晋書巻98・99 桓温の息子たち、そして桓玄

桓温   桓温の息子たち

桓溫かんおん、字は元子げんし宣城太守せんじょうたいしゅ桓彝かんいの子だ。明帝の娘にして庾亮の姪、南康長公主なんこうちょうこうしゅ司馬南弟しばなんていを妻に迎えた。いろいろあって、死亡時 62 歳。子が 6 人いた。桓熙かんき桓濟かんさい桓歆かんいん桓禕かんい桓偉かんい桓玄かんげんである。


桓熙は字を伯道はくどう。はじめ嫡子とされたが才能がなかったため取り下げられ、与えられる予定だった勢力は桓沖かんちゅう領に委ねられた。桓溫が病で寝込むと、桓熙と叔父の桓秘かんひ桓沖かんちゅう殺害を目論んだが、気取られ、長沙ちょうさに流された。


桓濟、字は仲道ちゅうどう。桓熙の目論見に乗ったため、やはり長沙送りとなった。


桓歆、字は叔道しゅくどう。桓玄が中央で大権を握った際、臨賀公りんがこうに封じられた。


桓禕は兄弟の中で最も愚かであり、最愚,不辨豆と麦との区別もつかなかった。


桓偉、字は幼道ようどう。温厚篤実であり、桓温の統治する荊州にあって当地人士より親愛の情を受けていた。桓玄が実権を握ると使持節しじせつとく荊益甯けいえきねい秦梁しんりょう五州諸軍事ごしゅうしょぐんじ安西將軍あんざいしょうぐんとされ、さらに南蠻校尉なんばんこうい荊州刺史けいしゅうしし西昌侯せいしょうこうを兼務。桓玄の簒奪に先立ち死亡したため、驃騎將軍ひょうきしょうぐん開府儀同三司かいふぎどうさんしが追贈された。ここに記録されるということは、おそらくギリギリで晋の時代における追贈である。


桓玄が桓温の爵位を継いだ。次話以降に語る。




桓溫,字元子,宣城太守彝之子也。尚南康長公主。薨,時年六十二。溫六子:熙、濟、歆、禕、偉、玄。熙字伯道,初為世子,後以才弱,使沖領其眾。及溫病,熙與叔秘謀殺沖,沖知之,徙于長沙。濟字仲道,與熙同謀,俱徙長沙。歆字叔道,賜爵臨賀公。禕最愚,不辨菽麥。偉字幼道,平厚篤實,居籓為士庶所懷。曆使持節、督荊益甯秦梁五州諸軍事、安西將軍、領南蠻校尉、荊州刺史、西昌侯,贈驃騎將軍、開府儀同三司。玄嗣爵,別有傳。


(晋書98-1)




偶然なんですが、魏書も間もなく桓玄伝なんですよね。せっかくなので魏書桓玄伝を、晋書桓玄伝と並行させてみましょう。さて、何が出てくるか。楽しみです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る