お付き合いの手順
ラルフとエドガルド(ジウ王子)は、自分たちの記憶の共通する部分を探っています。
途中、◇ から先は、「Ⅰ 砂漠とオアシス」冒頭の、エイクレ要塞陥落の、少し前の出来事です。
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「ただいま、母さん!」
元気よく飛び込んで来た息子に、リール夫人はたたき起こされた。
「ラルフじゃないの。幽霊かしら」
早朝だった。彼女はまだベッドにいて、寝ぼけていた。
「本人だよ! 幽霊なんかじゃない」
「だってあなたはユートパクス革命政府に捕まって、悪名高い監獄に収監中……ラルフ、あなたはとても勇敢でよく頑張ったのに、お国は助けてくれなくて」
「だから脱獄してきたんだよ!」
意気揚々とラルフは答えた。後ろを振り返った。
「母さん。紹介するよ。この人はエドガルド・フェリシン。僕を脱獄させてくれた人だ」
「まあ。息子がお世話になりました」
ベッドの中から、ラルフの母は、丁寧にお辞儀をする。
リール夫人はまだ、完全に目が覚めていないようだ。異国に監禁される息子の身を案じて暮らしていた彼女は、夜眠っている間しか、忘却の縁に安らぐ暇がなかった。そのあまりに長い心労の時間を減らすべく、体が長い睡眠を必要としているのだ。
「そういうわけでね、母さん。これから先の人生を、僕は彼と共に生きることにしたから」
「何だって!」
叫び声を上げたのは、エドガルドだった。
「そんなこと、俺は一言も聞いてないぞ」
「だって、君は僕の船に乗ってくれるんだろ?」
確かにそんな話はした。
ラルフ・リールは海軍将校だ。どうせならアンゲル軍に入り、共に戦おうと、エドガルドは誘われていた。
「海の上では、一蓮托生だ」
「……」
「仲がいいのね」
リール夫人は大あくびをした。
「あなたたち、ご飯は食べたの?」
「まだだよ、母さん」
「なら、食堂へ行くといいわ。少ししたら、私も行くから」
「その前に、父さんにも挨拶してきます」
まだ寝ぼけ気味のリール夫人を寝室に残し、二人は庭へ出た。
「今の時間、父さんは、温室で薔薇の手入れをしているんだ」
「ラルフ! 夢じゃなかろうな。ラルフ! ラルフじゃないか!」
丹精込めた薔薇の間から息子の姿を認めると、リール氏は飛び上がった。
自分より背の高いラルフを抱きしめる。ラルフが抱き返すと、体を離し、しげしげと息子の顔を見つめた。それから、両手でばんばんと肩や背中を叩き始めた。
「ラルフだ。確かにラルフだ!」
「
ひとしきり息子の全身を叩くと、リール氏は、後ろに佇んでいたエドガルドに気がついた。
「この人は?」
「僕を脱走させてくれた人です」
「なんだと? ラルフ、お前、ユートパクスの監獄から脱獄してきたのか」
「いつまで経ってもアンゲル政府が捕虜交換に応じてくれないものですから」
「初めまして、リール大尉。エドガルド・フェリシンです」
ぶっきらぼうに差し出された手を、エドガルドは握った。
「ユートパクス人だな。すると君は、王党派か?」
「はい」
エドガルドの手が振り放された。燃えるような眼差しをリール氏は息子に向けた。
「ラルフ。お前は、よその国の揉め事に首を突っ込みおって。シュール湾でユートパクスの船や倉庫を焼き打ちしたことといい、王党派の亡命を手伝っていたことといい……。牢に繋がれて少しは懲りたかと思っていたのに。なぜ、アンゲル政府がお前の捕虜交換に応じなかったか、考えてみろ」
「アップトック卿が反対されたからだと聞いています」
アップドック卿というのは、ソリの合わないラルフの上官だ。
ラルフが答えると、リール氏の顔が真っ赤になった。
「それならなぜ、お前の上官は、お前を助けようとしなかったのだ!? アップトック卿は、この国の英雄だ。俺はおまえが、彼の部下であることを誇りに思っている。いいか、ラルフ。お前は俺と同じ、アンゲル軍の兵士だ。兵士は、
「でも、父さん。あのまま牢にいたら、僕は暗殺されていたよ。エドガルドは、命の恩人だ」
静かにラルフが言った。
赤くなったリール氏の顔から、すうーっと血の気が引いていく。無言で彼は後ろ向いて屈みこみ、薔薇の剪定を始めた。
「安心して、父さん。僕は海軍に戻る。僕の陛下への忠誠は、アップトック卿も、きっとわかってくれるさ」
