ファースト・コンタクト

 極秘裏に、ラルフと手下はシュール湾から上陸した。


 町の様子は異様だった。そこここを、青い軍服のユートパクス兵が歩き回っている。 

 それに対して、港周辺の倉庫は、閑散としていた。味方の勝利に、ユートパクス軍は警戒が緩んでいるようだ。


 隙を見計らって、ラルフと手下は、火薬を仕掛けた。少し離れた所にある倉庫にも、仲間が爆薬を仕掛けている。今日中にシュール湾沿岸のユートパクスの兵站(倉庫を含む軍事基地)は、壊滅状態になるはずだ。


 倉庫から出たラルフ達の耳に、歓声が届いた。丘の上の一角、広場に人が集まっている。兵士だけでなく、市民も大勢いた。革命派の市民だ。

 軍楽隊の演奏する革命歌が流れてくる。


 「君らも公開処刑を見に行くのか」

 ラルフの方へ身を屈め、通りがかりの男が囁いた。グレーのコートに全身を包み、帽子で顔を隠すようにしている。

 「アンゲル人とお見受けしたが」


 ぎょっとしてラルフは立ち止まった。

 シュールは港町だから、いろんな国籍の人間がいる。中にはアンゲル人の商人がいてもおかしくない。しかし、海戦で負けたばかりの今、ことさらにアンゲル人であることを公にしたくなかった。


「公開処刑と言ったな」

 掠れた声でラルフは尋ねた。ユートパクス語には自信があった。親の授けてくれた教育の賜物だ。

「王党派の処刑か?」


 男は頷いた。鼻筋の高く通った、まだ若い男だ。剛球にも似たプラチナ色の目が、ラルフを見据えている。帽子の下からはみ出した髪は、アッシュブロンドだった。自分より年下だなと、ラルフは思った。


「捕まった蜂起軍の処刑だ。中には王党派もいる。これから何千人も斬首されるのだ」


 彼が言うと、下から怯えた声が沸き上がった。

 青年は、5人ほどの民間人を連れていた。女性と、少女も二人いる。

 怯えた声は、小さい方の子の挙げた声だった。その子の手をしっかりと握り、若い娘ががたがたと震えていた。


「大丈夫だよ」


 囁き、悲鳴を上げた女の子の頭を男は撫でた。驚くほど優しい、滑らかな声だった。

 名乗る必要を、ラルフは感じた。


「私は、アンゲル私掠船のラルフ・リールだ」


 驚いたように、またボスの軽率さを咎める為に、ラルフの手下が袖を引いた。にっこりと笑い、彼は手下の手から袖を引きぬいた。


「この人は王党派だよ。連れている人たちも、恐らく。コートの下で見えにくいが、ほら。彼は、藍色のスカーフをしている」


 藍色は、ユートパクス王家の旗の色だ。

 青年は舌打ちし、コートの前を掻き合わせた。


「アンゲルの私掠船といったな。ラルフ・リール、君に頼みがある」


「頼み?」

だいたい、見当はついた。確かめる為に尋ねる。

「この人たちも、王党派だな」


青年は頷いた。


「彼らは、今日が処刑予定だった。囚人運搬の御者に話をつけて、やっと5人、救い出せた。角を曲がる時に、こっそり振り落としてもらったんだ。朝から5回の運搬で、一人ずつ……。お願いだから、この人たちを君の船に乗せてやってくれ」


「うーん」


 ラルフは唸った。

 この後、ラルフの船は沖へ出て、港から出てきたユートパクス軍のフリゲート艦を向かえ撃たなければならない。


「これを渡す」


 ラルフの逡巡を何と思ったか、胸の隠しから、男は書状を取り出した。

 手渡され、ラルフは驚いた。



「この書状を所持しているエドガルド・フェリシンは、ユートパクス革命政府に対し、いかなる害意も持ち合わせていない。彼は心から革命の精神に共感し、身も心も共和国に尽くすことを証明する。

