桓玄2 義興太守を蹴る1
○晋書
「父は九州をも修めるほどの
そして官職を放棄し、故郷に戻った。元勳の門人にあるまじき振る舞いである、と世からは誹られたのだが、しかし桓玄はいけしゃあしゃあと上疏する。
「臣は聞いております、
我が先公はお国より格段の寵遇を賜り、
昔、
こうした重責を担い進む我が先公の身には、潔白であるにもかかわらず多くの誹謗が寄せられました。聖世にある明王が降格昇格を検証するにあたっては、明らかなる功績を無視したり、ろくろく考えてもいないような悪事を勝手に探り出そうとしたり、不確かな誹謗中傷を根拠としたり、ろくでもない者たちに栄達の道を開くなどと言ったことをしたとは、ついぞ聞き及んでおりませぬ。
○魏書
中央から出されて義興太守とされたが不服であったため間もなくして職を去った。
○晋書
太元末,出補義興太守,鬱鬱不得志。嘗登高望震澤,歎曰:「父為九州伯,兒為五湖長!」棄官歸國。自以元勳之門而負謗於世,乃上疏曰:
臣聞周公大聖而四國流言,樂毅王佐而被謗騎劫,《巷伯》有豺獸之慨,蘇公興飄風之刺,惡直醜正,何代無之!先臣蒙國殊遇,姻婭皇極,常欲以身報德,投袂乘機,西平巴蜀,北清伊洛,使竊號之寇系頸北闕,園陵修復,大恥載雪,飲馬灞滻懸旌趙魏,勤王之師,功非一捷。太和之末,皇基有潛移之懼,遂乃奉順天人,翼登聖朝,明離既朗,四凶兼澄。向使此功不建,此事不成,宗廟之事豈可孰念!昔太甲雖迷,商祚無憂;昌邑雖昏,弊無三孽。因茲而言,晉室之機危于殷漢,先臣之功高於伊霍矣。而負重既往,蒙謗清時,聖世明王黜陟之道,不聞廢忽顯明之功,探射冥冥之心,啟嫌謗之塗,開邪枉之路者也。
○魏書
出為義興太守,不得志。少時去職。
(魏書97-2)
うん、ぼく割とこういう文章読んで典拠漁るの趣味になってきた感があります。たのちい。脳汁プシャーする感がある。ていうか割とこういうのって逸文典拠にしないでいてくれてるから助かる。たぶん文選とかやり始めたら「えっ現存してない!?」みたいのが頻出するんでしょうね。ぼくは「この程度」がいいです。まぁ時々マジで意味わからん史料に行き当たるけど。それにしても桓温の戦績のうち微妙に煮え切らない部分をずいぶん美しく飾ったものです。
巷伯
https://kakuyomu.jp/works/1177354054918856069/episodes/16816452219137824006
何人斯
https://kakuyomu.jp/works/1177354054918856069/episodes/16816452219100214691
ちゃんと桓玄のこの引用を拾っててえらい。しかしリンクとかが微妙だなこれ、そのうち直さなきゃ。
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