第130話 炎とともに

「まだ、戦うつもりですか」


 湯涌からの帰り、田舎道を走るバスの中で、伊咲ちゃんは俺に質問をしてきた。


「ああ」


 俺は迷わずに答えた。


 伊咲ちゃんは目を伏せ、黙ってしまった。嘘をついてやるべきだったかと、一瞬俺は後悔したが、すぐに自分は間違っていないのだと思い直した。嘘をつくほうが、よっぽど残酷な結果になってしまう。


「終わりは――ないのですか」

「終わらせるために戦うんだ」


 それは誤解しないでほしかった。清澄との戦いで、俺は戦うために戦っていた。結局のところ、俺は殺人鬼としての自分の欲求を満たすため、ユキの護衛を口実として殺し合いの戦いに参加していた。自分の内面を突き詰めていくと、きっとそういうことだったのだろう、と思う。


 だけど、これからは違う。これからは終わらせるために戦う。


 この世界を、よりマシな方向へと導いていくために――人の道を外れた連中に、戦いを挑むのだ。


「もしも、ですよ」


 伊咲ちゃんは感情を押し殺した声で、淡々と話しかけてくる。だけど、いつもよりも声が震えているのを感じ取れる。


「もしも、奥さんやお義父さんの死体を回収したのが、アイオーン教団だとしたら――これから先、どんな残酷なことが起きるか――マスターには、想像出来ませんか?」


 俺だって、その可能性を考えなかったわけじゃない。


 人間の持つ知識を永続させるため、記憶をコピーさせ、何世代にも渡って紡いできたアイオーン教団の技術。


 具体的な方法については知らないが、時には薬物を使い、時には機械を使い、奴らは何度も何度も人間を再生し続けてきたのだろう。


「親父は、もともとアイオーン教団の人間だ。本当は、何か目論見があって動いていたのかもしれない。何があっても驚きはしないさ」

「奥さんは?」

「……」


 俺は口を閉ざした。聞かないでほしかった。


「奥さんが、もしもアイオーン教団の手で――」

「よせ」


 そこから先は聞きたくない。


 たとえ、これからまた始まる戦いが、絶望に満ちたものであったとしても……今はただ、未来に希望を抱きながら、報われる日が来ると信じて、前へと進んでいくしかないのだ。


 だから、まだ、気勢を削がれるような話はしたくなかった。


「ごめんなさい……」


 伊咲ちゃんはうつむいた。落ち込ませてしまったようだ。俺は彼女の頭を撫でてやった。なんとなく、そうしたかった。伊咲ちゃんは、「ん」と喉を鳴らして、俺の肩に寄りかかってきた。


 田んぼの見える風景の中、バスは走り続けていた。


「すみません、この先の橋を渡ったところで、降ろしてもらえませんでしょうか」


 運転手に老婆が話しかけている。


 田舎だから、バス停以外のところでも希望すれば、融通を利かせて停車してくれるのだ。


 老婆の申し出通り、バスは小さな橋を越えたところで、停車した。


「ありがとうございます」


 老婆が頭を下げて降りてゆくのを、俺は目で追っていた。老婆はゆっくりと歩み去ってゆく。


 ふと、別のものが視界に入った。


 二人の男女が小道に立っている。目が合った。彼らは俺のことを見つめている。その男の顔を見て、俺は「あっ⁉」と叫んだ。


 男は、清澄だった。


 すると女のほうは妻のマドカだろうか――と目を凝らしたが、似ているようで、全然別人だ。だけど、俺は彼女に対して、懐かしさを感じていた。


 幼い頃。記憶がはっきりと形成される前、俺は彼女に会っている。


「母さん……⁉」


 俺は窓に張りついて、母の顔をよく見ようとした。


 清澄と母は、にっこりと微笑むと、俺に対して深々と頭を下げた。清澄を焼き殺した俺に対して、何かの礼を述べるかのように。その真意は、俺にはわからなかった。


「マスター? どうしたんですか?」

「外に、清澄が」

「えっ?」


 伊咲ちゃんは俺の膝の上に乗って、窓の外を注視した。だけど、すぐに怪訝な表情になり、「誰もいませんよ」と呟いた。


 一度伊咲ちゃんのほうへ顔を向けていた俺は、もう一度外を見た。


 本当に、誰もいなくなっていた。


「確かに、いたんだ……そこの小道に」

「そう、ですか」


 伊咲ちゃんにしては、やけに感情の篭もった声で、相槌を打ってきた。俺に対する同情が感じ取れた。つまり、彼女は俺が幻覚を見たのだと思い込んでいるようだった。母の姿まで見たことを言わなくてよかった、と思った。心の病気と思われてはかなわない。