「あの方は、お前には性格的な難があるとおっしゃっているそうだ」
「そう? 僕に言わせれば、アップトック卿の方が大概、」
「口を慎め!」
一喝され、ラルフは口を噤んだ。すぐに続けた。
「僕らの敵はユートパクス革命政府だ。そして、オーディン・マークスだ」
「オーディン・マークス? ウィスタリア帝国を打ち破った、常勝将軍と言われているあの男か?」
「シュール湾を焼き打ちにした時の、ユートパクス側の砲兵隊長だよ。彼は、人じゃない」
死刑囚に希望を与えてから、再びの砲撃で、彼らを虐殺したオーディンを、ラルフは忘れることがなかった。
「彼は悪魔だ」
「私も、貴方のご子息と共に戦います」
力強い声がした。背後にひっそりと控えていたエドガルドだ。
ラルフの目に光が宿った。エドガルドは、アンゲル軍へ勧誘するラルフの誘いに、いまひとつ、乗り気でなかった。東の国境で戦っているデギャン元帥に忠誠を誓っていたからだ。それが今、自分と共に戦うと言ってくれた。
「エドガルドは優れた将校だ。彼をアンゲル軍に紹介し、相応のランクを与えてもらうつもりです」
リール氏は、エドガルドに向き直った。
「君は、アンゲル国王の為に戦うのか? ユートパクスの王党派の為ではなく?」
真っ直ぐな問いに、しかし、エドガルドは即答を避けた。
「ラルフは王党派の為に尽力してくれました。僕はラルフを信じ、共に戦いたいのです」
「アンゲルは、王党派の味方だ。ユートパクスの西南部では、亡命貴族軍を援助してきた」
ラルフが割って入った。
「王党派との共闘は、
深いため息を、リール氏はついた。俯き、薔薇の世話に専念する。
その父の背に向かい、ラルフは宣言した。
「父さん。エドガルドは、頼りになる戦友であるだけではない。僕の人生のパートナーでもあるんだ」
突然の爆弾発言にエドガルドは飛び上がった。
驚いたのは彼だけではなかった。
鋏を握ったリール氏の手元から、咲きかけの薔薇の蕾が、ぽろんと落ちた。
「さてと」
にっこりとラルフは笑った。ストレス……もし彼にそんなものがあるとしたら、だが……から解放された、晴れ晴れとした笑みだった。
「これで両親への顔合わせは済んだ。さ、行こう、エドガルド。君を推薦しに、海軍司令本部へ行かなくては」
「ラルフ!」
憤りに掠れた声でリール氏が叫んだ時には、ラルフはエドガルドの肩を抱くようにして、温室の出口へ向かっていた。
「ラルフ!」
「だからもう見合いの話は持ってこないで下さいね、父さん。母さんにも伝えておいて下さい。僕にはステキな伴侶がいますので!」
何か言いたそうなエドガルドを急き立て、息子は、足早に立ち去っていった。
……。
「俺は外堀から埋めるタイプなんだ」
「なんだよ。ドヤ顔しやがって」
「得意にもなるさ。こうして両親に紹介し、僕達は、きちんとしたお付き合いを始めたわけだから」
「俺の認識とズレがあるな。俺は途方に暮れていたんだ。
「ご婦人? 俺の母さんだぞ?」
「ご婦人だ! その上、父君には誤解を招く紹介をするし」
「誤解なんかじゃないさ。だって君は、俺のパートナーだろ?」
「軍務のな」
「人生のだ!」
……。
◇
ラルフ・リールが脱獄した同じ年、オーディン・マークスが、ザイード遠征へ赴いた。
首都マワジを攻略した彼は、シャルワーヌ軍を北の上ザイードに送り出す一方、自らは東へ向かい、タルキア帝国への侵攻を開始した。
アンゲル政府は、ラルフに、「リオン号」というフリゲート艦を与えた。そして、捕虜交換に応じなかったことはけろりと忘れ、彼にタルキアとの外交と軍事協力を命じた。
ラルフには、人脈があった。彼の弟が、タルキア帝国の外交官を務めていたのだ。
ラルフは軍にエドガルドを推薦し、政府は彼を名誉大佐に任命した。
エドガルドにはアンゲルに残る道もあったが、ラルフと共に、タルキアへ向かった。
「オーディン・マークスは、俺の同窓生だよ。俺達は同じ士官学校で学んだ」
アンゲル軍の将校として乗船したリオン号の甲板で、エドガルドが明かした。ラルフは驚いた。
「いいのか? 学友と殺し合うことになるんだぞ?」
「構わない。やつは残酷で無慈悲だ。君も知っているだろう?」
そういうエドガルドの顔はなぜか悲し気だった。
ラルフは胸を突かれた。
