まあ、そう怒るな。君に聞きたいことがある」
逆光で、彼の表情はわからない。
「私の言いたいことはわかるだろう?」
……わかるか、ボケ!
「ふん。いきがるのも今の内だ。シャルワーヌ・ユベールだよ、私が知りたいのは。彼は生きているのか?」
こいつ、まだ、シャルワーヌに疑いをかけようとしているのか? 彼は無関係だと、俺は言ったではないか。
……ん? 生きているのか? って?
「君が生きているということはそういうことだろう? 君は、シャルワーヌの代わりに死んだはずだ。しかし君は、生きている」
……? ???
「確かに彼は、マワジまで私に会いに来た。あいつは、その、
……友情?
「その時はまだ、知らなかったのだ。ジウ王子、君が生きていることを。私は、全てがうまくいき、君は死んだと思っていた」
わけがわからなかった。オーディンは何を言おうとしているのか。
「ああ。口をふさがれているのでは返事もできないか」
屈みこみ、オーディンは俺の轡を外した。
「答えよ。シャルワーヌ・ユベールは生きているのか」
命令口調にも関わらず、彼の声には、何者かに縋るような響きが籠められていた。革命は神を否定した。しかし、オーディンの声に秘められたそれは、紛れもない祈りだった。
口が自由になると、俺は問うた。
「なぜそこまで、彼に固執するのだ」
僅かにオーディンが身を引いた。
「聞かれたことにだけ答えよ。シャルワーヌは生きているのか」
しつこく同じ質問を繰り返す。
「生きている」
そう答えたのは、オーディンがあまりに必死だったから。
「ああ……」
まるで胸の重みを吐き出すようにつぶやくと、彼は
「良かった。計画は失敗したのだな」
「計画?」
俺が生きているといって驚いたことといい、しつこくシャルワーヌの無事を確認したことといい。
まるで、ジウの死とシャルワーヌの生存が、表裏一体として扱われているようにしか思えない。
……待てよ。ジウ王子が意識を失ったのはいつだ?
以前に、侍従のアソムから聞かされていた。それは、花の月の2日、エドガルドとしての俺が死んだ日でもある。その半年後、俺はジウとして覚醒した……。
考えてみれば、それまで健康だったジウが、突然、重い病で倒れるなど、おかしなことだ。
ジウ王子。
内気で遠慮がちなこの王子に、何があったというのか。彼を襲った変事について、なぜ今まで追求しようとしなかったのか。
そういえば、マワジの船着き場で、オーディンは誰かの名を口にした。
ペリ……ペリエルク。
その名を聞いた時の、あのひどい頭痛は何だったのだ?
「そうか。シャルワーヌは生きているのか」
オーディンの目に、光が戻っていた。歯切れのいい声で言い放ち、彼は立ち上がった。
「なら、シテ(ユートパクスの首都)で、再び彼に会えるのだな。霜置く月にシテへ来るよう、指令を出してきたから。その頃には、全てが終わっている筈だ」
霜置く月? 三ヶ月後だ。全てが終わる? いったいオーディンは何を言っているのだろう。
ただひとつわかったことは、彼のシャルワーヌに対する、強い執着だ。
シャルワーヌはオーディンに絶対の忠誠を誓っているが、オーディンもまた、シャルワーヌに信頼と、所有者意識を抱いているようだ。
……所有者意識?
オーディン・マークスが、マワジで俺を殺してしまわなかったのは、シャルワーヌの無事を確認したかったからだと、俺は悟った。側近たちに知られぬよう、密かに、二人きりで。
……なぜ、そこまでして?
オーディンが微笑んだ。知らない人が見たら、優しい人だと誤解しそうな、慈愛深い笑みだ。
「言葉を交わせて嬉しかったよ、ジウ王子。シャルワーヌが、マワジから
なぜそれを知っているのだ? シャルワーヌの後をつけていたのか。まさか、一緒に買いに行ったとか……?
怒りに全身が瘧のように震えた。
ん? 怒り? なぜ?
