After.1

雨と向日葵①(仮)

 雨の音が聞こえる。とめどなく、重苦しい永遠のように、それは降る。


 もう朝だと言うのに差し込む陽の光は見当たらず、部屋は薄暗かった。ジメり、と、お世辞にも心地よいとは言えない湿度を感じる。


 スマホでSNSを見れば、心なしか普段よりもネガティブな発言が多いような気がした。


 雨は、梅雨は、好きじゃない。鬱々とした気分になるから。暗く、重たく、のしかかるものだから。


 はやく夏にならないかなぁ。夏。アオナツ。それ正しく、若者の季節。人生最後の学生生活を送っている俺だって、例外ではないのだから。


 準備を済ませて、外へ出る。

 するとちょうど同じタイミングでお隣の扉が開いて、ロングスカートの黒髪美人が姿を現した。


 瞬間、視界が広く明るく開けたような感覚に陥る。


「っ、おはようっ、祈璃いのりさん!」

「……おはよう」


 そっけないお返事は、毎度お馴染みと言うべきか。


 あの夜、ベランダで想いを伝え合った俺たちだったが、その実態にはあまり変化がない。

 いや、正確に言えば大きな変化があるし、細かな変化だってたくさんあると思うけれど。


 それはおいおい感じていただければということで。


 みなさん知っての通りな話——

 俺の幼馴染はいつだって、たとえどんなに狂おしく幸せな瞬間を経たとしたって、素直じゃあない模様である。


 アパートを後にする俺たちはそれぞれの手にある傘を無言で開いて、ザーザー雨を弾きながら、ゆっくりと、隣り合って登校を始めた。


「雨ですねぇ」

「……そうね」

「相合傘とかしちゃいましょうか」

「イヤ」

「そう言わずに。青春ですよ」

「ゼッタイに、イヤだから」


 プイっと逸らされた祈璃さんの顔。まっすぐに伸びた鼻梁が美しく、不機嫌そうな表情が愛おしい。蔑み美人の笑顔はそう安くないのだ。


「……ああ、好きだなぁ」

「…………は?」

「え、なに? なんでいきなりキレてるんですか?」


 業物の日本刀のように鋭い瞳がこちらを睨み上げる。この上なく、怪訝なご様子。ゾクゾクする……っ。


「…………あなたが、変なことを言うから」

「へ?」


 俺、無意識に何か言っていただろうか。


「だから、その、す、すす、すすす————き、とか、〜〜っ」


 祈璃さんは顔を赤らめて、ゴニョゴニョと縮んでいく。


「ああ。なんだ、ただの本心ですね」

「はぁ!?」


 2度目のギロリは羞恥10割。キリキリと激しい歯軋り。目尻には涙が浮かびかけ。


 うーん、可愛いなぁ。好きだなぁ。


 しかし、これ以上余計なことは言わないでおくことにした。

 俺の言葉なんてものは長年温め続けていた分、むしろ大安売りしたいくらいな所存なのだが、それで彼女の機嫌を損ねていてはまったくもって意味がない。少なくとも、売り出すタイミングは今じゃないだろう。


「……なによ。なんなのよ。1人だけ余裕ぶって……ヘラヘラして……っ。可愛くない可愛くない可愛くない……」


 ブツブツと、小さな愚痴は雨の音に消えてゆく。俺の耳へは届かないと、彼女はたかを括っていることだろう。


 やっぱり、雨は嫌いだ。

 祈璃さんの綺麗な声が聞き取り辛いし、傘のせいで普段よりも距離が遠くなってしまう。


「ははっ」


 厚い雨雲に覆われた薄暗い世界で、心中の愚痴とは裏腹に自然な笑みが漏れた。きっと、隣に彼女がいるからだろう。


 そんなことを思いながら、桜の散り果てた緑の並木道を歩いた。

 春、あの美しかった桜の道、その花びらの残香さえ、もう見つからない。でも、また来年会える。うん、これはそういう約束のようなもの。言葉などなくとも。何度でも、巡り会える。もう会えないなんてことはない。そういうふうにできている。そのことを、俺は知っていた。


 キャンパス内の建物に入って、傘をたたむ。室内が濡れないように、用意されたビニールを被せた。


「授業までちょっと時間あるし、どっかで話す?」

「……いい。席取りしないとだし」

「ボッチなんだから適当な空いてる席でいいじゃん?」

「……うっさいっ。ボッチだからこそ、定位置をキープする必要があるんだから……」


 縄張り意識が強いのねぇ。

 たぶん祈璃さんの席は誰も取らないと思うけどなぁ……。食堂にも暗黙の了解という名の専用席があるくらいだし。


 兎にも角にも、祈璃さんがノリ気でないようなので、ここでお別れだ。


 最後に、絶賛不機嫌継続中の祈璃さんはまるで子どもにお目付ける母のように釘を刺してくる。

 

