何無忌母 劉牢之の姉

何無忌かむきの母の劉氏りゅうし征虜將軍せいりょしょうぐん劉建りゅうけんの娘、劉牢之りゅうろうしの姉である。幼い頃より士族の娘として折り目正しい振る舞いをしていた。劉牢之が死後、その遺骸を桓玄かんげんによって斬られたと聞くと、劉氏は常にそのことを恨みに思い、いつか報復してやりたい、と考えていた。息子が何やら不審な動きをし始めたところ、これはおそらく自分が望んだ動きである、と劉氏は内心で察し、喜んだが、あえて気づかないふりをした。


ある夜、何無忌が屏風の裏で桓玄打倒のための檄文を考えていたところ、劉氏は自身の持つ灯りに蓋をして気取られないようにし、屏風の前にたどり着いたところで蓋を開け、上から何無忌の文章を覗き込んだ。そこには劉氏の想定通り、「逆臣桓玄」の文字があった。劉氏は涙し、何無忌を抱きしめて撫でさすり、言う。


「私は東海とうかい呂母りょぼのような明察を持ち合わせることができぬでいた! 弟の仇も取れぬまま寿命を縮め続けてゆかねばならぬのかと思っていたが、お前の志が果たされたならば、私の仇も取れ、弟の恥も雪がれようとも!」


その後何無忌に共謀者に誰がいるのかを質問してみたところ、劉裕りゅうゆうの名が挙がる。それを聞いて劉氏はいよいよ喜んだ。


「これならば桓玄は必ず敗れよう。義師には勝利以外ありえぬ。よく励むのですよ」


劉氏のこの言葉は、後日現実のものとなった。




何無忌母劉氏,征虜將軍建之女也。少有志節。弟牢之為桓玄所害,劉氏每銜之,常思報復。及無忌與劉裕定謀,而劉氏察其舉厝有異,喜而不言。會無忌夜于屏風裹制檄文,劉氏潛以器覆燭,徐登橙于屏風上窺之,既知,泣而撫之曰:「我不如東海呂母明矣!既孤其誠,常恐壽促,汝能如此,吾仇恥雪矣。」因問其同謀,知事在裕,彌喜,乃說桓玄必敗、義師必成之理以勸勉之。後果如其言。


(晋書96-4)




何無忌先生の檄文はこちら。

https://kakuyomu.jp/works/16816452219408440529/episodes/16816452220019119803

まぁかっこいいはかっこいいのだが、安帝反正後の詔勅

https://kakuyomu.jp/works/16816452219408440529/episodes/16816452220112261948

を読むと「君の典故の持ち出し方はあまり適切ではないんだよなぁ」と暗に添削を食らってたり、『南史なんし』を見ても「いや『詩経しきょう』の一節引いて韻文作りたい気持ちは買うけど、ごめんねその引かれ方だと意味通らないので修正させてもらうね」とされたり、なかなかに踏んだり蹴ったりである。


呂母

王莽おうもうの時代のひと。放蕩者の息子を県令けんれいに殺されたのを怨み若者を糾合、乱を起こして県令をぶっ殺して死んだ。彼女が集めた若者の中で頭角を現した人物が、新の体制を揺るがす大乱、赤眉せきびの乱の中心人物となる。

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