祈り/敵艦来襲!

※エドガルド視点に戻ります

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 「何を怒ってるんだ、エドガルド」

執務室で海図を改めていたルグランが顔を上げた。

「知るか」

むしゃくしゃしすぎて話す気にもなれない。


「彼は何を怒ってるんだ、ラビック」

俺の後ろに控えた副官に、ルグランが顔を向けた。

「あー、それは……」

生真面目な副官が困っている。彼は、勝手に上官の気持ちを代弁したりしない。

「もしかして、うちの大将がまた何かしたのか?」

「えと……」

「じゃ、ユベール将軍だ」

「あー、」


「両方だ!」

怒りに任せ、俺は叫んだ。

「あいつら、神聖な葬儀で何を考えていやがるんだ? しかも、アソムの葬儀だぞ? 彼はジウにとてもよくしてくれたのに」


「リール代将とユベール将軍が、エドガルド大佐の痣を見たがりまして」

副官の務めと心得たのか、ラビックが説明した。

「痣?」

「星型の痣です。背中にある」

「ああ、なるほどね」


だいたい、ルグランは察したようだ。


「ルグラン、君はひどく察しがいいな」

俺は驚いた。

「エドガルド、君の肌を見るチャンスを、あの二人が逃がすわけがないだろう? 君は、もっと自覚を持つべきだ」

「はあ?」


何の自覚を持てというのか。というか、あの二人はうざすぎる。


「ちょっとちょっとちょっと」

ラビックがルグランの袖を引いている。

「大佐の痣を確認したのは私です。変なことは言わないで下さい」

「うわあ、ラビック。君がエドガルドの肌を見たのか。あの二人に先駆けて」

ルグランは大仰にのけぞってみせた。

「君は彼らの恨みを買ったな!」

「ええっ! アンゲル軍海軍将校とユートパクス軍将軍の恨みですか!?」

「そうだ」

「なんて恐ろしい。今後私はどこへ行けばいいのか」

「タルキア軍に入ったらどうだ? 捕虜の頭を刎ねることさえできるのなら、いつだって歓迎してもらえるぞ」

「うーーーーーー」


 「お前らまで、何を言い合ってるんだ? アソムが死んだんだぞ」


 振り返った二人は、俺の顔を見てぎょっとしたような顔になった。

「大佐……」

「エドガルド……」


「何だ?」


「すまなかった、エドガルド。俺らはその、アソム? 彼のことは、良く知らなかったから」

「ジウ王子の侍従と言うことは、上ザイードで大佐の身近におられた方ですよね。本当に配慮が足りませんでした」


 突然の変化が気持ち悪い。


「いや、俺だって、彼のことは良く知らない。たかだか数ヶ月の付き合いだったし。ただ、ジウ王子に親身になって尽くしていることは良く伝わってきた」

「本当にな」

「お気の毒に」


 もちろん二人とも、アソムの遺書のことは知っている。依代のことも、いずれジウを殺す任務を担っていたことも。そして、全てが露見した時、ジウの体を殺す代わりに、自ら命を絶ったことも。


「俺たちはもっと話し合うべきだったんだ。俺とアソムは」

 そうすれば、お互い補い合って、アソムは死なずに済んだかもしれない。


「仕方のないことだ。依代も転生も、にわかには信じられない突飛な話だからな」

「そうですよ。それに、エドガルド大佐が転生したのは、ユートパクス駐留軍のど真ん中です。前世が亡命貴族だということを明かさなかったのは、正しい選択だったと思います」


