ジウの嫉妬
オーディン・マークスを捕まえる手柄はアップトック提督に譲ったと、ラルフは言った。しかし、悪運の強いオーディン・マークスはアップトック提督の偵察を潜り抜け、ユートパクスへの帰還を果たした。
そして、クーデターを起こした。革命政府を倒し、自らが政治の実権を握った。
ザイードには、まだ、ユートパクス軍が残っている。総司令官がいなくなり、彼らはどうするつもりなのか。
「その件なら、話はついてる。新司令官のワイズ将軍は、話の分かる男でな」
にやにやとしまりのない顔で、ラルフが笑っている。この男は、俺と一緒の時は、いつもこんな顔だ。仮にも戦艦を統率しているのだから、もう少し、威厳を持って欲しい。
我が物顔で俺の肩を抱き寄せようとする。
「ラルフ……」
肩の手を払いのけると、傷ついたような表情になった。
「だって二人は恋人同士なんだろう? 君はそれを認めたじゃないか、エドガルド」
「俺は未成年だ。つまり、ジウは」
頬に音を立てて血が登っていくのが感じられる。小声で、殆ど囁くように俺はラルフに哀願した。
「18歳になるまで待って欲しい」(*1)
ウテナでは、そしてユートパクスやラルフのアンゲルでも、成人は18歳からだ。
「そうでなくても華奢なこの体が、君を受け止められるくらいに成長するまで、待ってくれないか」
ラルフの顔に、優しい表情が浮かんだ。この男はいつだって弱い者の側にいる。
しかし一瞬のことだった。我に返った彼は、まるでこの世の終わりのような顔になった。
「18歳だって! 君は今、いったい何歳なんだ?」
あまりの悲痛な様子に、思わず俺は噴き出した。
「17歳になった。18歳になんて、あっという間さ」
「あっという間? ええと、君の誕生日は若草の月の1日だから……」
「それはエドガルドの誕生日だ。ジウの誕生日は、霜置く月の10日」
「まだずっと先じゃないか!」
ラルフが膝から崩れ落ちた。
「そんなに長い間、しかも君の身近で暮らしながら、俺は禁欲生活を送らなければならないのか……」
その様は、思わず謝らなければ済まされないほど、みじめで痛々しかった。
「ごめん、ラルフ……。ジウは、とにかく虚弱なんだ。だから……」
「そうだろうよ」
「俺だって、そのう、……」
思い切って先を続けた。きちんとした教育を受けた元貴族としては、大変な努力が必要だった。
「……一刻も早く君とヤりたい。18歳になるのがまちきれないくらいだ」
ラルフの顔が、ぱっと明るくなった。
「そういうことなら。俺はてっきり……、」
言葉を濁す。
「てっきりなんだ?」
「いや、」
日頃、単純明快を好むラルフが珍しく言い澱んでいる。
「なんだよ」
「そういう理由ならいいんだ。俺は、未成年に手を出すような鬼畜じゃない。もちろんジウ王子の体は、大切に扱わなくちゃならない」
心掛けは立派だが、苦渋の表情がまだ残っている。俺は、さっき彼が言いかけたことが気になった。
「ラルフ、君、何か言おうとしてたろ?」
「なにも」
ケロッとした顔で惚けている。さらに問い詰めようとした時、彼は両手を打ち鳴らした。
「そうだ、エドガルド! いいや、ジウ。この船にユベール将軍が来る」
「シャルワーヌが!?」
不意打ちで聞いたその名に、俺の胸が激しく鼓動を打ち始めた。
あの男のことは、上ザイードに置いてきたはずなのに……。
口から飛び出しそうなほど高鳴る胸を、両手で押さえつけた。そんな俺の様子を、ラルフがじっと見つめている。ひどく
「これは、ジウの体が勝手に反応しているだけだ」
「わかってる」
慌てて説明すると、訳知り顔に彼は頷いた。
「わかってるよ、エドガルド。ジウ王子は、シャルワーヌのことが好きだった。その残存思念がまだ君の体に残っていて、彼の名に反応するんだよな」
「そうだ」
「それだけだよな」
しつこく念を押すので、むっとした。
「当たり前だろ? シャルワーヌは王を裏切った。俺の敵だ。それより、」
震えずにその名を口にするのには努力が必要だった。
「彼が来るのか? この船に?」
「ああ」
ラルフが答える。ぶっきらぼうな声だった。
「何しに?」
「和平協定を結びに。新司令官の全権大使として」
「新司令官? 全権大使?」
「うん。オーディンの後任者で、現ユートパクス軍総司令官のワイズ将軍は、すぐにでもソンブル大陸から撤退したい意向だ」
こっそりイスケンデル港から帰国したオーディンは、自分の後任にワイズ将軍を指名した。
