第33話 認めた言葉

 アパートの部屋に帰宅してからずっと、布団に横になりながらデートの思い出をつらつらと振り返っていた。昨夜の出来事まで辿り着いて、大事なことを思い出す。


 ——それは、家に帰ってからにして。


 持ち帰ってきた紙袋から改めて中身を取り出した。


「これ……」


 食べ終えたドーナツと共に入っていたそれは、手紙だった。


 2日間も一緒にいたのだから、隣に住んでいるのだから、口で言えばいいものを。

 これまた、本当に、彼女らしいやり方だ。


 一体、何が書かれているのだろう。


 二つ折りにされた一枚の便箋を、少々汗ばみかけの手でゆっくりと開く。


 そこには小さくて細っこい、綺麗な字で、こう書かれていた。




—————————————————————



 ——祈璃から、蒼斗へ。



 あなたも重々知っての通り、私は決して素直ではありません。


 本当に思っていることを口にするなんて、とてもとても、難しいことだと思います。


 だから、


 私の素直な気持ちを、今、ここにしたためます。











        『大好き』








                     —————————————————————

              




 ああ。


 くそ。


 ああ、もう。


 ほんとうに、あの人は……!!


 読み終えてすぐ、俺はドタバタと足を鳴らしてベランダに飛び出した。


 そこには、まるで俺が来ることをわかっていたみたいに、夜空を眺める彼女がいる。


「……あら、どうしたの? そんな血相を変えて」


 いつものように落ち着いた様子でそう言った。


 わかっているクセに。


 そう思いながらも、俺は自分の心を落ち着けるべく空を見上げた。


 この1ヶ月。何度も見てきた、寂しい星空。

 それは何よりも美しい、日常の証。


 俺の見つめる世界は、変わっていく。きっと全て、彼女に依って。


「あれって、告白ですか?」


 絡め手なんて知らない俺は、直球で尋ねた。


「さ、さぁ。何のこと、かしら……?」

「さすがにそれで逃げ切るのはムリでしょ」

「ちっ」


 最初は怖いとさえ思った舌打ちが、今ではとても可愛らしいと感じる。



「……べ、べつに、告白とか、そんなんじゃ、ないし……私は、ただ……伝えたくて……」


「そっか」


「うん……」



 じゃあ、俺もそうさせてもらおう。



「祈璃さん」


「なに?」



 俺は、ずっと昔から、あなたのことが。


 

 あなたのことだけが――



「大好き」



 それしか、たった1人の、記憶の中に眠る女の子しか見えなくて。


 どこにもいなくても。見つけられなくても。


 その残滓さえ、感じられなくても。


 死んだなんて、そんな簡単な言葉で諦めても、諦めきれるわけがなくて……!!


 覇気のない、辛気臭い顔をしながら、いくつかの黒歴史を故郷に残してきてしまったくらいには、大好きだ。


 恋とは、本能である。

 俺が人間としてこの世に生きている限り、逃れる術はない。



 あのとき、桜の舞い散る季節、彼女に出会った。そして、失った。



 ずっと、心のどこかで、夜桜祈璃という女の子のことを探していた。

 意地っ張りで、素直じゃなくて、クールぶってて、だけど、とびきり可愛くて優しい、俺の、初恋の人——。


「なっ、う、うぅ…………〜〜っ、なんで、そんな、簡単に言っちゃうの。言えちゃうのよぉ……」


「素直なことが取り柄みたいなもんだから」


「……バカ。バカバカ。言葉が軽い。チャラ男。女の敵。クズ」


 ボッと顔に火がついた彼女は、恨みがましく俺を睨みつける。しかしそれさえもままらない羞恥に萌ゆる彼女は逃げるように視線を逸らし、また俺を見ようとして、でも出来なくてって、繰り返し続ける。


 俺はそんな彼女を見つめたまま、悪態も喜んで受け入れた。


「あぁ……もぉ、ほんと、もぉ……」


 祈璃さんはたっぷりたっぷり、熱が冷めるまで間をおいて、やがて大きなため息と共に開き直ったように、言葉を紡いでゆく。


「……ねぇ、蒼斗」

「うん」

「蒼斗、私はね」

「うん」

「私は、どうせいつか、死ぬんだよ」

「……うん」


 死。


 祈璃さんはいつだって、自らの死を見つめている。


 人間は、死にゆくイキモノだから。


「少しずつ季節が巡って、桜が咲いて、散って、その度に歳をとる。だんだんと腰が曲がり始めて、足が上手く動かなくなって、声がしわがれて、耳が遠くなって、目が見えなくなって、お婆ちゃんになって……いつかは、死ぬの」


「……………………」


「病気であっても、そうでなくても、それは変わらない。私でも、あなたであっても、変わらない。この世界に生まれた時から、決まっていること」


 それはこの世界の誰だって知っている、この世界の摂理と言っていい。


「永遠なんて、どこにもない」



 始まりがあれば、終わりがある。


 たとえそれがどんな煌めきに満ちていようとも、楽しかろうとも、悲しかろうとも、いつかは、終わりがやってくる。


 それをその肌で、心で、命で、痛みと共に、身に染みて理解しているのが、俺の幼馴染だ。



「だからこそ、このかけがえのない今をどう生きていくのかが、大事なんだと思う」



 揺るぎない意志を持った瞳で、祈璃さんは俺を見つめる。


 そして、ふっと儚く、優しく笑った。



「——あなたと、一緒に」



 ベランダ越しに、彼女は手を伸ばす。



「手をとって」


「手?」


「私と一緒に今を生きる覚悟があるのなら、手をとって」



 なんだ、そういうことか。


 秒でその手を掴む。



「どうしてそんな簡単にとるのよ……」

「祈璃さんが遅すぎるんですよ」

「……そっか。そうかも」



 俺はずっと、待っていた。彼女が、自分から求めてくれる日を、待っていたんだ。



 祈璃さんは強気に、ギュッと俺の手を握る。



「もう、絶対、離してあげないから」



 それはこっちの台詞だ。


 強く、優しく、握り返す。


 

「ぜったい、離れてやるもんか」



 ああ、やっと。やっとだ。


 拙い言葉を掛け合って、俺たちはようやく一歩、前進した。


 この先の未来に何があるかなんてわからない。楽しいことや嬉しいことがあれば、同じくらいに辛いことや悲しいこともあるのかもしれない。


 だけど、死に別れたと思っていた幼馴染とさえも、また巡り会えたから。


 繋いだこの手を、もう2度と離さないから。


 ご都合的でつまらないハッピーエンドを信じて——俺が手繰り寄せてみせる。



「もぉ。相変わらず、生意気」


「へへっ」


「……でも、ね。そんなあなたが、いてくれるから……」




 祈璃さんは瞳から流星のように美しい一筋の涙を降らせて、笑う。




「私、生きててよかった」




 その儚くも力強い一輪の花を何度だって、咲かせるために、俺はこの道を選び、この場所に辿り着いたのだろう——。

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