洋上の争い/追尾
善後策について語り合っているラルフとヴィレルを残し、俺は大急ぎで甲板に出てみた。
連絡船が行き来し、リオン号からユートパクス艦へ、イスケンデル港へと戻るよう、通告が行われた後だった。
「おい、どういうことだ! 俺達はお前らんとこの親分のサイン入り通行証を持ってるんだぞ!」
下品な声が、海面を伝わってきた。
「俺のシャルワーヌ将軍が講和条約を結んだろうが!」
拡声器でがなり立てている。
「俺のじゃない、わが軍の、だ」
誰かが訂正する声が入った。これは、サリ(シャルワーヌの副官)の声だ。
「ああ、そうだった。とにかく、俺らには権利があるんだよ! 祖国へ帰るな!」
「諸君をユートパクスへ返すことはできない」
アンゲル艦からも、拡声器を通じて怒鳴り返している。
「なぜ! タルキア皇帝のサイン入り通行証も発行してもらったんだぞ! お前らんとこの代将は、へらへらしていて威厳がないからな!」
「否定はしない。だが、諸君はソンブル大陸に留まるのだ」
「ああっ!? 講和条約を無視するのか!?」
「本国からの命令だ」
ティグル号からの返事は苦しそうだ。
無理もない。
「貸せ」
小さな声が聞こえた。誰かが、下品な将校から拡声器を取り上げたようだ。
「俺には重大な任務がある。昨日、オーディン・マークス総司令官より召喚状が届いたのだ。至急帰国するようにと。俺は……」
シャルワーヌの声だ。間違いない。
オーディンから召喚状が届いた? シャルワーヌに?
なんてことだ!
「帰らせない!」
頭がかっとなった。気がつくと俺は、甲板指揮官の持っていた拡声器を取り上げていた。
「シャルワーヌ! 君をオーディンの元へ帰らせはしない!」
「エドガルド!」
拡声器を通した声は、少し違って聞こえた。けれどそれは、紛れもないシャルワーヌの声だった。体中の血が疼いた。彼は、オーディンに会う為に、軍を置き去りにして祖国へ帰ろうとしている……。
「港へ戻れ! 君はユートパクスへ帰ってはいけない!」
「何を言うんだ、エドガルド。言っただろう? これは忠誠だ。俺は彼に、絶対の忠誠を誓った。君が、ユートパクス王に誓ったように」
「陛下とオーディンを一緒にするな!」
怒りが全身から迸った。神から王位を授けられた王と、武力で権力を掌握したオーディンを、同じ土俵で論じるとは!
俺の剣幕にもシャルワーヌは怯むことはなかった。
「俺は、兵士だ。兵士は上官の命令に背くことはできない」
「忠誠だと?」
俺は嘲笑った。
「オーディン・マークスはそんな風に思ってはいない」
「信じてくれ。エドガルド、俺が愛しているのはお前一人だ……」
「ちょっと、将軍、こんなところで何、愛の告白なんかしちゃってるんすか! 軍の設備を私物化しないで下さい!」
サリとは別の誰かの声がした。さっき、「わが軍の」と訂正を入れた声だ。
「洋上で何をわあわあ騒いでいるんだ?」
背後から涼し気な声がした。ラルフだ。ヴィレル大尉との話し合いを終えて、甲板に上がってきたらしい。
「オーディン・マークスから、シャルワーヌに召喚状が届いたらしい。彼をオーディン・マークスに接触させたらいけない」
早速俺は訴える。
「うむ。それは、対ユートパクス同盟に参加している国々の意見でもあるな」
「彼をザイードから出したらダメなんだ!」
俺の脇から、甲板司令官が控えめに口を出した。
「まずいことに、向こうはリール代将の署名入り通行証を持っています。それに、タルキア皇帝の発行したのも」
「そりゃ、有効だろ。特に俺が署名した分は。オーディン・マークスの召喚状は知らなかったが、どのみち、帰国したら元総司令官に会いに行くんだろ? 外洋へと通してやるといいよ」
俺と指揮官は顔を見合わせた。ユートパクス軍をソンブル大陸へ留めおけというのは、アンゲル政府からの命令だったはずだ。
「だが、使える者は敵でも使えだ。おい、ボートを出してくれないか? シャルワーヌ将軍とサシで話がしたい」
