第2話 水の魔法

 

 この国を訪れて、はじめての夕食です。


「口に合えばいいのだけど……」


 旦那さまは少しだけ、不安そうでした。しかし、それは杞憂だとすぐに気がついたようでした。なぜなら、私がすごく目の前の料理たちに感動していたからです。


 鶏肉料理と野菜料理が主でしょうか。王国のパーティーでも見たことのない華やかな料理が大きな机に並びます。黄色、赤、緑のパプリカが詰められた鶏ハムがとても口に合いました。すごくおいしかったです。また、デザートとして出てきた一口サイズのフルーツケーキたちはいままでにない上品さを感じました。ブルーベリーのムースケーキが特にお気に入りでした。


 ******


 今朝は旦那さまのお見送りをしました。


「基本的にはゆっくりしていてくれていいよ。好きなことをしてもらっていて構わない。僕ももあなたと同じで、王子といっても国王の座につくわけではないから」


「ほほっ、ソルアルド様はあんなことをおっしゃっていますが、能力は三兄弟の中でも随一と言われているのですよ。ですが、王になるのではなく、王を支える立場でいたい、と」


「私程度にはよく理解できませんが、なにか立派なお考えがあるのですね」


「ていど、などおっしゃらないでください。あなたは我が主が伴侶にぜひ、と選んだ方なのですから」


「えっ?」


 初耳でした。政略結婚として御しやすそうな姫をえらんだのでは?


 間抜けな顔をしていたのでしょう。じいや様が続けて教えてくれました。


「昔、あなたにお会いしたようですよ。そのときの交流でお慕いもうしあげたとか」


「? あんな美しいかたとお会いして忘れることがあるでしょうか、いえ、記憶力に自身があるわけではないのですけど」


「たしか、10年前だったと記憶しています」


「10年前ですか、私が6つのときですね」


「ほほっ、それならば覚えておいででなくても不思議ではないでしょう」


「……そうですね」


 6歳、覚えていなくても仕方がありません。でもエルフの女の子と遊んだ記憶はあるのです。もしかしたら、その子のそばにいたのかも……。


「ほほっ、まあ、あまりじいの口からべらべらと話していると、叱られそうな気もします」


 じいや様はおどけて笑っています。


「ふふっ、そうかもしれませんね」


「ほっほっほ、それでは、若奥さま、今日は何を?」


「うーん、どこか水槽を設置できる場所はありますか?」


「水槽ですか。星の水でもいれるのですか?」


「はい、水槽です。お魚をいれたいのです。出来れば自室に置けたら嬉しいのですが……」


「魚とな……。わかりました、お任せください」


 さすがに初日から寝室が一緒というわけではありませんでした。旦那さまは私専用の個室を用意してくれていたのです。ありがたいかぎりです。


 最初は実家の自室より三倍は大きい部屋を案内されましたが、落ち着かないということで、他の部屋を案内していただきました。わがまま言ってすみません。今の部屋は実家と同じくらいの広さをしたお部屋でとても落ち着きます。


「わぁー、ありがとうございます」


 新しい自室に、立派な木製の台を置いていただきました。水槽より一回り大きく、落下を心配する必要はなさそうです。最低限の装飾と模様がすごくおしゃれで格式を感じます。


「ふふっ、それでは早速。水よ満たせ」 


 魔法で水槽の中を水で満たします。


「おおっ、若奥さまは水の魔法をお使いになられるのですね」


「ええ、マリンタリアの王族は代々水の精霊に愛されるそうです。私はそこまでではないですが、一番上のお姉さまは国中に雨を降らすこともできるそうですよ」


「それは、それは凄まじいですね」


「ええ、驚きです」


 そう言いながら、私は次の準備をします。


「水よ、清く巡れ」


 水槽のなかに黄緑色の水草を生やします。


「それは?」


 じいや様が不思議そうに見つめています。


「水を清潔に保つ魔法です。これで水換えもお掃除も必要なくなるんですよ」


 さらには匂いも浄化してくれます。苦節三年の末に生み出した独自魔法です。お母様にはあきれられましたけど。


「おお、それはすごい。……これはもしかすると、下水道や風呂桶にも効果的なのでは?」


「……なるほど、試したことがないですね」


 そう言われれば、水槽以外に試したことはありません。


 下水道は、さすがにためらわれます。それに、はしたないというより変な女だと思われてしまいそうです。


「試してみましょうか」


「ほほっ、おともしますよ」


 庭に出て、じいや様が持ってきてくれたのは、風呂桶、ではなく、洗面器でした。竹でつくられているのでしょうか、シンプルでしたがおしゃれです。


「ではこれで」


 じいや様が洗面器のなかに水とインクをいれました。


「はい。水よ清く巡れ」


 私は呪文を唱えます。すると、真っ黒になっていた洗面器の中は透き通っていきました。水草がよく見えます。


「ほほっ、これはすごいですな」


 自分でも驚きです。こんなことができるなら、毎朝の洗濯は魔法で済ましてしまえばよかったです。


「ありがとうございます、じいや様。私だけでは思いつきませんでした」


「ほほっ、いえいえ。若奥さまがすばらしいのですよ。ですが、お褒めの言葉はありがたく受け取っておきますね」


「ふふっ」


 気づけて良かったです。自分の趣味にしか使えない魔法だと思っていました。


「では水槽にいれる魚をとりにいきましょうか。このあたりなら星の泉か魔法の湖がいいですね」


「はい! 楽しみです!」


 いっそう声が高く、大きくなります。どんなお魚がいるのでしょう。わくわくがとまりません。


「ほほっ、どちらも見てみましょうか。小さめがたくさんと数匹おおきいのでしたらどちらがお好みですか?」


 じいや様の言葉に、私はうんうんとうなってしまいます。どちらもすごく魅力的な提案なのです。小さなお魚には、動き回る魅力が。大きなお魚にはゆったりとした迫力があるのです。共存はできません、小さなお魚が食べられてしまいますから。