「彼には会ったことがある。シュール港で、危うく捕まりそうになった。だが彼は、俺達を放免してくれた。エドガルド、君に貰った通行証に免じて(*2)」
その通行証を発行したのは、シャルワーヌ・ユベールだ。シャルワーヌ……その名を、しかし、ラルフはわざと省いた。
「好戦的なオーディン・マークスと違って、新司令官のワイズ将軍は、これ以上の戦いは無益だとわかっている。彼は、麾下の兵士達を無駄に死なせるようなことはしない。そうそう、ワイズ将軍は、オーディンから司令官を押し付けられて、怒り狂っていたよ」
オーディンは、自分の後任に直接ワイズ将軍を指名するのではなく、手紙を書き残していったという。
俺は下唇を噛んだ。
「卑怯なあいつらしい。ワイズ将軍と面と向かって言い出せなかったんだ。なにせ、軍をずたぼろにしたのはあいつ自身だからな。それなのに、自分だけこっそりと逃げ出して」
俺の剣幕に、ラルフが鼻白んだ顔をしている。
「よっぽどオーディン・マークスが嫌いなんだな。まあ、俺も嫌いだが。あの男は、エドガルド、君を殺した」
その件はもういい。いや、よくはないが、こうしてジウに転生を果たした今、それほど問題だとは思えない。それより俺には、怒りが治まらぬことがある。
「あいつ、俺のこと、こいがたきだとかぬかしやがって」
ラルフがきょとんとした。
「こいがたき? だって? それはいったいどういう……」
「横恋慕だよ。オーディンはシャルワーヌのことを愛している」
ユートパクスのフリゲート艦の中での、オーディン・マークスの不可解な言動の謎が、ようやく解けた気がした。
オーディンは、シャルワーヌを愛しているのだ。だから、しきりと彼の無事を知りたがった……。
「ちょ、ちょっと待て。横恋慕ってなんだ? 君はシャルワーヌのことなんかなんとも思ってないと言ったばかりじゃないか。彼は自分の敵だと、はっきり言った」
悲鳴のような声でラルフが問い質してくる。
「そうだよ?」
「だったらなぜ、オーディンの恋敵なんだ? 彼はシャルワーヌを愛していると、確かに君は……、」
「ジウ王子だよ!」
「ジウ王子?」
「オーディンの恋敵は、ウテナの王子、ジウだ」
「あ、」
ラルフは、虚を衝かれた顔になった。
「確かに
「そうだ。それにジウ王子は、オーディンのことをひどく嫌っていた……」
シャルワーヌが、オーディンに会いに首都マワジへ行くと言った時……。ジウは、怒りにも似た感情を抱いた。あれは、嫉妬だったのだ。憤激に我を忘れたジウは慣れない乗馬を試みたが、馬が暴れ、すんでのところで大けがをするところだった。
そしてまた、シャルワーヌがオーディンへの忠誠を口にするたびに感じた苛立ちと、オーディンへの強い憎しみ。俺はそれを、エドガルドとしてのオーディンへの憎悪だと思っていた。
違う。
いまようやくわかった。
これは嫉妬だ。
「それは本当に、ウテナの王子の嫉妬なんだろうな」
ラルフが念を押す。ひどく心配そうな顔をしている。
「当たり前だろ。いいか、ラルフ。ジウは、世間知らずな王子だったんだ。あんな男でも、シャルワーヌは、自分を保護してくれるおとなだ。ジウが彼に恋をしても、少しも不思議じゃない」
「そしてオーディンも、ユベール将軍を愛していると?」
「すくなくともジウはそう信じていた。いや、今では俺もそう思うね。フリゲート艦でのオーディンの態度は異様だった。シャルワーヌの安否だけを、しきりと知りたがっていた」
「君は何て男を恋敵に回してしまったんだ、エドガルド!」
「だから俺じゃないって! ジウだ!」
しかしラルフは答えなかった。頭を抱え込んでしまっている。
「なあ。シャルワーヌが来るって話、」
ラルフの肩を揺すると、彼は顔を上げた。
「シャルワーヌだけじゃないぞ。これは、ユートパクスとタルキア帝国との戦争だからな。タルキアの大使も2人来る。ユートパクスとタルキア帝国の黄金の懸け橋となるべく、俺は両者の調停役を買って出た」
「シャルワーヌは、二人も相手にするのか?」
「ユベール将軍の話ばかりして! 俺の役割を褒めろよ! 黄金の懸け橋だぞ、俺が目指しているのは!」
ラルフがむくれた。
「俺が、シャルワーヌの話ばかりしている? そんなことはないぞ、ラルフ。君の役割は立派だ。黄金の懸け橋になるなんて、素晴らしいじゃないか」
ラルフはいくらか、機嫌を直した。
「いいや、ユベール将軍は、一人じゃないよ。ユートパクスからもう一人来る。軍人じゃなくて革命政府の委員で、ペリエルクという名だ」