いったい何を考えているのだ、この男は。
俺と指揮官は顔を見合わせた。
二隻の戦艦の間で、各々の船から出てきたボートが、互い違いの向きに並んで止まった。ボートに乗ったラルフを見て、ユートパクス側からシャルワーヌも出てきたのだ。
「おい、どういうことだ? なぜ船を止める! あの船には、俺と副官の他は、病人と怪我人しか乗っていないぞ。エ=アリュ条約で、彼らの輸送は認められていたはずだろう?」
開口一番、シャルワーヌが苦情を述べ立てる。
「状況が変わったんだ……」
ユートパクス軍を帰国させることに対し、同盟国、特にウィスタリア帝国から苦情が寄せられたことを、ラルフは説明した。
「おかしいだろ。タルキア軍との間には講和が成立したじゃないか!」
シャルワーヌが憤る。
「うん。俺も腹立たしく思っている。大国にへいこらして、一度決めたことを覆すなど、もってのほかだ。
「全くその通りだ。え?」
シャルワーヌはきょとんとした。
「意外だな。君が、自分の祖国を批判するなんて」
ボートの中で、ラルフは肩を竦めた。
「いいか。よく聞け、ユベール将軍。これは非公式な情報なのだが、タルキア軍はすでに、戦闘準備を始めているぞ」
「なんだって!」
驚愕が日に焼けた顔に表れた。
「彼らは、ユートパクス軍が乗船する時を狙って攻撃するつもりだ。既にイスケンデル港近郊に集結しつつある」
「そんな……だってわが軍は、非武装じゃないか。武器を置いて船に乗るというのが条件だから」
撤退の費用をタルキア側が受け持つ代わりに、上ザイードの返還と、もうひとつ、武器は置いていくというのが、タルキア側が出した条件だった。
「武器もなしで、どうやって戦えと?」
「端的に言えば、タルキアは、ユートパクス兵を捕虜にしようとしているのだ」
「捕虜!」
浅黒い顔に怒りが浮かんだ。
「これは、名誉ある撤退ではなかったのか? その為の洋上会談だったはずだ。リール代将。君は俺を騙したのだな!」
オールが波を叩いた。この上は、一刻も一緒にはいたくないとばかりに、シャルワーヌがボートを遠ざけようとする。
「待ってくれ、ユベール将軍!」
腕を伸ばし、辛うじてラルフは相手のボートの縁を掴んだ。
「俺だってショックだった! タルキア側の大使達とは、リオン号の中で、あんなに協調的に話し合ってきたというのに。これは、タルキアの、明らかな裏切りだ。ユートパクス軍に対してだけではなく、間を取り持った俺に対しても!」
「君のメンツなど知ったことか!」
オールを漕ぐ腕に力が入った。相手のボートの縁を掴んだラルフの指が滑って離れた。
「俺の言うことを信じられなくても仕方がない。だが、タルキア軍がイスケンデル周辺に集結しているというのは、マーラという女の子から得た情報だ」
「マーラ?」
「君のハーレムにいた子だ。彼女が、エドガルドに接触してきた」
オールを漕ぐ腕が止まった。
「せっかく帰国しようとしているところ申し訳ないが、時間がない。急ぎマワジへ戻り、ワイズ司令官に伝えて欲しい。首都から出てはいけない。各地の要塞も明け渡すべきではない。俺達が時間を稼ぐから、その間に、守りを固めるんだ」
怪訝そうな顔が振り向いた。
「リール代将。君はユートパクスの味方をするのか? 同盟国のタルキアではなく?」
「エ=アリュ講和条約は、この戦闘で俺が出した成果だ。俺は、平和を取り持つ黄金の懸け橋になりたいのだ」
「そういえば、船の上でそんなことを言っていたな」
「君が、栄光とやらを追い求めるのと同じことだ。戦争なんて、もう、懲り懲りだ」
青い目には、薄っすらと膜が張っていた。
「前にも言った。もう二度と、愛する人を失いたくない」
誰のことを話しているのか、シャルワーヌにはすぐにわかった。
「……ああ、彼は無鉄砲に飛び込んでいくからな。今の弱い体では、少し無理をしただけで、容易に最悪の事態を招くだろう」
「それを俺は危惧している」
「彼は、信念を貫く男だからな」
「何をわかったようなことを」
青い目に怒りが灯った。
