第129話 愛する人達のために

「君がリビングドールだと知った時は、驚いた」


 伊咲ちゃんは無表情でカルピス梅ソーダを飲んでいる。一見、俺のことを無視しているように見えるが、実はちゃんと耳をそばだてて聞いている。一緒に働いてきた仲だから、よくわかる。


「俺がマッドバーナーだと知っててバイトを始めたのか? それとも、バイトをやっていたら、たまたま俺がマッドバーナーだと知ったのか?」

「後者、です」


 ボソリ、と伊咲ちゃんは呟く。いつだか、倉瀬さんに見せてもらったリビングドールとしての彼女の喋り方とは、似ても似つかない冷たさ。ネット上ではなんであそこまでハイテンションになれるのか、理解に苦しむ。


「こういうの運命って言うんでしょうか」


 カルピス梅ソーダを飲み終えた伊咲ちゃんは、まっすぐ俺を見つめてくる。いつだったか、「好きです」と告白してきた時の彼女の顔を思い出す。あの時、やや頬を赤らめていた。表情の変化に乏しい彼女にしては、珍しく感情を露わにしていた。少し、可愛いと思った。


「運命かもな」


 俺は頷いた。本来なら接点のない二人が出会い、最後の戦いの時には共闘までしたのだ(もっとも、俺が一方的に助けられていただけだが)。伊咲ちゃんがいなければ、俺は死んでいたかもしれない。彼女と出会わない確率のほうが高かったのに。これを運命と呼ばずして、なんと呼ぶ。


「やれやれ」


 倉瀬さんはかぶりを振る。右手義手をギシリと慣らしながら、座卓上のアイスコーヒーを取り、口をつけた。義手の扱いはかなり慣れたようだった。


「こうして殺人鬼とネット犯罪者を前にしながら、警察に通報しようともしない元警察……私もいつか地獄行き確定だな」

「おじいちゃんは、大丈夫」


 なぜか伊咲ちゃんはムッとした顔になって、倉瀬さんの言葉を否定した。


「おじいちゃんはいい人だから、地獄なんか落ちない。だから大丈夫」

「そうかな? ま、お前さんがそう言ってくれるのなら、素直に信じよう。で、それはそうと、気になっていたことがあるのだが」


 倉瀬さんの質問に、伊咲ちゃんは小首を傾げて、「なに?」と問いかける。


「お前さんは、どうしてこんな情報屋なんて仕事をするようになったんだ? まだ歳も若いのに、何がきっかけで、闇の世界へと足を突っ込んでしまったんだ?」


 伊咲ちゃんは答えない。


 しばらくしてから手を出し、お金を要求するジェスチャーを取った。


「それもまた情報。特に、私個人の情報は高いよ、おじいちゃん。それでも聞きたい?」

「いや……やはり、やめておこう」

「どうして?」

「世の中、種が明かされないほうがいいこともある。私の中では、リビングドールという情報屋は、たとえ正体がわかっても、永遠に謎は謎のまま……あえて追求しないほうが、幸せなのかもしれない」

「そうね」


 伊咲ちゃんは頷いた。


 何秒間か沈黙が続いた後、伊咲ちゃんは口を開いた。


「そろそろ」


 俺と倉瀬さんの顔を見回す。


「そろそろ――本題に入る?」

 

 本題。


 異論があるはずもない。


 そのために俺は金沢郊外のこんな場所までやって来たのだ。「ピース・レジャー」で伊咲ちゃんから話を聞いた時は、その場ですぐに詳細を教えてもらいたいほどだった。だけど、何があるかわからないからと、わざわざ遠方で集まることにした。