「ペリエルク!」
頭痛に近い脈拍が、側頭部、耳のすぐ上あたりで疼いた。マワジの船着き場で、オーディンが口にした名前だ。その名を聞いた途端、俺はひどい頭痛に見舞われて、意識を失った(*3)。
今回はあそこまでの頭痛はなかったが、何かとてつもない不吉なものを感じる。
「ラルフ。そいつ、なにか企んでる」
「なにか?」
ラルフはきょとんとした顔をした。
「オーディンのやつ、ジウが生きてることにひどく驚いてた。彼はペリエルクから、ジウは死んだと報告を受けたと言っていた」
「なぜペリエルクがジウ王子の死の報告を?」
「わからない。けどオーディンは、しつこくシャルワーヌの無事を尋ね、そして言った」
……「良かった。計画は失敗したのだな」
ラルフの顔色が変わった。
「エドガルド……いや、ジウ。君が意識を失ったのはいつだ? つまり、本物のジウ王子が」
「俺が転生し、意識を回復する半年ほど前だそうだ。去年の花の月の2日だと聞いた」
アソムがそう言っていた。
ラルフの顔に驚愕の色が浮かんだ。
「その頃、ペリエルクは上ザイードを訪問している」
「なんだって!」
「オーディンはエイクレにいた。君が……」
言いかけて声を落とす。
「俺が死んだ日だ」
皆まで言わせず、俺は言った。ラルフが俺の死を悲しんだであろうことは、よくわかっている。
感情を振り切るようにラルフは頷いた。
「あの頃……エイクレ要塞を包囲していた頃、オーディンの兵士達は疲れ切っていた。無理な進軍と疫病の流行のせいで」
当時のユートパクス軍の内情を話し始める。
「オーディンの兵士らは次第に反抗的になり、中には
確かに、あのオーディンなら、それくらいのことはやりそうだ。たとえ相手が、自分の愛する男であっても。いや、愛する男であればあるほど、オーディンの猜疑は強まるといっていい。
彼が派遣したのがペリエルクだった……。
「この情報は間違いがない。なにしろ、俺自身が、オーディンの手紙を略取したんだから」
ラルフは自信満々だった。俺は呆れた。
「ラルフ、君は今でも海賊の真似事をしているのか?」
昔、ラルフは海賊だった。義憤に燃えて私掠船を操り、ユートパクス戦艦を焼き打ちしていたところを、祖国アンゲルの海軍にスカウトされたのだ。
「通信の略取は、情報戦の初歩さ。俺はアンゲルの為に、敵の指令や手紙を傍受している」
けろりとしてラルフは言い放った。
俺は首を傾げた。
「すると、ジウは、ペリエルクの上ザイード訪問前後に、病に倒れたことになるな」
「訪問直後だ」
日付を確かめ、ラルフが断言する。
「体が弱いと言いながらも、ジウ王子は普通に暮らしていたんだろ? その彼が、ある日突然、何の前触れもなく重病になるなんて、おかしな話だよな。しかも、首都からの客人が到着した直後に。そこらあたりを、なぜ誰も調べようとしなかったんだろう」
俺と同じ疑問に、ラルフもたどり着いたようだ。
「初めてペリエルクの名前を聞いた時……マワジの船着き場で、オーディンから……、俺は、耐えきれないほどの頭痛に倒れ込んでしまったんだ」
「それは、ジウ王子絡みの何かだな。残された体が反応しているんだ。あるいは、ジウの感じた強い恐怖……」
言いかけて、ラルフは口を噤んだ。
しばらくの間、俺達は顔を見合わせて黙り込んでいた。
「いずれにしろ、ペリエルクはユベール将軍と一緒に来る。いいか、油断するなよ、エドガルド」
ふだん、おちゃらけたことしか言わないラルフの真剣な表情に、俺は彼の深い危惧を感じ取った。
「わかった」
「俺はもう二度と、君を失いたくないんだ」
そう言って、彼は強く俺を抱きしめた。
________________
*1
受けが18歳になるまで攻(達)は我慢! これが、コンプライアンスを逆手に取った、この小説の読みどころのひとつでございます。ま、他のところでやりたい放題やってますが
*2
Ⅰ章「砲兵隊長」、ご参照下さい
https://kakuyomu.jp/works/16817330665612772654/episodes/16817330666194542505
*3
Ⅱ章「恋敵/アンゲル艦の襲撃」、ご参照下さい
https://kakuyomu.jp/works/16817330665612772654/episodes/16817330666724360596
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