すでにオーディン軍は、ジャフェを攻略し、タルキアの領土へ足を踏み入れていた。「リオン号」は、次の軍事的要衝地、エイクレ要塞に向かった。
エイクレの太守(高官、軍事長官も兼ねる)は、シャルキュと呼ばれていた。「肉屋」という意味である。彼は、残虐な人物だった。
エイクレ要塞にも、ジャフェの敗北の情報が入ってきていた。
オーディン軍は、こののどかな田園都市を破壊し、男も女も子どもさえも容赦なく殺戮したという。
さらに、降伏した敵の兵士達を美しい海岸に集め、銃剣で衝き殺し、あるいは、粗末な船に詰め込んだまま沖へ流したと伝わってきた。処刑の為の弾丸や火薬を惜しんだのである。
エイクレは、古い要塞だ。長い年月、異なった宗教の元に占領され、建て増しを繰り返してきた。あちこちに綻びも出ている。
実際に上陸してみて、使える兵士は太守の護衛軍くらいしかいないことがわかった。残りは様々な民族の寄せ集めで、中には、オーディンが攻略したジャフェから逃げてきた者もいた。彼らは怯え切っていて、戦闘が始まった途端、逃げ出しそうだった。
エイクレ要塞の兵士達は浮足立っていた。残虐と言われる太守のシャルキュ自身さえも、撤退を考えていた。
「武器弾薬が足りない」
ざっと視察を終えた後、ラルフが言った。
「
「太守は撤退を考えている」
ラルフと並んで廃材に座り、エドガルドは膝の上で両手の指先を突き合わせた。
「このままだと、君が帰ってくる前に、要塞を明け渡してしまうかもしれない。俺が残って、彼を説得してみる」
「説得? どうやって?」
「忘れたか。俺は、砲兵出身だ。火薬の調合や軌道の計算だけではなく、工兵としての教育も受けている」
不敵にエドガルドは微笑んだ。
「エイクレ要塞を補修しよう。ユートパクス軍が攻めてきても持ち堪えられるように」
「それは頼もしい。だが、君を残していくのか? あの“肉屋”の元に?」
「シャルキュはしっかりとした太守だ。我々の誠意もわかってくれている。彼を疑うのは失礼なことだぞ」
「太守の、君を見る目が気に入らない」
ラルフが言うと、エドガルドは憤った。
「それこそ失礼の極みだ。彼に対しても、俺に対しても」
「すまない、エドガルド」
しょぼんとラルフは頭を下げた。
「だって君は、ほんの少しも触れさせてくれない。同じ船に乗り、両親に紹介も済んだというのに」
「はあ?」
呆れた声を、エドガルドが出した。
「この非常時に何を言ってる。とっとと行って、武器を集めて来い!」
ラルフの留守中、エドガルドは自ら陣頭指揮を執り、要塞の補修に尽力した。
特に外壁の傷みが激しかった。石や瓦礫などの資材は少なく、足りない分は、綿を濡らし、裂け目に詰めた。
また、
一方、ラルフはアンゲルから可能な限り武器弾薬を持ち出した。途中彼は、自分のリオン号と同じように喫水線をぎりぎりまで下げて運航している船を見かけた。
ユートパクスの輸送艦だ。
タルキア軍と同じく、武器の足りなくなったオーディン遠征軍が、ザイードから大砲を取り寄せたのだ。
にまりと、ラルフは笑った。
輸送艦には、応戦できる大砲は少なかった。また、船を乗り移ることにかけては、海賊だった彼の右へ出る者はいない。
難なくラルフは、輸送艦ごと、敵の武器弾薬を手に入れることに成功した。
ラルフの持ち帰った大量の武器に、シャルキュ太守は目を輝かせた。
さらにラルフは、寄せ集めの兵士らの教育を提案した。迫りくるユートパクス軍を前に、このままでは敵前逃亡しかねなかったからである。
タルキア兵らは、奇襲の意味さえ理解していなかった。夜明け前、敵がまだ眠っている時間に出撃させても、神の名を叫びながら突っ込んでいくので、すぐに敵は察知し、迎撃する。これでは奇襲にならなかった。
こうして兵士を教育し、エイクレ要塞の補修に尽力しつつ、さらなる武器を輸送し、ラルフとエドガルドは、働き続けた。
「外国の友人を、この国の戦で死なせてはいかん」
ついに60歳を過ぎた太守はそう言った。
「者ども集まれ! 報酬の額を上げる。ユートパクス兵の首一つにつき、500テュルから1000テュルに格上げだ!」
シャルキュ太守は、外国から来た二人の青年とともに、最後までエイクレ要塞を守り抜く決意をした。
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