   国境警備軍隊長シャルワーヌ・ユベール」



「シャルワーヌ・ユベールって誰だ?」

「そこにある通りだ。ユートパクスの将軍だよ」

 冷たい声だった。

「君は、革命派なのか、エドガルド」


 下手をすると、自分の身が危ないかもしれないと、遅まきながらラルフは危惧した。部下の言った通り、名前と身分を教えたのは軽率だったのかも。


「違う。俺は、デギャン元帥麾下の亡命貴族だ」


 もう一度、ラルフは驚愕した。ユートパクスの亡命貴族? 亡命貴族がなぜ、革命政府の国境警備隊長の書状を持っているのだ? しかもその書状は、彼の身元を保証している。


「どういうことだ?」


 ラルフは詰問した。自分たちはアンゲル海軍の作戦を遂行中だ。ことと場合によっては、この青年をここで殺す必要がある。


「革命軍の将軍が、俺を逃したのさ」

再び、無関心そうな声だった。

「だからなぜ?」


 自分に便宜を図ってくれた将校への、彼のあまりの冷淡さが、ラルフは引っかかった。逆に、肉親の間に垣間見えるような、遠慮のない親密さを見た気がしたからだ。

 エドガルドは首を横に振った。


「詳しい話をしている余裕はない。この書類さえあれば、安心して町から抜け出すことができる」

「君はどうするのだ」

「仲間と合流する。国境越えの時、はぐれてしまったんだ。彼らが革命軍に捕まっていないといいのだが」


 国外に亡命した王党派の、国境越えとは!

 恐らくそこで彼は、警備隊に捕まったに違いない。その後、どういう経緯か隊長に目こぼしされ、臨時の通行証まで出して貰った。


 それなのにこの青年は、再び仲間と合流しようとしている。それも、恐怖政治が行われている祖国ユートパクスの、革命軍が蜂起を鎮圧したばかりのシュエル地方で。

 まともな神経では考えられない。この青年の身が、本気で心配になってきた。


「合流して、どうする気だ?」

さらに問い詰めずにはいられなかった。

「決まっている。ブルコンデ17世を擁立し、再びこの国を王の手にお返しするのだ」

「ブルコンデ17世は、行方不明だと聞いた。噂では、獄中密かに毒を盛られたとか」

「……」


 その噂は、エドガルドも知っているようだった。彼は胸の前で両手を組み合わせ、祈りの形を取った。


「ならば、叔父上の18世に。そして祖国に神を取り戻す」


 革命は神を否定している。この青年は、ユートパクスを革命前の状態に戻そうとしている。

 ラルフは言わずにはいられなかった。


「知ってるか? ブルコンデ18世というのは、病気がちな、豚によく似た顔のおっさんだぞ。その上、一人で立っていることもできないくらい太っている」


 同行の人々の、痛いくらいの視線を感じる。固唾をのんで成り行きを見守っていた彼らは、今、明らかな非難の眼差しをラルフに向けていた。


「関係ない。民には王と神が必要だ」


 信心深い田舎の農民たちは、神の許しを受けずに死ぬことを恐れていた。革命政府が、神の存在を否定したから、死に際に、彼らは、神の許しを得られなくなったのだ。

 シュエル地方の農民蜂起は、神を否定された農民らの不安と怒りも、その一因となっていた。


 ラルフにだけ聞こえる小さな声で、エドガルドは付け加えた。


「俺は、神を信じてはいないが」

「よかろう。この人たちは、このラルフ・リールが預かった」


 神を信じないと言い切った王党派の青年の手助けをしたいと、ラルフは思った。

 ツバメ号でおとなしくしてくれていたら、多少の船酔いはしても、この人達をどこかに再上陸させられるだろう。少なくともここに留まるよりは安全だ。


 「恩に着る」

少しためらってから、エドガルドは続けた。

「シュールでの処刑担当の銃殺隊の隊長は、俺の士官学校時代の同級生だ。彼が無実の人を殺すのを、一人でも少なくしてやりたい」


「銃殺隊?」

ラルフは聞き咎めた。

「斬首専用の処刑台が開発されたのではなかったか」


「足りないんだとよ。死刑囚の数が多すぎて」

エドガルドが吐き捨てる。


「それで、君の学友にお鉢が回ってきたんだな」

「彼とは、格別親しかったわけではない」

「ふうん」


 いささか繕ったような言い方だったが、ラルフは気に留めなかった。

 学生だった頃のエドガルドを想像して、思わず口元が緩む。全体的に色味の薄いこの男が、まじめな顔をして机の前に座っていると考えただけで、笑みがこぼれる。

 エドガルドは、後ろに固まっていた元死刑囚達に目を向けた。軽く会釈すると、目線をラルフに戻す。


「ではこれで」

「待て!」


 駆け去ろうとしたエドガルドを、ラルフは引き留めた。

 彼は、軍備倉庫の方へ向かおうとしていた。


「そっちへ行ってはダメだ。間もなく爆発が起きる」

「爆発?」


 目を丸くした。クールでニヒルな外観が崩れ、年齢相応の無邪気さが顔を覗かせる。

 ひどく心を惹かれた。

 もったいぶって、ラルフは頷いた。


「俺は、アンゲル海軍の為に働いている」

 瞬間、彼は全てを悟ったようだった。

「君たちの成功を祈る」

 白い歯を見せて微笑むと、エドガルドは、兵站とは逆の方向へ走り去っていった。







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