私掠船
ラルフ・リールは海賊だった。
彼はアンゲルの裕福な家庭の出身で、しかるべき教育を受けた弟は、タルキア帝国の大使となって赴任していた。
しかるべき教育はラルフも受けさせてもらったのだけれど、性に合わなかった。それで学費をちょろまかして船を手に入れ、海賊になった。
東方のタルキア帝国には、アンゲルやウアロジア大陸の国々と違い、独自の倫理観があった。海賊ではあったけれども、ラルフはしばしば弟と共に、タルキア宮廷に出入りするようになった。
ユートパクスで起きた革命は、ラルフの心を揺さぶった。アンゲルでは奴隷として扱われていたソンブル大陸の人々を、ユートパクスの革命政府は、市民として受け入れた。
自由とは、平等とは、なんと素晴らしいものだろうと、ラルフは身が震えた。なんとかして、アンゲルでも革命を起こせないものかとさえ、彼は思案した。
ラルフが革命に疑問を抱いたのは、ユートパクスの国王と王妃が斬首された時だった。それを機に、革命政府に異を唱える人々が、次々と、処刑されていった。根拠のない密告を理由に、ろくに裁判を受けることもできないまま。もちろん、無罪の人も大勢いた。
一日に数千人の人々が首を切られ、殺された。街は、血の匂いで満ち溢れているという。処刑が間に合わないので、斬首専用の処刑台まで開発された。
おかしい、とラルフは思った。自由と平等が、なぜ恐怖政治になってしまったのか。ユートパクスが、隣人の密告を恐れ、縮こまって暮らす監視社会になってしまったのはなぜなのか。
時を同じくして、ユートパクスは、周辺諸国への侵略を始めた。
最初、革命戦争は、未だ専制君主の支配下にある諸国民の解放を目指していた。少なくとも革命政府はそう豪語していた。
そんなのは言い訳だとすぐにわかった。ユートパクスは周辺諸侯の領土を巻き上げ自国の領土とし、あるいは傀儡国家として税を取り立て始めたのだ。
ラルフは、義勇の海賊だった。ついに彼は、ユートパクスの敵に回ることを決意した。自分の船を「ツバメ号」と名付け、アンゲル国の私掠船となり、戦闘に参加した。
私掠船とは、政府の許可を得て敵国の船を攻撃し、その船や積み荷等を奪う。ラルフは、いわば、アンゲル国のお墨付きで、ユートパクス船舶を襲う権利を手に入れたことになる。
ユートパクスの船を襲い、物資を奪うのは、至極の楽しみだった。親の期待に沿えなかった自分が、国の役に立てているという、充実感があった。生きている、という実感が湧いた。
今から4年前。
ラルフの船に、アンゲル海軍から、戦闘への参加要請が来た。当時アンゲル軍は、ユートパクス南西の要塞都市シュールで戦っていた。
周辺諸国への侵略戦争で兵力の不足を実感したユートパクス革命政府は、国民徴兵を実行に移した。また、強力な中央集権を目指し、物資を首都へ吸い上げた。
一家の働き手を兵隊に取られ、困窮した農民達には、不満がくすぶっていた。
これに、王党派が結びついた。特にシュール港のあるシュエル地方は、元々、王党派の強い土地柄だった。王党派の指揮の元、農民達は団結し、革命政府に対する大規模な蜂起を起こした。
シュエル蜂起軍は、ブルコンデ17世を王に擁立した。17世は、王妃と共に処刑された16世の息子だ。幼い彼は首都に監禁されていたはずだが、いつの間にか行方不明になったとされている。
幼王不在のまま、蜂起軍は王家を支持した。
激怒した革命政府は、強力な鎮圧軍をシュエル地方に送った。自分の国に追い詰められた鎮圧軍は、アンゲル王国の軍隊に救援を求めてきた。
戦闘の正義は、確実にアンゲル軍にある。その母国海軍から、海賊のラルフに参加要請が来た。今までの私掠の実績を買われたのであろう。
……晴れてユートパクスとの戦闘に参加できる。
喜びとも畏れともつかない気持ちが、ふつふつと、ラルフの胸にこみあげた。希望に燃えて彼は、ツバメ号をシュール湾に乗り入れた。
しかし上陸もせぬうちに彼が見たのは、シュール要塞から滅多撃ちにされ、敗北しかけている味方の艦隊だった。
途中までは、優勢だった。ところが敵の砲兵隊長が挿げ替えられた時点で、潮目が変わったという。
若い砲兵隊長の名は、オーディン・マークスといった。
「おいおい、このまま黙って撤退する気か?」
シュール沖合で経緯を開かれたラルフは激昂した。
「栄えあるアンゲル海軍が。軟弱大陸国家ユートパクスに、おめおめと背中を見せるのかよ!」
「じゃ、お前に何ができるんだよ! 陸軍はもう、撤退したんだぞ」
アンゲルの海軍将校は怒鳴り返した。要塞からの激しい砲撃に、船と誇りを傷つけられ、彼は苛立っていた。
不敵に、ラルフは微笑んだ。
「敵の船を焼く。一隻でも多く。もちろん、海辺にある武器貯蔵庫も、悉く」
ラルフの豪語したこの作戦は、瞬く間に、シュール湾作戦、海軍司令官の耳に届いた。
「やってみろ」
歴戦の強者、海軍司令官は一言、命じた。
「へ?」
ラルフは唖然とした。だって彼は軍人ですらない。一介の海賊だ。
……自分がやるのか?
「3隻の護衛船をつける。できる限り敵艦を破壊し、湾岸に備蓄された敵の武器を焼くのだ」
「しかし……」
私掠活動の傍ら、ラルフとその一味は、相手の船に積まれた火薬に火をつけて、爆破させるというお遊びに興じていた。
言うならば、彼には経験があった。敵艦爆破の。
しかし今度のこれは、お遊びではない。戦争だ。
「国王陛下の命令だ。うまくいったら、お前に戦艦を与え、海軍将校に取り立ててやる」
戦艦……それは、海の男の憧れだった。子どもの頃の彼自身の憧憬でもある。ラルフの胸は高鳴った。
弟の足を引っ張るばかりだったダメな長男が、栄えあるアンゲル海軍の将校になったら、両親の喜びはいかばかりだろう。そんな考えも頭をよぎる。
しかしなによりラルフは、大きなことがしたかった。
たとえば彼には、タルキア帝国高官との縁(それは、外交官である弟のお陰で手に入れたものだ)がある。アンゲルの海軍将校ともなれば、その縁を、もっと有効に使えるのではないか。
2つの大陸を結ぶ絆になるとか。この、ラルフ・リールが。
「
すでに海軍将校になったかのように、すり切れたブーツの踵を打ち鳴らし、ラルフは敬礼した。
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