第30話
あれだけ騒がれていたものが一瞬にして消えてしまった。
愕然として全身の力が抜け、スマホを床に落としてしまう。
「国はもうすでに隠蔽工作を始めている。ウイルスについてはすべて誤報で、街に起こったできごとは季節性の風邪が変異したものだったとでも言い始めるさ」
この地獄のような惨状が、たったそれだけのことだったと片付けられる?
そんなバカなことがあっていいなんて思えない。
だけど、ただの高校生である私になにができるだろう。
国を相手取って訴える?
確実に負けるに決まってる。
ウイルスの実験が終わればこの街はどうなってしまうんだろう。
もしかしたら、なにもかもを隠蔽するために爆破されてしまうかもしれない。
私達の育ってきた街が、消える……?
「とにかく、俺たちに薬をくれ。今すぐにだ!」
直が叫ぶ。
また空腹感が襲ってきたのかさっきから落ち着きがなくなってきていた。
「薬は研究施設にある」
「それなら連れて行け!」
包丁を突きつけ、直はそう怒鳴ったのだった。
☆☆☆
圭太の父親が運転する車で街を走ると、あちこちに死体が転がるばかりで生きている人の気配を感じられなかった。
次々と後方へ流れていく景色の中、スマホを取り出して確認する。
両親からの連絡が入っていないか確認したけれど、今日はまだなんの連絡も来ていなかった。
この前父親から大丈夫だと連絡を受けているけれど、これだけの惨状をみるとやっぱり不安になってくる。
「ねぇ、一旦私の家に寄ってくれないかな?」
運転手ではなく、助手席に座っている直へそう言った。
直は運転する圭太の父親に包丁を突きつけたままだ。
「家はどこへんだ?」
「ここを真っ直ぐ行った住宅街だから、すぐだよ」
周辺は私も馴染みのある商店が立ち並んでいる。
もう少し先へ行けば住宅街があり、その一角が私の家だ。
「家に家族がいるのか?」
圭太の父親に聞かれて私は言葉をつまらせた。
「わからないけど、お母さんがいるかもしれないから」
父親は会社に監禁状態になっているかもしれないが、専業主婦である母親はまだ家にいるかもしれない。
もしかしたら、家から出られなくなっている可能性もある。
そうであれば、一緒に連れて行くつもりだ。
でも、もし家にいなければそのときは……どこにいるのか、探し出さないといけない。
そして、両親も一緒に薬を飲むのだ。
感染していなければワクチンを打てばいい。
それが、私の望みだった。
知らない間に膝の上で拳を握りしめていたようで、隣に座っている圭太が私の手を握りしめる。
それで緊張が少しほぐれた。
「ありがとう」
小さな声でそういったのだった。
☆☆☆
車はスルスルと住宅街の中を進んでいく。
ここは人の生活区域だからか、さっきまでよりも更に死体の数が増えてきていた。
その死体は逃げ出そうとした人たちの車によって何度もひかれ、ペチャンコに潰れているものが大半だった。
圭太は外の景色を見ないように、必死に顔をそむけている。
「そこの、白い塀の家で止めて」
自分の家が見えてきて私は声をかけた。
車が我が家の前で停車する。
白い壁に囲われた2階建ての家に戻ってくるのが何年ぶりかのように感じられる。
逸る気持ちを抑え込み、後部座席から降りて家へと走る。
外の空気はひどくよどんでいて、血肉の匂いが充満している。
「お母さんいる!?」
家へ向けて声をかけながら玄関前のアプローチを欠ける。
そして玄関ドアを大きく開いた。
その瞬間、血の匂いがいっきにきつくなった。
私の食べることのできない感染者の匂いだとすぐに気がつく。
足元へ視線を向けると玄関に、いつも綺麗に並べられていいた靴は四方に散乱し、その奥に母親の姿を見た。
母親は玄関へ向けて右手を伸ばした状態で倒れている。
その目は見開かれて灰色に濁り、どこも見ていない。
更にそんな母親に覆いかぶさるようにして父親が倒れていた。
どちらも同じように血の気の失せた顔をしている。
「お母さん……お父さん……?」
震える足で一歩近づく。
そっと手を伸ばして父親の背中に触れた。
「ねぇ、どうしたのふたりとも」
声が震えて消え入ってしまいそうだ。
父親の背中を揺さぶると、母親の上からゴロリと廊下へ転がった。
その胸元は血に染まり、ナイフが突き刺さったままになっていた。
シャツのボタンを外してみると皮膚に赤い斑点が見えた。
感染してる……!
グッと奥歯を噛み締めて今度は母親を確認した。
服の袖をまくりあげてみると、そこにも赤い斑点が見える。
ふたりとも感染していたのだ。
だから、非感染者に殺された……!
父親が襲ってきた非感染者から母親を守るために立ちふさがる姿が思い浮かんだ。
ナイフを持った相手から逃げて玄関へ走る。
しかし途中で追いつかれてしまって、母親を守るために振り向いた父親が胸を刺された。
それに気がついた母親がここまで駆け戻ってきて、そして同じように刺されてしまった。
ふたりは助け合いながら逃れようと玄関へ手を伸ばすけれど、その手がノブに届くことはなく、崩れるようにして折り重なり、絶命した。
一連の光景が流れるように連想されて気がついた時私は悲鳴を上げていた。
ふたりの体にすがりつき、大声を上げて泣いていた。
「薫!」
車から降りてきた圭太が私の体を後ろから抱きしめる。
「薫。大丈夫だから、薫」
なにも言われても何も聞こえなかった。
殺された。
私の両親は非感染者に殺されてしまった。
その事実だけで目の前が真っ暗に染まる。
どれだけ圭太が声をかけてくれても現実はなにも変わらない。
私は……圭太の父親の研究によって、殺されたんだ。
両親の死体の横には父親のスマホが落ちていた。
メッセージ画面が表示されたままのそれを確認すると、私に当てたメッセージが途中まで書かれた状態だった。
《父親:今家に戻ってきてお母さんと合流できた。ふたりとも無事だ。今から学校へ迎えに行くから、待っていなさい》
後は送信するだけだったそのメッセージはついに送信されることなく、送り主は息絶えた。
私は父親のスマホを膝の上で握りしめて呆然とした状態で車に揺られていた。
あれからどうやって自分が車に戻ったのか、いつ車が走り始めたのかよくわかっていない。
ただ、気がついたから車は山の道を走っていた。
それは圭太が私達に説明してくれた舗装されていない細い道で、車1台通るのがギリギリだった。
やがて木々が開けて円形の建物が見えてきた。
車は建物の入口の前に停車し、直が安堵したように頬を緩ませる。
もうすぐで薬を摂取することができる。
そうすれば自分たちは普通の人間に戻ることができるんだ。
だけど、それがどうしたというんだろう?
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