晋書巻100 孫恩盧循と譙縱
孫恩1 伯父とその師
杜昺が死ぬと、孫泰がその秘術を継承した。ただし軽佻浮薄で小狡い性格であり、その秘術を用いて人々を扇動し、愚かな者に至っては神のごとく敬うものが現れたりしていた。そうした者たちは財産も息子も娘も奉納品として差し出し、幸福を祈ったそうである。こうした有様は到底看過できたものでなく、
孫泰は天下の各所に兵が起ったことを
やがて
孫恩,字靈秀,琅邪人,孫秀之族也。世奉五斗米道。恩叔父泰,字敬遠,師事錢唐杜子恭。而子恭有秘術,嘗就人借瓜刀,其主求之,子恭曰:「當即相還耳。」既而刀主行至嘉興,有魚躍入船中,破魚得瓜刀。其為神效往往如此。子恭死,泰傳其術。然浮狡有小才,誑誘百姓,愚者敬之如神,皆竭財產,進子女,以祈福慶。王珣言于會稽王道子,流之于廣州。廣州刺史王懷之以泰行郁林太守,南越亦歸之。太子少傅王雅先與泰善,言于孝武帝,以泰知養性之方,因召還。道子以為徐州主簿,猶以道術眩惑士庶。稍遷輔國將軍、新安太守。王恭之役,泰私合義兵,得數千人,為國討恭。黃門郎孔道、鄱陽太守桓放之、驃騎諮議周勰等皆敬事之,會稽世子元顯亦數詣泰求其秘術。泰見天下兵起,以為晉祚將終,乃扇動百姓,私集徒眾,三吳士庶多從之。于時朝士皆懼泰為亂,以其與元顯交厚,咸莫敢言。會稽內史謝輶發其謀,道子誅之。恩逃於海。眾聞泰死,惑之,皆謂蟬蛻登仙,故就海中資給。恩聚合亡命得百餘人,志欲復仇。
(晋書100-1)
孫秀の同族とかちょっとまって、無限に笑えて仕方ないんですけど!? そんなことがあっていいのか……。
しかし、なんで杜昺が頑なに字呼びなんでしょうかね。晋書が調べきれなかったとか? とりあえず孫泰が思ったよりもバキバキに東晋の中枢と絡んでてなんだかなあという感じです。たぶん孔道は
→「昺」は唐の李淵の父親の名前であるため避けられたのではないか、という情報がありましたので、そこに基づき変更しました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます