第31話

友達も先生も両親もいなくなってしまったのに、今更元に戻る必要なんてあるんだろうか?

そんな私を圭太が腕を引いて歩き出す。

もう、一歩足を踏み出すことだって億劫だ。


けれど抵抗する気力もなく、無理やり足を動かしてついていく。

圭太の父親が扉を開き、長い通路を歩いていく。

その途中で何人かの大人や子供とすれ違った。

みんな普通の服を着ていて、施設の関係者ではなさそうだ。


元気に走り回っている子供へ視線を向けて圭太が「あれは林さんの家族?」と、父親へ尋ねている。



「あぁ。会社の行事で圭太も1度会ったことがあったかな。関係者たちはみんなここへ来ているんだ」


「自分たちだけ安全地帯にいたのかよ」



直が吐き捨てるように呟いて、父親が口を閉じた。

連れてこられたのは白いベッドが5床ほどある保健室のような部屋だった。

私と直はそのベッドに寝かされた。



「薬は点滴なんだ。これで体内にあるウイルスが消滅できる」



手際よく点滴の準備をすすめる父親に、圭太「俺は廊下に出てる」と、声をかけて部屋から出て行ってしまった。



できれば一緒に居てほしかったけれど、点滴がどのくらいの時間で終わるのかわからないし、仕方ない。



「少し痛むぞ」



点滴の準備を終えた父親が注射針を直の腕に突き刺す。

その瞬間「いってぇな」と直が舌打ちをした。



「悪いね。私は研究者であって医療従事者じゃないものでね」



意地悪い声色で言っているけれど、これくらいの違反行為は常にしてきたのだろう。

その手際が良かった。



「少し、チクっとするからな」



同じことを言われて私の腕にも針が刺される。

点滴パッグに入っている透明な液体がジワジワと体内へ入り込んでくる。


これで、全部が終わる……。

そう思い、私は目を閉じたのだった。


☆☆☆


ベッドに横になっていて目を閉じているといつの間にか眠ってしまったようだ。





「おい、起きろ!」

そんな声で目を覚ました私は一瞬自分がどこにいるのかわからなかった。

周囲を見回してみて、ようやく施設へやってきたことを思い出す。

点滴パッグの中身はまだ半分くらいが残っていた。



「直、どうしたの?」



さっきの緊迫した声は直のものだったようだ。

直はベッドの上に上半身を起こして部屋の外の様子を伺っているみたいだ。



「さっきから外が騒がしいんだ。なにかあったのかもしれない」



そう言われて耳を済ませてみると、廊下から人の悲鳴が聞こえてくるのがわかった。



「どうしたんだろう」



上半身を起こし、靴を履く。

とにかく廊下の様子を確認してみるために、私と直は点滴台を引きながらドアに近づいた。



「感染してる!」


「嘘でしょ、どうして!?」



悲鳴のような叫び声。

人々が駆け回る足音。



「落ち着いて! 大丈夫から落ち着いてください!」



これは研究員の声だろうか、必死になだめているようだけれど、誰も聞く耳を持っていないみたいだ。

直がそっとドアを開けて隙間から廊下の様子を見てみると、そこには我先にと出口へ急ぐ関係者たちの姿があった。



「なんなんだ?」



この施設は安全なはずだ。

この人たちは事前にワクチンを打っているし、なにも心配することなんてないはずなのに。

部屋から出ると、右手の奥から1人の男が現れた。

その人は上半身裸で、その皮膚には赤い斑点が出現している。



「圭太!?」



その男性は見間違いようもなく圭太その人で、私は目を見開いた。



「俺は関係者でワクチンを打っている! だけど感染した! ワクチンは失敗だったんだ!」



大声で叫びながら廊下をゆっくりと進んでくる。

それを見た関係者たちがみんな逃げ出していくのだ。



「どういうこと? 圭太も感染してたの?」



ずっと私と一緒に居たのに、今更になって感染するだろうか?

もちろん個人差はあるけれど、ワクチンに効果がないだなんて……。

圭太がこちらに気がついて一瞬眉をさげた。

その悲しそうな表情に私は胸の奥に得も言われぬ嫌な予感を抱く。



「薫、直」



近づいてきた圭太が私達の前で立ち止まる。

逃げ惑う人々の中には研究者たちの姿も見える。

もう、施設内はパニック状態だった。

そんな中、圭太が私の頭を撫でた。

優しく丁寧に慈しむように。


なぜ今そんな撫で方をするの?

そう聞きたいけれど、なぜか怖くて聞くことができなかった。

圭太は次に直に顔を近づけて、何事かとささやく。

直は険しい表情で頷く。



「みんな逃げろ! ワクチンは失敗したんだ! ここにいても感染する!」



圭太は再び叫びながら研究室を歩き回る。



「圭太っ」



呼び止めようとした私を直が止めた。

そして痛いくらいに腕を掴まれる。



「俺たちは行こう」


「え?」



聞き返す私を無視して、直は強引に出口へ向けてあるき出したのだった。


☆☆☆


バタンッと後ろてにドアが湿られた時、もう研究所内には誰の姿もなかった。

ただひとりを覗いては。



「圭太は!?」



直に強引に外へ連れてこられてしまったけれど、圭太はまだ建物の中にいる。

建物の外は逃げてきた人たちでごった返していたが、みんなそれぞれの車に乗り込んで山を降り始めていた。

直は黙り込んで建物から視線をそらす。



「圭太を呼んでこなきゃ。感染してたとしたら、一緒に行動したほうがいいし」



早口に行って建物の入ぐりへと戻る。

しかし、ドアは当然オートロックになっていて、数字を打ち込まなければ開かない。

数字がわからなくても何度も試していればいずれ開くはずだ。


そう思っていたのだけれど、3度失敗したところで数字板が赤く光、警告音がなり始めたのだ。

それ以降、なにを入力しても文字盤は受け付けなくなってしまった。



「ちょっと、どうなってるの!」


「何度も間違えたから、一定時間開かなくなったんだ」



直からの説明に私は歯噛みする。

すぐにでも圭太を連れ出したいのに、これじゃ時間がかかって仕方がない。



どこか他に出入りできる場所はないだろうか。

建物に沿って歩いていると、少し離れた場所に窓がついているのが見えた。

すぐに手をかけてみるけれど、鍵がかかっている。

試しに近くにあった大きめの石を投げつけてみるけれど、窓はヒビひとつ入らなかった。



「研究施設の窓なんだから、そう簡単に開くわけないだろ」



やけに冷静な直の声に苛立ちが募っている。



「だったら少しは手伝ってよ!」



そう怒鳴ったときだった。

窓の向こうに圭太の姿が見えたのだ。

圭太もこちらに気がついて近づいてくる。

その手にはなぜか赤いタンクが持たれていた。


中はほとんど空なのだろう、そんなに重たくはなさそうだ。



「圭太、ここを開けて!」



窓の前までやってきた圭太に声をかける。

声は聞こえているのだろう、圭太はなぜか泣き出してしまいそうな表情を浮かべた。



「できない」

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