 俺が見たものは、なんだったのだろう。


 ただの幻覚だったのか、それとも……現世と常世の境界線を越えて、あの世で一緒になった二人の姿を、一瞬だけ垣間見たのだろうか。


 あれは霊魂の姿だったのだろうか。


 俺にはわからない。


「しばらくは、疲れ、取りましょうね」

「ああ……」


 俺は頷いた。


 バスが発進する。もう一度、俺は小道のほうを見てみた。やはり誰もいない。せめて母の顔だけでも、と望んだが、それは叶わなかった。


 俺は座席に身を沈め、目を閉じた。


 金沢市内に戻るまで、ひと眠りしようと思っていた。




 ※ ※ ※




 ひと足先に金沢駅へと戻っていた倉瀬は、妻の静江と合流した後、市内の観光名所を一緒に巡っていた。


 静江は、赤ん坊を抱いている。


 亡くなった藤署長の孫娘だ。名前は、七海ななみ。子どものいない倉瀬家に養子として迎え入れた。子を授からなかった倉瀬たちに遅くなって訪れた、可愛い我が子だった。


 七海は、藤署長の親族の誰もが、引き取ることに難色を示していた。両親が硫酸で焼かれて死ぬという、残酷な殺され方をした、その娘なのである。見ているだけで、辛い事件のことを思い出してしまうし、七海が成長してから事件のことを隠し続けるのか、あるいは全て話してやるのか。そんな先のことを考えると、気が滅入ってしまうとのことだった。


 だから、倉瀬が養子として引き取った。


「この歳になるまで、子育てなんてしたことなかったから、何もかもわからなくて大変です」


 夜になって、駅前のスターバックスで時間を潰している時、静江は苦笑しながら倉瀬に軽く愚痴をこぼした。それは、嬉しい愚痴だった。


 倉瀬は、コーヒーをすすってから、静江に微笑みかけた。




 夜行列車に乗り、コンパートメントに入ると、静江は七海をベッドの上に寝かせた。藤署長似のチリチリしたクセ毛の赤ちゃん、七海は、やんちゃにもベッドの上を這い這いしてはしゃいでいる。


 倉瀬と静江は、お互いに顔を見合わせて微笑んだ。


「秋田へ着いたら、まずどうする?」

「土崎へ行きましょう」


 静江は地図を開いて、秋田駅からひとつ北寄りにある土崎駅を指さした。


「土崎か。そういえば、行こうとは聞いていたが、何をするのか教えてもらっていないな」

「ちょっと、謝りたい人がいるんです」

「謝る?」

「ええ。でも、その人はもう亡くなっています。明治時代の話です。昔、土崎に初めて電気を引いた政治家なんですが――」

「何かあったのか」

「電気なんて見たことのない当時の人々は、魔法かとびっくりしたそうで、気味が悪くて受け入れようとしなかったようなんです。それまでの常識と異なる物を目の当たりにして、みんなは理解することを拒んでしまったのでしょうね。自分たちのためになるものでも、なんだかわからないものは、受け入れたくないと思ってしまった……で、その中の一人に、私のご先祖様もいたんです」

「なるほど。結局、その政治家はどうなったんだ?」

「生きている間に、人々の理解を得られることはなかった、と聞いております。その後の土崎の礎となったとはいえ、哀しい話です」

「だから、謝りたいと」

「はい」


 その時、七海が泣き始めた。


 いつの間にかベッドから落ちていた。這い這いで遊んでいるうちに、はみ出てしまったようだった。


 静江があやす。倉瀬はそれを見て、和やかに笑う。


 全ての決着がついたら、もっと妻を大事にしよう――その時こそ、思い切り妻と笑い合おう。


 そう、心に決めていた。 


 戦いは終わり、倉瀬には平穏が訪れた。妻と過ごす大事な時間を与えられ、彼は今度こそ静かな老後を送ろうと考えていた。


 夜行列車が動き始めた。


 妻の故郷である秋田へ向けて。


「楽しいな、静江」


 倉瀬は心の底からそう思って、静江に声をかけた。


 静江は優しく笑みを返した。




 ※ ※ ※




 娘には、初音はつねと名前を付けた。


 これまでの悲惨な戦いの流れを断ちたいと思い、「初」という文字を入れて、ここからまた始まるのだという願いを込めた。それは、ユキと話し合って決めたことだった。


 だが、残念なことに、戦いはまだ終わっていなかった。


 少なくとも、俺とユキの戦いは。




「ぱ」


 初音は、ふっくらした手を伸ばして、俺の手に触れようとしてきた。


「遅くなって悪かったな」


 イザベラがお湯の中に落っことさなかったのは幸いだった。俺は荷物を長椅子の上に下ろすと、客のいない店内を見渡してから、カウンター席に腰かけた。携帯電話で時間を確認すると、夜の7時だった。