 二人とも、むきになっている。


「そう言ってくれるのは嬉しいが……なぜ君たちはそんなに一生懸命なんだ?」

 俺が問うと、ルグランとラビックは顔を見合わせた。

「だって、大佐は泣いておられます」

「右目だけだけどな」

「へ?」


 二人から指摘され、反射的に右の目に手をやると、確かに目の縁が濡れていた。溢れた雫が、静かに頬を流れ落ちている。


「泣いて、」

「さっきからずっとだ。ずっと右目だけで泣いている」

 傷ましそうにルグランが言う。

「とても悲しそうに。涙がほろほろと」

 ラビックもすまなそうに俯いた。


「気がつかなかったよ。俺は泣いていたんだな」

「ご存じなかったんですか?」

ラビックが目を丸くする。

「ああ。俺は、人前で泣いたことがない」

「そうですね。大佐は強いお方です」


「これは、ジウの体が泣いているんじゃないかな」

俺はつぶやいた。

「ジウの魂の方はアソムと一緒にどこかへ行ったけど、体の方は置き去りだから。残された体が、二人の死を悼んでいるのだ」

「そうかもしれんな」

「不思議なことですね」


 二人は同意し、誰からともなく、俺達は頭を垂れ、両手を組んで、瞑目した。



 見回りがあると言って、ラビックは執務室を出て行った。残された俺とルグランは、海路の検討を始めた。

 遠くから騒ぎ声が近づいてきた。


「大変だ! 敵が近づいている」

「防衛体制、強化!」

「敵を殺せ! 吊り下げろ!」


 船室に何かが飛び込んできた。まるでエネルギーの塊が投げ込まれたかのように、部屋の温度が一気に上昇する。

 海軍士官候補生たちミッドシップメンだ。金切り声で叫んで、走り回っている。


「何だ? 何だってんだ?」

俺と一緒に海図を覗き込んでいたルグランが顔を上げる。


「敵艦来襲! 臨戦態勢を取れ!」

「錨を上げよ!」

「主舵いっぱーーーい!」


 小さな士官候補生たちは、半狂乱だ。

 彼らは3人とも9歳。士官学校からそのまま、リオン号へと送り込まれてきた。中の一人、金髪碧眼の子は、ラルフの甥だ。彼の幼い頃にそっくりだという。


 声変わり前の奇声を上げながら、3人は狭い船室を走り回っている。木箱やら樽やら、床に積まれた雑多な物を器用によけ、あるいは飛び越し、一時もスピードを緩めることはない。