「……授業、寝ちゃダメだからね」

「ふぁーい」


 気のないふうに答えると祈璃さんは文句ありげに身体を揺らすが、すぐに呆れて肩を落とし、ため息を吐いた。それじゃ、と小さく告げて背を向け、学生たちの波に混ざっていく。


 彼女の背中が見えなくなってから、俺は自分の講義室へと足を運んだ。


「おはよー鷹宮くん」

「うぃーっす」


 ひと足早く来ていた西野と岡本に迎えられる。

 適当に挨拶を返しつつ、西野の隣に座った。すぐにカバンからノートと教科書を取り出して開き、文章に目を落とす。


「何してんだ?」


 岡本が首を伸ばしてこちらを覗き込んでくる。


「先週の復習」


「え、フクシュウ? 誰にそんな恨みが?」


 何言ってんだコイツ。


「あ、やっぱオレ? オレなのか?! ごごごめんって! この前おまえを椎名先輩と荒ぶる筋肉への供物にしたことは謝るからさぁ!」


「いや復讐じゃないが? あとそれは一生許さねぇかんな」


 まぁ、筋肉たちから逃れるために足を引っ張り合い蹴落とし合っているのはいつもお互い様なのですが。


「鷹宮くん、最近マジメだよね。そんなんじゃ立派なアウトローになれないぞ〜?」


「俺は一体いつからアウトローを目指していたんだよ……」


 西野にも返事を返しつつ、ノートから視線は外さない。そんな俺に、西野は関心したようすでふわーと息を漏らした。


「マジメだー。マジメくん。ガリベンマン。その心は〜」


 そして、ニヤリと笑みを浮かべる。


「………………エロだな?」


「ぶっふぉ!?」


 ノートに唾が撒き散らされた。


「うわー。やっぱりかー。エロいなー。エロだなー鷹宮くん。エロエロなんだなー」


「ちっっがうが!? なんで勉強してるのがエロになんの!? さすがにクソ雑魚推理すぎるんだが!?」

 

「むふー。エロいなー」


 それでも西野は全てわかってますよと言わんばかりに、ニヤニヤを収めない。


「エロ? 勉強は……エロなのか? なるほど……深いな。新たな新境地が開そうな気がするぜ!」


 裏でバカがバカを呟いているが、俺は西野のニヤケ面を引っぺがすような言葉を思いつくことができないまま……やがて授業が始まった。



 授業を聞きながら、ノートを書いていく。黒板の文字だけでなく、自分なりの言葉でわかりやすいようにまとめる。

 つい数ヶ月前まで浪人生だったのだから、いざやる気を出してしまえばどうってことはなかった。


 この調子で前期のテストでは良い成績を残し、祈璃さんに褒めてもらうのだ。

 祈璃さんの前では今まで通り振る舞っているから、さぞ驚くことだろう。

 ムフフ……S評価でも獲ろうものなら、もしかしたら、あんなことやこんなことも——


「ん……?」


 ポケットのスマホが震える。


 授業中だが、頭が邪な妄想に染められつつあったところだしと思いこっそり覗いてみる。


祈璃:今いい?


蒼斗:ちょうど集中力が切れたところです


祈璃:だと思った。


蒼斗:何か用事?


 まさか祈璃さんだとは思わず、興奮気味に高速で文字を打つ。

 いつぞや聞いた、90分授業を乗り切るための息抜きにはちょうど良いだろう。


「あれ」


 しかしそれから数十秒、既読はついたものの返事がなかった。




祈璃:さっきはごめんなさい。




 と、やがてそんなメッセージが。




蒼斗:なんのこと?


祈璃:その……嫌な感じだったでしょ、私。


祈璃:だからごめんなさい。


蒼斗:いいよ


蒼斗:めっちゃ可愛かったし

 


 

 その後、またしてもラリーが途切れて沈黙が訪れる。


 俺、また何か間違えたか……?



祈璃:お昼どうする?



「え」



祈璃:たまには一緒に、食べる……?


 

 速攻で返事を打ったことは、言うまでもないだろう。





——————————



お久しぶりです。


期間も空いてしまったので、続編というよりは後日談的な扱いで、不定期につらつらと書いていこうかなと思います。


まぁマジで不定期なので…過度な期待はせず、楽しんでいただければと。


よろしくお願いします。




カクヨムコンでは読者選考を突破しているようです。これもひとえに皆様が読んでくださったおかげであります。ありがとうございますm(_ _)m

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