砲兵隊長
※残酷な場面があります
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船へ戻るには、丘を越える必要があった。
丘では公開処刑が行われる。処刑場の回りには、人だかりができていた。
「大丈夫か?」
振り返り、ラルフは尋ねた。
ラルフの後をついてきた人々は頷いた。エドガルドの配慮か、彼らは囚人服から着替えていた。これなら処刑逃れの囚人だとは気づかれまいと、ラルフは思った。
いざとなったら、ユートパクスの国境警備隊長の書状もあることだし。
丘の上では、軍楽隊が華やかに演奏を始めていた。ラルフも節だけは知っている革命歌だ。見物の市民達が曲に合わせて歌い出す。彼らは革命政府派だ。敵を殺せ、血を見せよと、何度も繰り返している。その敵の中には、アンゲルも、そして今は、ラルフ自身も含まれている。随分残酷で野卑な歌だと思った。
不意に、楽器の音が途絶えた。
「大砲準備!」
張り上げた大声が叫んだ。
ラルフは耳を疑った。先ほど別れたばかりの王党派の青年は、処刑は斬首ではなく銃殺だと言っていた。
が、大砲? マスケット銃ではなく?
大砲で死刑囚を砲撃するというのか?
信じられない。
すっかり血の気の失せた同行者たちを仲間に託し、彼は人垣を掻き分けていった。見物人の肩と肩の間から、身を乗り出す。
指揮官の姿が見えた。あれが、エドガルドの言っていた学友だ。大砲と砲撃手の傍らにすっくと立っている。
小柄で痩せた男だった。胸を張り、虚勢を張っているが、どう見ても、
「おいあんた、押すなよ」
ラルフに押しのけられた見物人が、不満そうに振り返った。
「いやあ、すまんすまん」
言いながら彼は、さりげなく帽子の庇を下げた。
囚人たちは、一列に並ばされていた。大砲準備の合図に、たまらず座り込んでしまった者もいる。
「発射!」
爆音が轟いた。まるで直近に雷が落ちたようだ。この大砲に、アンゲル海軍も撤退に追い込まれたのだ。
砂埃が巻き上がり、硝煙の匂いが立ち上る。
凄い威力だ。しばらくは何も見えないし、何も聞こえなかった。
硝煙の霧が晴れた。
耳を塞ぎ、しゃがみ込んだ見物人の向こうに、大きな穴が見える。死刑囚達は、穴の近くに、折り重なって倒れていた。恐ろしいことに、彼らの体はばらばらだった。
しかし、少し離れていたところに座り込んでいた者たちは無事だった。彼らは、大地に突っ伏し、生きて延びていた。
……一度の砲撃で、全員を殺せるわけがないんだ。
端の方であんな風に地面に突っ伏されたら、大砲では殺すことができない。
全員が死ぬまで砲撃を何度も繰り返すとしたら、生き残った死刑囚にとって、これほど残酷なことはない。弾や火薬だって、無限にあるわけではないだろう。いったいどうするつもりなのか。
隊長の大音声が轟いた。
「これで、革命政府による制裁は果たされた。王に加担するという不正は正されたのだ。残った者は、速やかに立ち上がり、家に帰るがいい」
ラルフは感動した。
政府に逆って囚人を助ければ、この隊長自身が罪に問われるだろう。司令官クラスの将校が何人も斬首されたのを、ラルフは知っている。
だからこのような形で、彼は、囚人を救ったのだ。
そういえば、エドガルドは学友の名前を告げなかったと気がついた。
「あの隊長の名は?」
近くにいた見物人に、ラルフは尋ねた。
「知らないのかい。彼こそが常勝将軍、オーディン・マークスさ」
大砲の音に驚き、尻もちをついたくせに、見物人は、得意げに答えた。
「オーディン・マークス……」
それは、新しい砲兵隊長の名だ。アンゲル軍を撤退に追い込んだ……。
恩赦と聞いて、うつ伏せていた囚人たちが、もそもそと立ち上がりはじめた。
「発射!」
再び轟音が轟いた。
一発目で生き延びた囚人たちは、その全員が、二発目の砲撃で殺された。
ラルフは、オーディン・マークスの本性を見た気がした。
そして、エドガルドが友の名を出し渋ったわけも。
暗い気持ちで人垣を離れ、仲間と合流した。
さっきエドガルドがしたように、小さい女の子の頭を撫で、この子が無事であることの奇跡を思った。
「待て」
丘を下り、船の間近まで来た時だ。
一行は、ユートパクスの兵士に呼び止められた。
「どこへ行く。この先は船着き場だぞ」
「へえ。置き網漁の船をおいてありますんで」
言い訳は考えてあった。
「置き網漁? お前、アンゲル人だろ。後ろにいる女と子どもらは、ユートパクス人だよな」
「俺っちの弟が、入り婿に入ったんで」
ラルフが言うと、部下の海賊が、一番年かさの女性の腕を取って、歯を剥きだした。笑ったのだ。
