桓玄1  霊妙なる桓温の宝

○晋書


桓玄かんげん、字は敬道けいどう。また靈寶れいほうと呼ばれることもあった。桓溫かんおんの妾の子である。母の馬氏ばしがかつて同僚たちと夜会に興じていたところ、月の下から流星が流れ落ち、中庭の銅盆の中に沈んだ。直径5センチほどのあかあかとした玉は水中でなおその輝きを失わずにいた。皆が競ってひょうたんの柄杓ですくい上げようとする。勝者となった馬氏はなぜかそれを飲み込み、霊感を得た。間もなくして懐妊。桓玄を産んだ際、光が室内を照らしあげた。この現象を人々はただごとでないと語り合い、そこで靈寶と幼い頃に呼ばれるようになっていた。


乳母たちが桓玄を抱いて桓溫のもとに訪れると、そこには占術者も必ずと言っていいほどついて回った。彼らは言う。

「この子の重さは、他の子の二倍ですぞ」

桓溫はこの末っ子を溺愛し、重んじた。4歳のときに桓温が死亡。後継者に指名を受け、南郡公なんぐんこうとなった。


7歳となり、喪が明けると、荊州けいしゅう府の文官武官が桓沖かんちゅうのもとに挨拶に訪れる。すると桓沖は桓玄の頭を撫で、言う。

「彼らが、お前の家を支えてきたのだぞ」

桓玄が涙し顔を覆うと、人々はこの子は只者ではない、と思った。


成長すると父譲りの瑰奇な風貌、大雑把でありほがらか、広く芸術に通じ、文章を得意とした。常にその才覚及び家門を自負し、良くも悪くも豪快なふるまいをしたため人々より遠巻きにされた。朝廷からも疑いの目で見られ、加冠しても任用されることはなかった。23 歳となってようやく太子洗馬たいしせんばに任用はれたが、桓溫に逆臣の疑いがかかったため、桓玄の兄弟にはまともな官位が与えられなかった。



○魏書


島夷とうい桓玄、字は敬道。もとは譙國しょうこく龍亢りゅうこう楚人そじんである。東晉とうしんの大司馬、桓溫の子である。桓溫は桓玄を愛し、死亡の際に後継者とした。7歲で南郡公を継承。390 年に太子洗馬となる。桓玄の思考は倫理に悖り、豪快でこそあったがわがままであった。朝廷は桓溫に簒奪の疑いが掛かっていたため、桓玄の兄たちの官位を低く抑え込んでいた。




桓玄,字敬道,一名靈寶,大司馬溫之孽子也。其母馬氏嘗與同輩夜坐,於月下見流星墜銅盆水中,忽如二寸火珠,冏然明淨,競以瓢接取,馬氏得而吞之,若有感,遂有娠。及生玄,有光照室,占者奇之,故小名靈寶。妳媼每抱詣溫,輒易人而後至,雲其重兼常兒,溫甚愛異之。臨終,命以為嗣,襲爵南郡公。年七歲,溫服終,府州文武辭其叔父沖,沖撫玄頭曰:「此汝家之故吏也。」玄因涕淚覆面,眾並異之。及長,形貌瑰奇,風神疏朗,博綜藝術,善屬文。常負其才地,以雄豪自處,眾咸憚之,朝廷亦疑而未用。年二十三,始拜太子洗馬,時議謂溫有不臣之跡,故折玄兄弟而為素官。

(晋書99-1)


島夷桓玄,字敬道,本譙國龍亢楚也。僭晉大司馬溫之子,溫愛之,臨終命以為後。年七歲,襲封南郡公。登國五年,為司馬昌明太子洗馬。玄志氣不倫,欲以雄豪自許。朝議以溫有陵虐之迹,故抑玄兄弟。

(魏書97-1)




なんか魏書追うのとほぼタイミングが一緒だったしと言うことで、ここから晋書と魏書を並列で追っていこうと思います。タイミング次第では魏書の方が厚くなったりするみたいです。それもまた一興。この感じだと王隠おういん晋書辺りをベースに評判を落とせるゴシップをねじ込んでいく、とかでしょうかね。微妙に魏書にしか載らない情報とかもありそうだし、楽しみです。

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