「君に彼は、渡さない」
「しかし、まだ手は出せまい。彼には、俺の監視がついている」
「しまった! 赤い石を忘れてきた!」
ラルフが立ち上がった。
重力のバランスを崩し、ボートがグラグラ揺れる。足を踏ん張りバランスを保とうとする。だが、いくらももたなかった。
盛大なしぶきを上げ、ラルフは海に落ちた。
「リール代将!」
驚き、力の限りシャルワーヌが叫ぶ。海底に沈んだラルフは、なかなか上がってこない。
「おい、リール代将! 死ぬなよ。こんなことで死ぬな!」
慌ててシャルワーヌは軍服を脱ぎ始めた。下着姿になって海に飛び込もうとした足首を、水の中から伸びてきた手が掴んだ。ぐい、と強く引く。
「うわっ!」
たまらず、海に転落する。
二人を呑みこんだ大海原は、ただただ青く、果てしなく広がっている。
深く沈んだ海底から、ぶくぶくと泡が立ち登って来た。
少しして、海上に二つの頭が浮かんだ。
「何するんだ、この、すっとこどっこいが!」
水しぶきの混じった息を吐き出し、シャルワーヌが喚いた。
「海の男を助けようなんざ、百年早いわ!」
負けじとラルフが怒鳴り返す。
「何を言うか。溺れていたくせに!」
「溺れたりなんかするものか。潜っていただけだ! 憎い君を脅かす為にな!」
「なんだと!? 君はユートパクスの味方ではなかったのか。ついさっき、タルキア軍の情報を流してくれたばかりじゃないか!」
「それは
「おう、気が合うな。俺だってあんたが大、大、大、大っ嫌いだ!!!」
「第一、君は泳げるのか? つか、なんだ、その立ち泳ぎは。君こそ溺れているんじゃないか?」
「泳げるに決まってる! 前任地には大きな河があったからな! あんたの下手くそな素潜りと一緒にするなよ!」
少し離れた距離で怒鳴り合っている。
波の上に突き出た金色の髪を、ラルフが掻き毟った。
「くそっ、エドガルドにヘンなもんを渡しやがって。いにしえの王の護符だと? 片腹痛い」
「ああ? あれは俺からエドガルドへの愛の証……」
「うるさい! 叩き返そうと思ったのに、持ってくるのを忘れちまったんだよ!」
「それで海に落ちたのか?」
「そういうことだ」
高い波が来た。二つの頭は、順に高くなり、すぐに下に落ちていく。
「リール代将!」
「シャルワーヌ将軍!」
リオン号とユートパクス戦艦の拡声器から叫び声が飛んだ。すぐにそれは、向かい合った敵艦に向けられた。
「くそアンゲルが! シャルワーヌ将軍を海に引きずり込みやがって!」
「何を言うか、鬼畜ユートパクス! リール代将に何かあったらただじゃすまさんからな!」
「お
「卑怯はどっちだ! 最初に侵略してきたのはお前らだろ! わざわざ海峡越えてやってきて、王座を奪取したのはお前らだ!」
「何百年前の話をしていやがる! 赤い軍服にスカートなんか穿きやがって!」
「子どもが三色に塗りたくったような旗をひらひらさせてる奴らに言われたくないね!」
舌戦はひどくなる一方だ。
「……そろそろお互いの船に戻った方がよさそうだな」
ラルフがつぶやくと、シャルワーヌも頷いた。
夕日の中、全身濡れネズミの漕ぎ手が乗った二艘のボートが、各々の戦艦に戻っていく。
「主舵いっぱーーい」
アンゲル側の司令官が命じた。ゆっくりとリオン号は、ユートパク艦に船首を向けて近づいて行った。その脇腹ぎりぎりまで近づいたところで、ユートパクス艦は、じりじりと向きを変え始めた。
ゆったりとしたリオン号の追尾を受けながら、ユートパクスのフリゲート艦はイスケンデル港内に戻っていった。
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※お読み頂き、ありがとうございます!
Ⅱ章 海から吹く風 はここまでです。
明日、ラルフの甥を含む
長い話で恐縮ですが、肩の力を抜いてお楽しみ頂ければ幸いです
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