藍太郎によれば観光遊覧船の乗り場は淡路島を通り過ぎ、鳴門北ICを降りて少し北に走ったところにあるという。


「藍太郎、コヤス。淡路島の玉ねぎは食べなくていいのか?」


 と聞けば、また二人で声を揃えて「玉ねぎ苦手ー」などという。小学生なのか?

 俺としては淡路島に寄りたいところではあるのだが、今日中に徳島に着きたい気分になっているので、寄り道するところは少ないに越したことはない。


「ひゃっほー、海だ海だ海だ!」

「ふーね、ふーね、ふーね!」


 遊覧船に到着すると二人はいっそう賑やかになった。かくいう俺も東京都西部ではお目に掛かれない海と真新しい遊覧船の組み合わせに、自然と胸は高鳴るのだが。

 そうしてお昼過ぎに出港する船に乗り込み、二階デッキのベンチに腰かけ、はしゃぎまわる藍太郎とコヤスと、そして海と空を眺める。


「あなた、美波みなみ鉄山てつざんの息子さんでしょ?」


 いよいよ鳴門の渦潮が見えてきたときになって、隣に座った白髪交じりの男性に話しかけられた。

 ああ、またか。


「ええ、まあ」


 顔を一瞥して、視線をすぐに空と渦潮と藍太郎とコヤスに戻した。


「突然話しかけてすみませんね。なにせ美波鉄山と言えば私らの世代のヒーローみたいなものだから、なにか言わないと気が済まないんですよ」

「はあ、そうですか。……では、ご主人も月を食べたいと願ったのでしょうか?」

「いいえ。私は願いませんでしたよ。正確には願ったんですけどね、ほら、私の視線の先、デッキの右隅で身を乗り出すように渦潮を見てる女性がいるでしょう? あれ、私の妻なんです。まだ、結婚する前の話なんですけどね、ああ、そのときも私の妻はとても美しくて――」


 長い。この惚気話のろけばなしは何分続くんだ? 渦潮終わっちゃうんじゃないか?


「――それでですね、私も鉄山みたいに生きたいって、結婚前の妻に言ったらですね、」


 やっと話が戻って来たけど、船も港に戻り始めちゃった。


「そんなことを言う人とは結婚してあげません! って怒られちゃったんですよ。この年になって思えば、月を喰ろうて逝ね、という言葉に憧れはしますけど、私には結局、普通の生き方で精一杯だったなと、やはり妻の言うことは正しかったのだなと思うんです。豪快な生き方って、家族は大変だなあとも思いますし」

「はあ、そうでしたか。おめでとうございます?」

「ところで、私の妻、きれいでしょう? 惚れたらダメですからね」

「いや、えーと、大丈夫です」



 *―*―*



「ひでえよ、ぎーちゃん。なんで玉ねぎ食わせたんだよ! 玉ねぎビームが出ちゃうじゃんよ!」

「うるさい。好き嫌いをする子は育ちませんよ!」


 玉ねぎビームは見てみたい。

 チラリと隣のコヤスを見るが、無理矢理玉ねぎを食べさせたせいか、俺の目線に怯えているようにも見えた。


 ――俺たちは今、千鳥ケ浜海岸で海を見ながら、のんびりしている。

 遅いお昼ごはんにみんなで海鮮丼を頼んだら、見事に玉ねぎが付いていた。それだけの話だ。


「なあ、コヤス。お前、どうして急にお父さんに会いたくなったんだ?」

「そうそう、おいらもずっと気になってたぜ」

「むー」


 なんだろう。同じ宿に泊まった仲なんだから、今さら恥ずかしがることもないだろうに。

 あ、口を開いた。


「実は私にはキンちゃんという許婚いいなずけがいてな、」


 許婚いいなずけ!? 婚約者!? フィアンセ!?

 こんな小っちゃい子に!?

 俺なんか結婚が思考の外にあるのに!?


「それがどうも父と仲が悪いみたいなんだ。それで、近々ケンカする予感がしたから」

「そっか。コヤスも大変なんだな」


 実を言うとケンカの一つや二つで何が大変なのかよく分からないが、こういうときはこう言っておくものだ。


「あの二人が本気でケンカすると殺し合いになっちゃうから」


 大変だった。恐いよ。カタギじゃない人なの?


「あのさ、部外者のおいらが言うのもあれだけど、きっと大丈夫。だから心配すんなよ、コヤスちゃん。ところでお父さんの名前はなんて言うんだい?」

「ロクエモン」

「ほーん、キンちゃんとり合いそうな名前だよねー」


 お前、さっきのフォローはどうした!?


「ごほん。……えーっと、それで俺たちはどこまで送り届ければいい? 徳島も広いからどこでもいいってわけにはいかない」

津田山つだやまだよ。そこのふもとの八幡様まで送ってくれれば大丈夫」

「早速おいらが天才的指さばきで調べてやるぜ!」


 そうして俺たちは、空がオレンジ色に染まるまで話をしていた。何を話したかなんて覚えていないが、楽しかったことだけは覚えている。残念ながら、夕陽は逆方向だったのだけど。



 *―*―*



「ギイチ、アイタロウ、ありがとう。私はお前たちの名前を後世まで語り継ぐよ!」


 高速道路の徳島津田ICを降りてしばらく。

 大きな満月の下でこんもりと横たわる低い山沿いに八幡神社を見つけて、コヤスと別れた。

 境内に向かって小走りで駆けていく小さな後ろ姿に、なぜか太い尻尾が見えた気がする。

 そして残された二人で、夜空に浮かぶお月様をぼんやりと眺めて言う。


「なあ、ぎーちゃん」

「うん」

「三日月の次って満月じゃないよね?」

「うん、俺も思った。俺たち、タヌキに化かされてたのかも知れないなあ」

「そいつはいいね。ところでさあ」

「うん」

「ぎーちゃんは会社、どうすんだい? 月を喰らってみちゃう?」

「……今のままでいいかな。月を食べたらコヤスが哀しむだろうしな」


 どこかで鼓の音がポンっと鳴った。



🌒月を喰ろうて逝ね🌕 ― 完 ―

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月を喰ろうて逝ね 津多 時ロウ @tsuda_jiro

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