とりあえず彼の誤解を解く必要を感じた。
「あれは、彼の女奴隷のものだ!」
「おや、私に言い返すのか? 聞いていたのと違うな。ジウ王子は、おとなしいだけの無害な少年だと彼は言っていたが……」
オーディンは言葉を途切らせた。内省的な声で、ぼそぼそとつぶやく。
「外見が違うから、ウテナで捕虜にした時は、わからなかった。だが君はあの男によく似ている。私の質問にすぐに答えようとしないところといい、反抗的なその態度といい……恋敵であるところまで、そっくり相似形を保っている」
「こいがたき?」
「言葉の綾だ。忘れろ。いや、その必要はないか。もうすぐ君は、死ぬのだから」
俺には何をする余裕もなかった。ばらばらと兵士達が入ってきたのだ。強い力で乱暴に引っ立てられ、船倉の外へと連れ出される。
背後に、刺すようなオーディンの視線を感じた。
船は、港を離れつつあった。甲板には、強い海風が吹いていた。
両手を後ろで縛られたまま、俺は船首へと連れていかれた。一番先の突端へ立たされる。
潮の匂いが一段と強くなった。風が水色の髪を乱す。
兵士が2人、後ろに立った。
俺はここから海へ突き落されるのだ。南国の海では、凍え死ぬことはなかろう。しかし、両手を縛られたままでは泳ぐことができない。
……今度は溺死か。
短い時間だった。せっかく転生したのに、俺は王へ何ら献身を尽くすこともなく、再び死の
ジウ王子を、薄幸のうちに死んだ彼の体を、こんなに中途半端な形でしか受け継いでやることができなかった……。
背後の兵士達が迫って来る気配を感じる。もうすぐがっしりとしたその手が背中に触れ、俺は……。
……、……、この期に及んで、なんでシャルワーヌの顔が頭に浮かぶんだ? 軽薄で冷酷なあの男の顔が。しかもその顔は、笑っていやがる。にっこりと、さも幸福そうに。頬の傷も、そうしていると目立たない。背後で無造作に束ねた濃い色の髪が波打ち、微笑む彼は魅力的でさえあった。
うそだ。魅力的? どこが!
あの男、最後にあんなキスをかましやがって。しかも、何事もなかったかのように颯爽と、戦場へ出て行きやがった。
くそ、せっかく忘れていたというのに!
オーディン・マークスがその名を口にしたからだ。
やめてほしい。俺はシャルワーヌの顔を思い浮かべながら死にたくはない。男も女も見境なく、年端も行かない奴隷の少女にまで手を出すような男の顔を脳裏に浮かべたまま、死にたくなんかない……。
シャルワーヌの幻影が、俺の全てを圧倒しそうになった時だ。
「アンゲル艦だ! アンゲル艦が舷側についたぞ!」
甲板に、大きな叫び声が聞き渡った。
「まずい、横付けされた。逃げろ! 砲撃されたらひとたまりもない!」
俺の死刑執行人たちがたじろぐ気配がした。思わず振り返ると、遮蔽物を求め、駆けていくのが見えた。
「おっと、あんたはこっちね」
さっきの叫び声と同じ声が言った。同時に、マストの上から手が伸びてきた。太くたくましい腕に、俺は、檣楼(マストの上の物見台)に引き上げられた。
「ルグラン!」
俺を引き挙げた男の、懐かしい顔に、思わず俺は叫んだ。
ルグラン……マワジで俺を待っていた、ラルフの部下だ。
海賊のルグランは、古くからのラルフの手下だ。シュール港でラルフと初めて会った時、ルグランも一緒だった。シュエル地方の蜂起で、俺が辛うじて救い出した王党派の死刑囚達を引き受け、沖へ逃がしてくれた時のことだ。
ラルフ・リールがアンゲルの海軍代将として採用された時に、ルグランも大尉に任命された。エイクレ要塞包囲戦では、ラルフと共に、タルキア帝国軍に武器を輸送し、また、海からオーディン軍を攻撃していた。
……俺が死ぬまではそうだった。エイクレ要塞でエドガルド・フェリシンが死ぬまでは。
「……なぜ俺の名を?」
名を呼ばれ、いぶかし気にルグランは眉を顰めた。
そうだった。今の俺は、ジウ王子……。中身はどうであろうと、外見はか弱いウテナ王子のままだ。だから、あんなにあっさりとオーディンの部下に捕らえられ、フリゲート艦の船倉に閉じ込められた挙句、殺されそうになったのだ。
マワジから、俺の後を追ってきたのだと、ルグランは言った。
物々しい暴力沙汰に、最初は盗賊の仲間割れかと思った。だが、よく見ると、やられているのはウテナ人だ。
ルグランの待ち人もウテナ人だ。
それで、俺が平船に積まれてからは、馬に乗り、河に沿って陸路をずっとつけてきたという。そして、ユートパクスのフリゲート艦に乗せられたのを見るや、乗組員のふりをして、自分も船に乗り込んだ……。
その時、船が激しく揺れた。弾みで帆から落ちそうになった俺を、ルグランが支えた。それから、口の中に、親指と人差し指を突っ込み、ピーッと吹き鳴らす。
「そこにいたか、ルグラン!」
懐かしい声がした。いや、つい数週間前に聞いたばかりなのだが……。
「親分、砲撃するんじゃなかったんですかい?」
ルグランが叫び返す。
「馬鹿、お前が乗ってるってわかってる船を爆撃なんてできるか」
白い歯を輝かせて笑っている。
ラルフだ。
砲撃する代わりに彼は、自分の船を横付けし、敵船に乗り移ってきたのだ。
単身、敵船に乗り込んでくるとは! アンゲル海軍の代将ともあろう者が!