 遂に3人は、部屋の中をぐるぐる回り始めた。生き物ならみなそうだが、これは、末期症状だ。


「おい、うるさいぞ」

 思わず耳を塞ぐ。3人のけたたましい喚き声のお陰で、耳が潰れそうだ。


 「シャ、ラァーーーーーップ!(shut up)」


 ルグランが吠えた。海賊時代から鍛え上げた野太い声だ。

 半狂乱で走り回っていた3人の足が、ぴたりと止まった。


「報告します!」

「ユートパクスが、」

「こちらへ向かっています!」


一人一人、かかとを鳴らし、びしりと敬礼しながら叫ぶ。


「なんだって?」

思わず問い返す。

「ユートパクスの悪魔が、フェリシン大佐の船室へ向かっていると、至急便でお伝えしました!」

超音波のような金属製の声が撃てば響くように返ってきた。


「ほほう。誰が悪魔なのかな?」


 廊下から声がした。思わず、体がびくりと震えた。それほど馴染みのある、懐かしい……。

 いやいやいや。ついさっき、甲板で別れて来たばかりじゃないか。

 暗がりを潜り抜け、その人が姿を現わした。


「げっ! ユベール将軍!」

 士官候補生たちは同時に叫び、三者三様に逃走態勢に入った。


「お前ら、逃げちゃダメだろ」

 すぐそばの少年二人の耳を、それぞれ右手と左手で掴んで捕まえながら、ルグランが咎める。入り口に逃げた背の高い子は、シャルワーヌが通せんぼした。

「それに、仮にも、シャルワーヌ・ユベール将軍は我らがリール代将の客人だぞ。悪魔呼ばわりしたらいかん」

 しかつめらしい口調だったが、ルグランの声には、笑いが含まれていた。彼は、面白がっていた。


「その叔父さんが言ったんだよ! 悪魔が行くから警戒するように、フェリシン大佐に伝えろって。痛っ! 痛いよ、ルグラン!」


 ラルフの甥が口を尖らせる。彼は、ルグランにがっちりと耳を摘ままれていた。

 ドアの近くから、舌打ちが聞こえた。


「船の中で迷ったのが不覚だった。リール代将のやつ、エドガルドとの面会を許可する、とか言っておきながら、ちょこざいな真似を……」


「許可は出てるのですね?」

 改めてルグランが問う。自分の上官ラルフへの悪口は、無視することにしたようだ。


「もちろんだ。で話す時間をもらったぞ」

「えっ! あの大将が? あなたとフェリシン大佐を二人きりにと? 信じられない!」

「何が信じられないか」

シャルワーヌが憤慨している。

「我々は紳士同盟を結んだのだ。俺とリール代将は、全く対等だ。彼に俺を邪魔する権利はない」


「それは本当です!」

 シャルワーヌとルグランのやり取りをぶった切り、藁色の髪の少年が叫び声を上げた。彼もルグランに左耳を摘ままれ、身を捩らせている。

 他の2人が唱和し、三人そろって金切り声を張り上げた。

「フェアの精神に則り、我々は証言致します!」


「何がフェアだ。人のことを悪魔呼ばわりしたくせに」


 ぶつぶつとシャルワーヌが文句を言っている。

 ぎろりとルグランが少年兵達を睨んだ。


「お前ら、嘘を言ったら承知しないぞ」

「嘘なんか吐くもんか!」

「早くこの耳を話してくれよ、ルグラン!」

「悪魔が俺を睨んでる……」


最後のは、ドアの前でシャルワーヌに通せんぼされている子のつぶやきだ。その声は、少しばかり震えていた。


 「紳士同盟とは、親分もまた、思い切ったことを……」

ルグランがつぶやく。


 ルグランの気持ちはよくわかる。ラルフにとって、自分が紳士であることは、絶対なのだ。紳士であることこそが、自分の存在意義だと、彼は思っている。

 それは時折、とても歯痒いことなのだが。特に、恋人には。


「紳士ねえ。うちの大将はさておき、ユベール将軍、あなたが」

「何が言いたい?」


 目の前の少年兵を睨んでいたシャルワーヌは、視線を転じて、ルグランを問い詰めた。ルグランはそっぽを向いている。まあ、ルグランの気持ちはよくわかる。ユートパクス軍人は、総じて下品だ。とても紳士とは言い難い。シャルワーヌにしたって……。


 だが俺は、それどころではなかった。胸がどんどんと鳴って、脈拍が爆上がりし始めた。部屋の温度が急に上がった気がする。暑い。頬がかっと紅潮したのがわかった。

 いったいどうしたというのだ? ミッドシップマンたちが走り回ったからか? 後で工兵に言って、空調を見てもらわなければ。


「さあ、君達。俺はフェリシン大佐と話がある。二人きりでな。君たちには、部屋を出て欲しい」


 二人きり、というところを強調してシャルワーヌは言った。

 彼が腕を少し上げると、入り口で止められていた士官候補生は、脱兎のごとく外へ駆け出していった。次いで、ルグランの万力のような手から自分の耳をもぎ取るようにして、ラルフの甥が外へ走り出す。少し手間取った後、最後の一人も無事、部屋から脱出していった。

 シャルワーヌがこちらを見た。


「君もだ、ええと」

「ルグラン。リール代将の大尉だ」

「君も外へ出たまえ、ルグラン大尉」


 ルグランが、問いかけるような眼差しを投げてよこした。


 ……行かないで欲しい。


 だが、そんな甘えたことは言えない。こんな弱々しいなりをしているが、俺は、大佐だ。部下だってつけてもらってる。ラルフの補佐官に縋るような真似はできない。

 シャルワーヌから顔を背けるようにして、俺はルグランに頷いた。

 ルグランの表情が曇った。


「大丈夫ですか、フェリシン大佐。お身体の具合が悪そうですが」

 さっきまでの砕けた態度が嘘のように、改まった声で問う。俺に恥を掻かせまいとしてくれているとわかった。

「大丈夫。少し暑いだけだ」


 ルグランは敬礼した。

 ……「俺は部屋の外に待機している。何かあったら大声を出せ」

 すぐ横を通りざま、耳元で囁いた。感謝の気持ちを込めて、俺は頷いた。そのまま、大股でルグランは部屋の外へ出て行ってしまった。


 「エドガルド、」

目をいからせてその様子を見ていたシャルワーヌは、振り返ってぎょっとしたようだ。

「どうしたんだ? 顔が真っ赤だぞ」

「へ、部屋が暑いのだ。人が多かったせいで」

「そうか。人いきれが苦しかったのだな。リール代将が心配していた。君は虚弱だから」

急にその声が裏返った。

「心配なら、俺もずっとしてた! むしろ俺の方が早くからだ!」


 人が暑いと言っているにも関わらず、彼はドアをきっちりと閉めた。僅かに見えていたルグランのブーツが、閉じたドアの向こうに消えた。


「心配しなくていい。さっきも言ったように、俺とリール代将は同盟を結んだ。二人とも、君の前では完璧な紳士だ。……君が18歳になるまで」


 それだ。

 俺には、わけがわからなかった。確かにラルフには、成人するまで待ってくれるよう頼んだ。それは、彼が俺の恋人だからだ。シャルワーヌは関係ない。


「なぜそこに貴方が?」

「エドガルド……」


絶望的な眼差しが注がれた。








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