殷仲文3 誅滅

殷仲文いんちゅうぶんが月初の挨拶を司馬徳文しばとくぶんにせん、と大司馬府だいしばふに赴いたとき、府中に老いたエンジュが植えられているのを見た。はじめ通過したのだが、やがて立ち止まると振り返り、嘆息する。

「なんとも精気のなきことだ!」

ここには東晋とうしん朝大司馬の権威に、と含意を見ることが可能だろう。


殷仲文にはもともと名望があり、我こそは朝廷の枢要に立つにふさわしい、と自認していた。しかし今となっては、謝混しゃこんらのような、過去に軽んじていた者たちと肩を並べねばならなくなっていた。そのことを常々憂いていた。そこに更に東陽太守とうようたいしゅ、会稽方面の山あいの郡への異動が決まる。不平の思いはいよいよ募った。


劉毅りゅうきは士人らの文才を愛していたため、普段より殷仲文とも交友を持っていた。異動に際しても、別離の宴を数日に渡って催した。


出立し、会稽と東陽との中間地点にあたる富陽ふように差し掛かる。殷仲文は嘆息しつつ、言う。

「この山川の形勢を見るにここからふたたび孫策そんさくのような英雄が立ちそうなものだが」

孫策と言えば富陽に籍を置く、劉姓の群雄である劉繇りゅうようを滅ぼし勢力を確立した人物である。その発言の意図がどこにあるかは明白であった。


何無忌かむきもまた殷仲文の文才を慕っていた。東陽とうようは何無忌の管轄である。州の総督たる何無忌のもとに挨拶に出向きたい、との話も受けていたため、何無忌は夜遅くまで飲みながら、府中の文人である殷闡いんせん孔寧子こうねいしに殷仲文に読ませるための文章を考案させた。しかし殷仲文は自らの栄達が断たれたことに呆然自失としており、ついに何無忌の元に寄るのを忘れてしまった。何無忌は自身を軽んじられたと思い、大いに怒り、殷仲文を内心で大いに批判した。


この頃、南燕なんえん慕容超ぼようちょうがしばしば攻め込んできており、劉裕りゅうゆうはその対策を練っていた。何無忌はそんな劉裕りゅうゆうに言っている。

桓胤かんいんや殷仲文こそが獅子身中の虫だ。北虜なぞどこに憂う必要があるのだ」


407 年、ついに殷仲文と駱球らくきゅうらは謀反をなした。この乱は速やかに鎮圧され、である弟南蠻校尉なんばんこうい殷叔文いんしゅくぶんともども誅された。


殷仲文は決起数日前、鏡を覗いたところ自らの姿が映らないのを見たと言う。


殷仲文は文章を得意とし、世に重んじられていた。このため謝霊運しゃれいうんはこう評している。

「もし殷仲文が袁豹えんひょうの半分でも本を読んでいたら、その文才は班固はんこにも負けなかっただろうにな」

文章を書いてばかりで、まともに読書をしていなかった、と言うのである。




仲文因月朔與眾至大司馬府,府中有老槐樹,顧之良久而歎曰:「此樹婆娑,無復生意!」仲文素有名望,自謂必當朝政,又謝混之徒疇昔所輕者,並皆比肩,常怏怏不得志。忽遷為東陽太守,意彌不平。劉毅愛才好士,深相禮接,臨當之郡,遊宴彌日。行至富陽,慨然歎曰:「看此山川形勢,當復出一伯符。」何無忌甚慕之。東陽,無忌所統,仲文許當便道修謁,無忌故益飲遲之,令府中命文人殷闡、孔寧子之徒撰義構文,以俟其至。仲文失志恍惚,遂不過府。無忌疑其薄己,大怒,思中傷之。時屬慕容超南侵,無忌言于劉裕曰:「桓胤、殷仲文並乃腹心之疾,北虜不足為憂。」義熙三年,又以仲文與駱球等謀反,及其弟南蠻校尉叔文伏誅。仲文時照鏡不見其面,數日而遇禍。

仲文善屬文,為世所重,謝靈運嘗云:「若殷仲文讀書半袁豹,則文才不減班固。」言其文多而見書少也。


(晋書99-35)




だいぶ世説新語。ほとんど世説新語。


老いたエンジュ

https://kakuyomu.jp/works/1177354054884883338/episodes/1177354054889298840

孫策

https://kakuyomu.jp/works/1177354054884883338/episodes/1177354054885237563

文才の話

https://kakuyomu.jp/works/1177354054884883338/episodes/1177354054891652192

ただ不思議なことに、最後のやつは世説新語だと傅亮ふりょうなんですよね。これ、おそらく晋書が正しいと思ってます。というのも傅亮が属する北地ほくち傅氏って、まぁいちおう先祖に西晋有数の文人(傅咸ふかん)がいたりはしますが、まぁ東晋末では劉裕の家とトントンくらいにまで落ちぶれています(劉裕の妹が北地傅氏に嫁いでいる)。そうすると、そう簡単に当時のトップ名族を評価できるとは思えません。あぁ、けどするのかな、劉宋元勲になった後なら。よくわかんないですが。


ともあれ、なんとも振り回され続けた悲惨な人生、殷仲文さんでした。

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