アロワナの噴水

高黄森哉

アロワナと噴水


 誰もいない公園、というのは、少子高齢化の時代、珍しいものではない。子供がいないのだ。夕方なのに、ここには人がいなかった。


 この公園が捨てられたのは、立地の関係もあると思う。住宅街から少し離れた小さな丘にある。坂を上らなければ、たどり着くことは出来ない。


 手入れも行き届いておらず、枯れた蔓がフェンスに絡まっている。また、砂地には、雑草が島のように点在している。


 俺は今、そんな公園のベンチに座っていた。


 正方形の敷地の中央に丸い噴水があり、噴水を眺めるようにして、ベンチが四つ、しつらえてある。その東側のベンチに座っている。


 噴水といってもいろいろある。この噴水は水を噴き上げない種類。丸い器の中央から水が染み出し、容器の縁からちょろちょろと、あふれた水がこぼれている。明鏡止水。


 とても静かな水面だ。水平で、波一つない。浅い角度から見ると、景色が映り込むくらいだ。それなのに、中の水は常に入れ替わっているのだから不思議である。


 近くまで寄って、そっと、水面を覗き込んだ。巨大な魚が、水中を滑るように移動する。俺がここを訪れる理由。それは、アロワナが噴水にいるからだ。


 ある噂によると、少女が放流したらしい。家で飼いきれる大きさでない、という理由で親に返品を命じられたが、こっそり、ここで飼育することにしたのだ。


 この住宅街では、それは公然の秘密だった。外来生物を野に放すのも、噴水で生き物を飼うのも、本当はいけない。いけないのだけど、


 だけど、倫理や道徳が、あの少女の小さな幸せを破壊する、というのも、変な話だ。もちろん、我々は規則の奴隷ではないのである。


 この魚に、時々、餌をやる。それが、いまのところ、俺の小さな幸せだった。なんとなく、気がまぎれる気がする。昔から生き物が好きだった。


 静かな公園で、零れ落ちる水の音と、静かな水面に移る空と、枯れ草のささやき、風が通り過ぎる感触。


 しかし、幸せは長くは続かなかった。


 ある日公園に行くと人だかりができていた。ついに、あの美しい噴水の存在が、世の中にばれてしまったのだ。


 人々はシャッターを鳴らし、雑草を踏みつぶし、ぺちゃくちゃと話しながら、それでいて、ここが彼らの、つつましい秘密なのだ、と主張したげだった。


「あなたも、噴水を見に来ましたか」

「人間を見に来たんです。人だかりができていたから」


 俺は嘘をついた。話しかけてきた二枚目の男は、人畜無害で、教養がありそうで、憎むことは出来ないのだが、なんとなく、仲良くしたくない。


「見ていきますか、面白いですよ。私は、富山のほうから来ました。きれいなところですね」

「そうですか」


 しかし、これだけ狭い空間に、人がうようよしていると、あの静謐さは失われてしまっている。地面には靴跡がついていて、嗚呼、あの地面の美しさは、砂地の処女性に宿っていたのだな、と気づかされる。


「ここを見れるのは、今月まで、というのは、なんとも悲しいことです」

「えっ。そうなんですか。それは、どうして」


 初耳だった。


「誰かがソーシャルメディアに投稿したんです。そしたら、外来生物と、公共施設の私用などが、問題視されまして。このアロワナは、近くの水族館に移動させられるそうですよ」


 馬鹿。池とアロワナは不可分だ。果たして、だれが信念のない人間を、人と呼ぶ。池とアロワナもそんな具合だ。


「そうですか」

「アロワナが死ななくて済んだのは良かったことです」


 人々は鳥の翼の美しさを語る前に、その鳥が逃げるのを防ぐため、おもりを結ぶ。鳥は、もう飛んでいくことはない。その時、翼の機能が失われ、美しさは消滅する。


「今に見ててください。あの噴水です。あそこにカメラマンがいる。彼は今にも池に向かってフラッシュを焚きそうだ。綺麗な、たった一枚の写真を撮るために」


 俺は言った。


「今に跳びますよ」


 魚が、突然の眩しさに驚き、宙を舞った。地面にたたきつけられて、砂にまみれる銀の魚。俺は、魚が少女の未来を暗示しているようでならなかった。あの小さなアナキストの将来。


 

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アロワナの噴水 高黄森哉 @kamikawa2001

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