雨と向日葵②(仮)

 授業を終えた俺はウザ絡みしてくる岡本とニヤニヤ病の西野を振り切って、講義室を飛び出した。


「えっと……ここでいいんだよな?」


 そこはまだあまり足を踏み入れたことのない、4号館と呼ばれる校舎。

 例えば俺が普段から足を運ぶ本館は、大講義を行えるような広い教室が多い。

 しかしこの4号館には30人用くらいの小さな教室がいくつも並んでいた。高校までと似たような教室をイメージするとわかりやすい。


 学生の姿はまばら。もう殆どが学食へ向かったのだろう。

 

 早足気味に廊下を歩いていると、すぐに彼女から聞いたナンバープレートの貼られた教室を見つけた。


「祈璃さんいるかな……?」


 そもそも昼食を一緒にという話のはずが何故ここに呼び出されたのかもよく分かっていない俺は、少々萎縮しながら中を覗いてみる。


 すると後方窓際、まさに端っこのボッチ席にその姿を認めた。


 ホッと安堵した俺は扉を開いて教室に駆け込もうとするが、


「っ、コホン……ッ」


 そのささやかで遠慮がちな咳払いによって、思わずその場に静止させられた。


「んんっ。あー。あー。んっ、んんんっ」


 教室の奥の彼女は、まるでチューニングするみたいに声の調子を整えている。

 かと思えばバッグから手鏡を取り出して前髪を整えたり、自身の臭いを気にするような仕草を見せてみたり、表情筋をマッサージしてみたり、胸に手を当てて大きく深呼吸を始めたり。


(いや何してんだ、あの人……)


 昼休みにしては、なかなかに忙しい光景である。


 そして極め付け、彼女の座る席の机には2つのお弁当箱が置かれていた。


(お弁当……だと!?)


 だからこそ俺は、こんな人気のない場所に呼びつけられたらしい。


(は? は? え、なに? つら……)


 理解したとたん、俺の幼馴染が可愛すぎるんですが!?

 愛おしすぎてつらみあるんですが!?


 胸がキュ〜っとさせられた。


 しかし俺は自他共に認める紳士である。今見た光景は忘れたことにして、如何にも今来ましたふうを装いながら教室の扉を開けた。


「お待たせ、待った?」


 爽やかに手を振って、スマイルを提供する。


「——っ!?」


 と、一瞬びっくりして瞳を瞬かせた彼女は慌ててお弁当箱を両手で包み込むように持って、机の下へあからさまに隠してしまった。


「…………おっそい」


 それからあくまで平常運転な憎まれ口で、クッソ不服そうなジト目が俺を射抜く。


 ……おい。

 どうなってんだ。さっきのは幻覚か? もう何も信じられない。


「そ、そんなムスっとしなくてよくない? そこはううん、今来たとこ、が定番です」

「そんなこと言われても、私2限ここだったし、実際ずっと待っていたし……遅いし……」


 ぐぬぬと睨みつけてくる。


 ま、まぁ、待ち侘びていてくれたという気持ちは伝わった。


 え? そうだよね?


 幼馴染の心はわかりません。

 メッセージではあんなにしおらしかったというのに。どうしてこうなるの。


「そこ、座って」

「は、はい」


 はぁというため息の後に告げられた指示に従って祈璃さんの前の席の椅子を引き、向かい合わせに座った。


「……………………」

「……………………」


 なにこれ二者面談?


 べつに今更沈黙なんて気まずくはないけどさぁ。


「ぁ……その、ぇっと……」

 

 せっかく短い昼休みの逢瀬だというのに、祈璃さんは縮こまってモジモジしていた。

 相変わらず降り続ける雨の音が、教室を満たしている。


「あの、祈璃さん」

「んにゃ、……なによ」


 ツッコまないぞ。猫ちゃんの機嫌を損ねるからな。


 とか思っていたのも束の間——


 “ぐぎゅるるるるるるるる……”


 と、盛大な腹の虫が鳴った。もちろん、俺の。


 祈璃さんは目を丸くして、こちらを見つめる。


「……なんか、バカバカしくなってきたわね」

「そーですネッ」

「は?」


 ひぃッ……。

 同意しただけなのにコワイコワイコワイ。冷や汗が噴き出る。


「はぁ」


 祈璃さんは特大の溜息を吐き出す。それから隠していたお弁当を堂々と机の上にドンと顕現させると、素早く風呂敷を解いていく。

 ボリューム満点な2段弁当だ。1段目にはオカズの数々、そして2段目には——


「んむっ!?」


 とか興味津々にお弁当を眺めていたのも束の間、ポカンしていた俺の口内へ何かがむりやり詰め込まれる。

 