甲板から上を見上げ、ラルフが叫んだ。
「早く降りて来い! 手伝え!」
「へい!」
ルグランは俺に向き直った。
「そういうわけで、俺らはちっとばかり、火薬庫に用がある。あんたを一人にしなきゃならねえ」
「誰かいるのか?」
どうやら、ラルフとルグランの連絡は、細部までうまくいってはいなかったらしい。
檣楼を見上げ、ようやくラルフは、帆影にいた俺の姿に気がついた。
ルグランが肩を聳やかす。
「親分。俺を見くびったらいけねえぜ。俺ぁ、与えられた仕事はちゃんとこなすタイプだぜよ」
「うむ。ご苦労だつた、ルグラン」
そろそろと俺は、帆柱を折り始めた。
「良く来たな、ジウ王子」
手を伸ばし、ラルフは俺を抱き受けようとした。
首を横に振り、ある程度の高さまで滑り下りると、俺は自分で飛び降りた。
「上ザイードでは楽しかったな。君の舞も、深夜の密会も素晴らしかった」
軽くつんのめった俺を支え、耳元でラルフが囁いた。
……深夜の密会?
こういうところも、全く変わっていない。
「さあ、親分! 行きますぜ!」
続いて帆から滑り降りてきたルグランが急かす。
ラルフは首を横に振った。
「いや、撤収だ!」
「撤収? 火薬庫を爆破するんじゃないんですかい?」
「この船の爆破命令は出てないんだ。それどころか今俺は、マワジ封鎖部隊の所属だということになっている。ただでさえ、上官の覚えがめでたくないからな。敵艦を爆破なんかして、マワジから抜け出してきたことがバレたら、大変だ」
「はあ。親分は、確かにアップトック提督から嫌われていますね。それも手ひどく」
「そうなんだよ。ルグラン、お前がジウ王子を見つけておいてくれてよかったよ。おかげで、船の中を探し回らなくて済んだ」
俺は呆れた。
俺を救出する、たったそれだけの為に、ラルフは軍の命令に背き、外洋まで出向いてきたのか? おまけに、船を横づけにして、自ら敵艦に乗りこんでくるなんて。
「そうと決まったら、こんなとこに長居は無用ですぜ。さっさと行きましょう」
「そうだな。俺も、オーディン・マークスと鉢合わせしたくないしな」
「ラルフ。オーディンは、ザイードを捨てて、祖国へ逃げ帰ろうとしているんだよ? 彼を捕まえれば、君の手柄になるんじゃないか?」
思わず俺は、ラルフの袖を引いた。
にっこりとラルフは笑った。
「知ってる。彼に祖国の窮状を教えてあげたのは、この俺だからな。オーディンがこう出ることはわかりきっていた」
俺は何か言おうとしたが、飛んできた弾丸がそれを邪魔した。
「ちっ、敵さんが集まってきやがった」
ルグランが舌打ちをした。
「いくぞ、ルグラン! ジウ王子も!」
こちらも銃で応戦しつつ、俺達は、舷側をラルフの船目掛けて走り始めた。
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