 待ちに待たされた。早く済ませたかった。そして、ついに本題に入ろうとしている。


 一週間前に失踪したユキの居場所。


 子どもだけ残して、「この子は、やっぱり玲さんとあやめさんの子どもです。私に育てる資格なんてありません」と簡潔な手紙を置いて、どこかへいなくなってしまったユキ。


 その彼女の行方を、リビングドールである伊咲ちゃんは突き止めたというのだ。


「彼女は、いま――アイオーン教団の本部で、SKA討伐の任務に加わろうとしています」


 伊咲ちゃんの言葉に、俺は、あやめの死体が消えたことに対する自説が、本当に正しかったのだと確信した。


 陰に隠れて、ずっと表舞台に出てこなかったアイオーン教団。


 SKAが崩壊寸前まで追い込まれている現在――ようやく奴らは動き始めた。これまで傍観しておきながら、いまさら何をしようというのか。


 決まっている。


 邪魔なSKAを排除したら、今度は連中が闇の世界に台頭する。SKAの本家本元であるだけに、よりタチの悪い秘密結社となるに違いない。なんというイタチごっこなのだろう。


「先を、聞きたい?」


 伊咲ちゃんの質問に、俺も倉瀬さんも、力強く頷いた。


 聞いたら、きっとまた、戦いに身を投じなければならなくなる。それでも、聞かないわけにはいかない。なぜなら、ユキが関わっているのだから。


 俺は、娘のためにも、ユキを連れ戻さないといけないのだから。



 ※ ※ ※



 アパートの外が騒がしくなり、ユキは目を覚ました。


 飛び起きざまに枕元の拳銃を取り、部屋の中央に退避して、身を屈める。向かいの建物に狙撃ポイントがないことは確認済みだから、その心配はない。問題は、敵が強引に突入してきたときの対処方法だ。


 タイのバンコクに着いてから、一週間が経つ。SKAの息がかかったタイマフィアに狙われ、戦いを繰り返して、毎晩安眠出来ずにいる。今夜だって、眠りが浅かったからこそ、外の喧騒に気が付いたのだ。


 でも、ユキは眠くなかった。


 奴らを殲滅するまでは、寝る時間すら惜しかった。


 SKAの前身でもあるアイオーン教団を滅ぼすまでは――安らかに眠る暇などない。




 ユキはある結論を導き出していた。


 SKAとの戦いは、前哨戦に過ぎなかった、と。


『SKAはアイオーン教団から派生した組織。でも、ルクスが創立させるより以前から、アイオーン教団にはSKAとなりうるだけの下地があったわ』


 とイザベラは語っていた。


 アイオーン教団は、早くから「魂の本質は“悪”である。“悪”をなすことが、魂の解放に繋がる」といった考えを持ち始めていた。ルクスはその考えを後押しして、SKAへと発展させただけにすぎない。


 そのSKAが瓦解した今、アイオーン教団は暗躍を始めている。


 ユキは教団の企みに気が付かない振りをして、内部に潜り込んで、SKA討伐に協力している。その一方で、アイオーン教団の秘密を探ろうとしている。


(SKAよりも、危険な組織……そう、感じる)


 あるいは、ルクスはSKAを独立分派させたように見せかけながら、実はそうではなかったのかもしれない。


 ユキにはわかる。ルクスほどの男が、あの最後の戦いで、あんなにも簡単に命を落としてしまったことが、どうにも解せなかった――しかし、まだ策があるのだと考えれば、しっくり来る。


 ルクスは壮大な“自作自演”の争いの末、一時退場しただけなのだ。


 そうして、本来の居場所へと戻り、今度こそ自分の目的を果たそうとしているのかもしれない――


 本来の居場所。すなわち、アイオーン教団へと戻って。


 

 

 窓ガラスが割れ、室内に敵が飛び込んでくる。


 ユキはすかさず相手の顎を蹴り、怯ませると、割れた窓から外へと飛び出した。


 不意を突かれた敵はうろたえていて、即座に対応出来ずにいる。


 その隙にユキは敵の間を駆け抜け、包囲網を突破した。無駄な殺傷はせず、極力必要な相手だけ倒すようにしていた彼女は、この時も一度も拳銃を使わなかった。


「まだ、負けない」


 遠く離れた日本へと置いてきた、愛する人たちの顔を思い浮かべ、ユキは固く心に誓っていた。


 絶対に、この戦いに勝ってみせると。

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