「どうぞ」

「はふぇ!?」

「よく噛んで食べなさい」

「ふぁい!? にゃにですか!?」

「食べながら喋らない」

「…………(もぐもぐ)」


 言われた通りしっかり噛んで、それを飲み込んだ。


「美味い」


 どうやらオカズのうちの一つを口に放り込まれたらしい。


「なにこれ?」

「メンチカツ」

「男の子が大好きなやつじゃん」

「ちっちゃな男の子がね」

「よく分かってらっしゃる」


 どうせ俺は子供舌じゃい。


「どうぞ」


 祈璃さんは箸を構えると、新たなオカズを丁寧に箸で掴んで俺の口へと寄越した。今度はちゃんとあーんして応える。


「ん……ちくわの磯辺揚げだ。これも美味い」


 というか、このメニューって。


 オカズを見れば、他にも魚のフライや鶏の唐揚げ、卵焼きなどがてんこ盛りぜんぶ盛り。


 改めてみる2段目は、黒一色に染まっていた。


「のり弁? しかも祈璃さんお手製?」


「……そうだけど、悪い?」



「……べつに? たまたま今日、お弁当作ったから。ついでに」


 それはまだ桜が咲いていた4月の約束。祈璃さんのお弁当が食べたいとねだったら、「いつかね」とそっけなく言ってくれた。


 ああ、お弁当が神々しく輝いて見える。 

 これはまさに、たとえどんな富豪であろうと金で買えない代物である。俺だけの、特権だ。


「ありがとう祈璃さん。めっちゃ嬉しいです」

「……どういたしまして」


 祈璃さんは赤みを帯びた顔をぷいと逸らしながら、満更でもなさそうに頷いた。


「祈璃さんも一緒に食べよう。めっちゃ美味いよ、こののり弁」


 箸を貰い受けた俺は、メインののり弁にガッツいた。

 海苔やおかかの風味にきんぴらの食感、お醤油のバランスまで全てが絶妙だ。


「私にとってはべつに、いつもの味だけどね」


 そう言って、祈璃さんは自分のお弁当箱を広げる。俺のよりもいくつかオカズが少なく、のり弁の方もミニマムだった。


「じゃあ今度は俺が食べさせてあげようか? あーんって。それなら少しは特別じゃない?」

「……イヤよ」

「えー、俺には勝手にしたくせに。それにこの前のおかゆはあーんさせてくれたじゃないですか」

「それは…………」

「それは?」

「…………イヤだってば」


 イヤイヤと首を横に振る祈璃さん。


「…………恥ずかしくて、味がわからなくなるじゃない…………」


 なるほど。彼女の言い分はわかった。


「人、それを幸せの味と言います」 


 だから俺は俺で勝手にするとしよう。


 今ならきっと、あの頃とは違う味なはずだから。


「はい、あーん」


「————にゃ、にゃに、むぅふ!?」


 祈璃さんの小さな口へ、唐揚げを放り込んだ。


「〜〜〜〜〜〜っ!!」


 お口いっぱいの祈璃さんは涙目を浮かべながら恨みがましくこちらを睨む。

 しかし先程俺に注意した手前しゃべることもせず、黙々と咀嚼して、やがて飲み込んだ。


「どう?」


 折を見て尋ねる。


「わかんない」


 しかしその回答はとても幼なげなもので。


「……これが幸せなの?」

「幸せですねぇ」


 彼女は胸を両手で温めながら、


「……そうなのかもね」

 

 

 小さく小さく囁いた。

 その表情にはようやく、柔らかさが見え始めていた。



「また、食べさせてあげましょうか?」

「ぜひぜひ」

「じゃ、あーん」

「あーん」


 今度は卵焼きを食べさせてくれる。甘いやつだ。これもやはり美味い。


「はいお返し」

「わ、私はもういい」

「幸せは2人で噛み締めないと」

「…………仕方ないわね……本当に、仕方のない子…………あー、ん」


 不本意そうに、祈璃さんは俺の差し出す唐揚げにパクついた。

 

「…………美味しいわね、うん……」


 そのハニカムような表情には、彼女の美しさと、可愛らしさが満天に込められていた。


 それだけで、胸が満たされる。


 雨の音だけが響く静かな教室で、ふたりだけの時間を楽しんだ。



 さっき、俺は『覚えててくれたんだ』、と言った。


 実は、そこにはもう一つの意味がある。


 幼い頃、俺は学校の給食がない日に母が作ってくれるお弁当が大好きだった。


 それが、のり弁。


 祈璃さんにもその美味しさを何度も語った覚えがある。


 運動会の日とか、これがめちゃくちゃ力をくれるんだぜって、病室の彼女に自慢した。


 そののり弁こそ、俺にとって最も無邪気で、幸せであった時代の味と言えるだろう。


 だけど今はきっと、その頃よりも、もっとずっと、幸せだ。

 彼女がいて、俺の目の前に存在して。

 その彼女が、言葉にはせずとも、俺のことを想ってくれているのが、こんなにも強く優しく、伝わってくるのだから……。




——————————




なんかフォローけっこう増えてる…。

こんな祈璃さんでいいのん…?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

お隣の蔑み美人が死に別れの幼馴染だった。 ゆきゆめ @mochizuki_3314

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画