第32話
微かに聞こえてくる圭太の声。
「どうして? 残ってるのは圭太だけだよ?」
「俺は……自分の父親のした後始末をする必要があるから」
そう言って窓に手をのばす。
服の袖から見えた圭太の腕には赤い斑点がある……が、それはこすれて滲んでいた。
私は驚いて息を飲む。
「圭太、その斑点……」
「あぁ……さっき、トイレで書いてきたんだけど。汗で滲んだんだな」
苦笑いを浮かべる圭太に私は目を見開いた。
さっきトイレで書いてきた?
ということは、その斑点は偽物ってこと?
「圭太は感染してないんだ!」
嬉しくて直へ向けて叫ぶが、直は私から顔をそむけてしまった。
ふたりともどうしてそんな悲しそうな顔をするの?
圭太は感染していなかったし、ワクチンは成功していたのに。
そのとき、圭太がライターを取り出した。
「逃げろ」
くぐもった声が聞こえてくる。
「え?」
「走って、逃げるんだ!」
圭太が叫ぶ。
次の瞬間、圭太の後ろに人影が見えた。
それは圭太の父親であると気がつく前に、直に腕を掴まれて無理やり走らされていた。
「離してよ! 圭太がまだ建物の中にいるんだから!」
どれだけ叫んでも直は足を止めなかった。
走って走って建物が完全に視界から消えた時、ドォォンッ! と大きな爆発音が耳をつんざいた。
咄嗟に木々に身を寄せてしゃがみ込む。
しばらく噴煙が舞い上がり、周囲の視界を遮った。
土煙にまざって薬品の匂いが鼻孔を刺激する。
「今のって……」
圭太が持っていた赤いタンクを思い出す。
まさかあれはガソリン!?
研究施設には様々な薬品があるから、火をつけた後大爆発を起こした可能性がある。
「圭太!」
すぐに立ち上がって建物へ戻ろうとする私を直が引き止めた。
「圭太が、圭太が!!」
「言ってただろ! 『自分の父親のした後始末をする必要がある』って!」
「え……」
それってまさか、施設ごと消滅させるってことだったの?
愕然として地面に両膝をつく。
施設のある方角からはまだ爆発音が聞こえてきていて、やがて煙の中に赤い炎が見え始めた。
「圭太に言われたんだ。薫を頼むって」
あの時、赤い斑点を見せつけるように現れた圭太が、廊下で話し掛けてきたときのことだ。
圭太はこうすることを考えた上で、直にすべてを預けていたのだ。
「嘘だ……圭太までいなくなるなんて、そんなの嘘だよ!」
友達も、家族も失った。
その上圭太まで失うなんて!!
「イヤアアアア!!!」
私は頭を抱えて山の中に響き渡るほどの悲鳴を上げたのだった。
☆☆☆
それから数日後。
事件は公になり、ニュース番組ではひっきりなしにこの街のことを報道していた。
私と直は隣県の同じ病院に入院し、今は治療を受けている。
研究施設での点滴の効果があったのか、私達の症状は安定していて、赤い斑点も薄くなってきていた。
「薫」
ノック音のあとドアが開いて直が顔をのぞかせた。
あの日、圭太の父親を脅したような険しい表情ではなく、今はとても穏やかに微笑んでいる。
「気分転換に散歩でもしないか」
「うん。そうだね」
暗い気持ちでテレビを見ていた私は電源を落として直とふたりで中庭を歩く。
芝生が植えられている中庭は公園くらいの広さがあって、ベンチは患者たちの憩いの場となっている。
「全部、終わったんだな」
直が呟く。
「うん」
爆発した研究所からは身元不明のふたりの遺体が発見されていた。
それは損傷が激しい為、性別もわからないらしい。
けれど、おそらくそれは圭太と、圭太の父親のものだろう。
「でも」
ふと気になっていたことが脳裏をよぎる。
研究施設は様々な場所にあると、誰かが言っていなかっただろうか?
今回の施設はほんの一部に過ぎず、まだまだ沢山あるんじゃないか?
そんな不安が胸を刺激する。
「どうした?」
「……ううん、なんでもない」
私は左右に首を振ると同時に、自分の考えすぎに苦笑いを浮かべた。
直が言う通り、すべては終わったんだ。
決して忘れることはできない出来事だったけれど、私達は徐々に日常へ戻っていくことになるだろう。
そしてすべて忘れた時……それは、再び。
END
人肉病 西羽咲 花月 @katsuki03
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