親しくもない男に触れられて、女性の体が強張った。
兵士の目が鋭くなった。
「怪しいな。通行証はあるのか」
祈るような思いで、ラルフは胸の隠しから書状を取り出した。エドガルドが手渡してくれたものだ。
文字を読み慣れていないのか、兵士は苦労して読み下している。
「なんだ。何をしている!」
なかなか戻ってこない兵士に痺れを切らし、上官の将校がやってきた。
……まずいな。
俯き、ラルフは思った。通行証に署名したシャルワーヌ・ユベールという将軍に、どれほどの力があるのかわからない。その上、自分たちが連れているのは、脱走した死刑囚だ。
ユベールとこの上官、どちらの身分が上か知らないが、今目の前にいる将校に疑われたら、それで終わりだ。
部下の海賊が、ふがふがと鼻を鳴らすのが聞こえた。いざとなったら強行突破だと言っているのだ。
「いやその、こいつら、書類を持ってるんですよ」
兵士が報告した。
「シャルワーヌ・ユベール将軍の書いた」
「シャルワーヌの? 見せてみろ」
兵士が渡した書状に、将校はさっと目を走らせた。
「間違いない、彼の字だ。この丸まっちい、女の子みたいな字は!」
「ご存じなんですか、ワイズ将軍?」
「ご存じも何も、東の国境地帯では有名人だぞ。彼が言うなら大丈夫だ。通せ」
ラルフは全身から力が抜ける思いがした。だが、まだ油断はならない。部下の兵士が嫌な目で彼と部下を見ている。
「でも、男二人はアンゲル人ですぜ? 通行証に書かれているのは、ユートパクスの姓なのに」
エドガルドという名前は、アンゲルでもある。だが、フェリシンというのは、ユートパクスの姓だ。それも、地方貴族に多い。
さきほど手下がへたな芝居を打ったせいで、この兵士は、疑いを強めたようだ。
「お前、シャルワーヌを疑うのか?」
だが、ワイズと呼ばれた将軍は部下を叱りつけた。
「あやつほど祖国に忠実な男はおらんわ。政府からの配給不足で汲々としているくせに、賄賂は一切受け付けず、清貧というか、ど貧乏を貫いている。時々、アホなんじゃないかと思うくらいだ」
「はい?」
兵士は首を傾げた。
ラルフとその一行は、はらはらしながら、二人のやり取りを見守るしかない。
「シャルワーヌが保証するなら、アンゲル人だろうがウィスタリア人だろうが、この男の身元は確かなんだろうよ」
そこでワイズは声を潜めた。
「いい
「どうだったっすか、俺っちの演技」
二人の兵士から遠く離れ、声が聞こえなくなったところで、部下の海賊が尋ねた。
「演技ぃ?」
繰り返すラルフの声が裏返る。
「だから、ほら。彼女と夫婦のフリしたっしょ」
後ろから来る女性を露骨に振り返りながら、だらしなく笑み崩れた。
途端に、彼女の顔から表情が消えた。
「この三文役者が!」
思わずラルフは怒鳴った。
「いきなり女性の腕を掴むような真似しやがって」
「役得っすよ、役得」
部下は嬉しそうだ。ラルフは憤懣やるかたない。
「相手の反応を予想してからやれ! 清純な女性の体に触れるとは何事か! 危うく疑われるところだったじゃないか!」
「へっ!? だって、無事、ユートパクスのやつらを騙くらかして、ここまで来れたじゃないっすか」
「それはあの書状のお陰だよ」
ワイズという将軍は、何かを感じたのだろうか。港へ向けて通らせてはくれたが、書状は返してくれなかった。
部下は鼻を鳴らした。
「俺らは、そのシャル、なんたらいう将軍に救われたわけっすね、ユートパクス軍の」
「うん。俺がそいつの関係者だと誤解され……」
……「大事なワケアリ」
ぴたりとラルフの足が止まった。
座り込み、両腕で頭を抱え込んだ。
「ど、どうしたんすか、親分!」
「俺とやつは無関係だ。いいな!」
「やつ?」
「シャルワーヌ・ユベールだ」
「シャル……、当たり前じゃないっすか。誰が、ユートパクスの将軍なんかと! 第一、親分、会ったこともないっしょ」
「その通りだ」
……関係があったのは、あの赤毛の青年だ。ニヒルを装っているくせに、純粋な魂を持った、あの……。
悔しさがこみあげてきた。
「順番が逆だ」
「はい?」
「俺が最初に出会えばよかった」
「親分。今日は一段と変ですね」
「行くぞ」
一行を従え、再びラルフは歩き始めた。
ツバメ号がシュール湾を離れてから、数分後。
轟音と共に、湾岸各地の倉庫が爆破された。
沖へ逃れたユートパクス戦艦は、待ち構えていたアンゲル艦隊に一斉砲撃され、その大半が炎上、または海の藻屑と消えた。
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