隙間から

成瀬七瀬

 

 眠りについて少し経って、不意に目が覚める夜がある。


 私の場合、そういう時はだいたい金縛りに遭う。頭は目覚めていても身体は目覚めていないのだろう。金縛りにはよく遭遇するが、ある意味体質なのだと諦めていた。




 その日も目覚めてすぐに身体が動かないことに気付いたので、ああまた金縛りか、と思った。


 こうなってしまっては仕方ない。(明日早いのに困るなぁ)とか、そんなことをぼんやり考えながら解けるのを待っていた。




 耳鳴りが聞こえる。


 わあん、わあん、と金物が反響するような音が耳にうるさかった。


 早く終われ、早く終われ、早く終われ……。




 念仏の代わりに心で呟いているうちに、私は夢の中に入っていた。




 赤黒い景色。


 その中心に、薄く光を放つ白い檻が佇んでいる。檻は滑らかな緩いカーブを描いて、地面にそって楕円を作っていた。


 私はその中にいる。同時に、その外側にも私の『目』は存在していて、客観的に自分自身を見ていた。




 夢の中には私以外の人間もいた。檻の柵と柵の間に顔をくっつけるようにして中を覗き込む若い男。いや、若いかどうかはわからない。


 男には顔が無かった。どろどろに溶けてしまっていて目も鼻も口も判別がつかない。若いと思ったのは、私がそう『感じた』からだった。




 ごっ……ぐちゃ。


 ごっ……ぐちゃ。




 繰り返し、繰り返し男は柵に額をぶつけている。檻の中に入ってこようとしているのだと分かった。内側にいる私は、なすすべも無くぶつかっては糸を引き離れていく男の額を見上げている。外側にいる私もまた同じように、なすすべも無くその異様な光景を見つめていた。




 こいつが中に入ってきたら私はどうなるのだろう。考えると突然恐ろしくなった。夢の中とは思えないほど、現実味のある恐怖に私は震え上がる。


 同時に、急に息が苦しくなってきた。右の脇腹を圧迫感が襲い、呼吸が詰まる。この苦しさは檻の中の私のものか、外側の私のものなのか。




 顔を上げると男の頭はもう半分ほど檻の内側に入り込んでしまっている。とろけた汁がぽたぽたと垂れ落ちた。


 それを見た瞬間、ぐうっと圧迫する力が強まった気がした。苦しい。苦しい。圧されすぎて肋骨が折れるんじゃないかという不安が頭をよぎる。




 檻が男の力によって、ぐらぐらとたわみ始めた。ああ、潰れてしまう。


 苦しい。折れる。白くカーブを描く肋骨が――。




 頭に稲妻が走った。気付いた事実に頭が狂いそうになりながら檻を見上げる。




 白く楕円を描く檻。


 これは、私の肋骨だ。


 男の頭はもう頭が全て入ってしまっている。肋骨の隙間から、私の、私の身体に入ってしまっている。


 ぐちゃぐちゃな顔をした男が笑った。耳鳴りが途切れ――耳元で声がする。




「ぎゃぁぁぁあああ!」


 私は自分の絶叫で目を覚ました。


 慌てて飛び起きて灯りを点ける。全身にじっとりと嫌な汗をかいていた。


 恐る恐るTシャツをめくる。右の脇腹を見る。何も、なかった。圧迫された痕一つとして残っていない。


 私は安堵の溜め息を吐く。ただの悪夢だ。そうに違いない。金縛りから来た、ただの悪い夢――。




『また来るよ……』


 耳元で、低い声がした。










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