「ほんと、遅い。リビングドールが可愛い女の子だったからって、いい気になってデートしてるんじゃないわよ」

「妬いてるのか?」


 俺は、自分の口を突いて出たジョークに、我ながら驚いてしまった。こんなくだらないことを言うキャラじゃなかったはずだ、自分は。


 イザベラは目を剥いて怒った。


「私は既婚者には興味ないの。浮気性の男にも」

「俺はいつだって誠実だ」

「女子高生と散々エッチして、妊娠させたくせに? 誠実?」

「それを言われると、返す言葉もないが……」

「で、本当のところはどうなの。リビングドールと、何を話してきたの?」


 伊咲ちゃんとは、今後のことについて打ち合わせていた。


 彼女は戦闘などの荒事に巻き込まれないのであれば、全面的に協力してもいい、と申し出てくれた。リビングドールとしてのバックアップがあるのは、非常に心強い。


 それでも、彼女は釘を刺してきた。


 次こそ、俺は命を落とすかもしれない――と。


「道のりは、険しいなあ、と……」

「何それ」


 イザベラは肩をすくめた。初音がじっと彼女の顔を見ているのに気が付き、イザベラは、「パパの言うこと、わかりまちぇんよねぇ」と赤ちゃん言葉で話しかけた。初音は丸い顔をキョトンとさせて、小首を傾げた。


「イザベラ。頼みがある」

「“さん”付けで呼ばない人の頼みなんて聞きたくないわ」

「じゃあ、イザベラさん。お願いします」


 初めて、イザベラの顔に動揺が走った。改まった態度を取る俺に、冗談で返すわけにもいかず、髪を指でクルクルと巻きながら、「な、なによ」とつっけんどんに聞いてきた。


「俺は、これからタイに向かおうと思う」

「タイに⁉ なんで、そんな遠くへ」

「ユキがそこにいるからだ。俺は、彼女を守らないといけない」

「初音ちゃんはどうするの」

「預かってくれないか」

「いやよ、そんなの。私の子でもないのに。それに、私だって安全な身じゃないんだから、簡単には引き受けられないわ」

「そこをなんとか、頼みます」


 俺はまた敬語で喋り、頭を下げた。


 これに関しては、引くつもりはない。イザベラが了承してくれるまで、粘り強く交渉を続ける心づもりでいた。


 が、案外あっさりとイザベラは頷いてくれた。


「わかったわ。初音ちゃんは、私が見ててあげる」

「すまない。恩に着る」

「その代わり――必ず、生きて帰ってきてよ」


 イザベラは、真剣な眼差しで、俺を見つめてきた。


 俺も、真正面からイザベラと見つめ合う。


 確約は出来ない――と言いたくなるのを抑えて、俺は無言で頭を縦に振った。イザベラは納得していない感じの表情だったが、とりあえず了解したようだった。


 俺は、「サラスパティ」を出た。






 これから、俺は何のために戦うのだろう。


 ユキを救うためか?


 清澄の無念を晴らすためか?


 世界人類の平和のためか?


 あるいは、マッドバーナーとして――戦うために戦いを繰り返し、人を殺すために人殺しを繰り返すのだろうか?


 なんであれ、“人の道”を外れないことが肝要だ。


 自分が人間であることを自覚し、同じ人間と相対していることを忘れず、闇にさえ落ちなければ。


 少しは、マシな生き方が出来るだろう。




 俺はマッドバーナー。




 善悪定かならぬ紅蓮の悪魔。




 いまだ答えの出ない我が身の存在理由レーゾンデートル




 真の決着がつくのは、俺が敵を殺した時か、それとも俺が敵に殺される時か。




 いいだろう。


 戦い続けてみせようじゃないか。


 答えが出る、その日まで。




 生き抜こう。炎とともに。そして見つけてみせよう。正しい道を。




 この歪んだ世界に微かな希望を求めて。


 (完)

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マッドバーナー2008 逢巳花堂 @oumikado

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