「ほほっ、では実際に見て決めましょう。じいの側をはなれないでくださいね」


「はい!」


「風よ、纏え」


 じいや様の詠唱が終わると、柔らかな風が私たちを包みました。体がゆっくりと浮き、ふわふわと運ばれていくのでした。


 後で聞いた話ですが、じいや様は元森林王国騎士団の副団長さまだったらしいのです。護衛が少なかったのは、この国が平和な国というだけではなけではなく、じいや様がとてもお強いからでした。


 星の泉に到着しました。

 

 深い森の中に隠れた場所にあり、夜空に輝く星々がその水面に反映されているかの様です。泉の水は透明でクリアであり、星座や銀河のような模様が底に見えています。周りを取り巻く植物は、星座の名前にちなんだ花々や輝く葉を持っており、夜になると幻想的な光を放っているそうです。


「この星の泉は、知識、癒やし、運命といった神秘的な力を持つと信じられており、エルフや魔法の生き物たちにとって特別な場所として崇拝されているのです。星座を泉の水面に映し出すことで、魔法や運命についての洞察を得ることができると信じられているのですよ」


「ほえ~」


 じいや様の言葉に思わず呆けてしまいます。難しい話しはよく分かりませんが、この場所がエルフの皆さまにとって、とても大切な場所だということでしょう。

 

「ほほっ、さてどれにします?」


 きらきらとした水の中で、優雅に泳ぐお魚たち。見たこともない種類のお魚たちですが、どの子もとても魅力的に見えてしまいます。


 私は泉の側で一時間ほど悩んでしまいました。魔法の湖には時間の関係で訪れることができなくなったほどです。


 ******


「ああ、素敵です……」


 優雅に泳ぐ小魚たち。種の名前は星めだかというらしいです。キラキラと光る尾びれに、個性があって素敵です。


 もう一種の魚は、森なまずというらしいです。緑色のひげが愛らしいです。また大きいお口がとてもキュートです。


 夜です。寝る前の時間です。


 水槽は二つに増えていました。どちらか決めきれなかった私のために、じいや様から連絡を受けた旦那さまが、台座と水槽を用意してくれていたのです。


 時間も忘れて見いってしまいます。


 こんこんこん。


 三回ノックの音が聞こえます。


「入ってもいいかな、アンナ」


 旦那さまの声でした。


「はい、もちろん。どうぞ」


 ドアが開き、旦那さまが入ってきます。部屋の中心にある三人がけのソファー。私の隣に座ります。


「なかなか壮観だね。この国では魚を鑑賞する文化がない。最初は驚いたけれど、これは、心が和む気がするよ」


「本当ですか!? 嬉しいです」


「ああ、本当だよ」


 旦那さまは優しく笑ってくれています。


 お母様やお友達からは白い目で見られていました。誰かに認められるのがこんなにも嬉しいこととはおもいませんでした。


「アンナの魔法はすごいんだね」


「えっ?」


「使用人たちが驚いていたよ。こんなに便利な魔法はないって」


 お魚たちをじいや様に捕まえてもらったあと、私は大きな桶に魔法を使ってみたのです。すると、その水につけるだけで洗濯ものがきれいになり、食器もきれいになりました。しつこい油汚れだってへっちゃらだったのです。


 明日は他にもお風呂などで試すつもりです。


「そういえば、あの魔法はいつまで続くんだい?」


「ずっとですよ」


「えっ」


 旦那さまはとても驚いている様子でした。


「私が寝ている間も、機能しているので。正確なことは分からないのですけど、効果が切れたところは見たことがないです」


「……凄まじいな」


「……? それが普通ではないのですか?」


 今度はこちらが驚く番でした。


「いいや、聞いたことないよ。永久に続く魔法なんて。とてもすごいよ。さすがだね、僕が選んだお姫様は」


「......」


 そう手放しに誉められると照れてしまいます。


「じ、じいや様もすごかったですよ。風の魔法でお魚たちを簡単に捕らえていました。それに、お魚さんたちに傷ひとつ付いていなかったのです」


 何か話題を変えようと、私は今日感動したことについて話し出します。


「あはは、じいやの魔法の制御はこの国でも一番を争うからね。僕の魔法の師匠でもあるんだ。誉めてくれて嬉しいよ」


「......旦那さまも風の魔法を使うのですか?」


「うん。それと……」


 旦那さまはほほ笑みます。


「……?」


「旦那さまって呼ぶのはやめてくれるかな。僕らは夫婦になるんだ。君とは対等な関係でいたい。できれば、名前で読んでほしい」


 旦那さま、いいえ、ソルアルド様の美しい横顔が朱に染まっています。失礼ながら少しだけ、かわいいと思ってしまいました。


「はい、ソルアルド様」


「......まあ、様を外すのはいずれでいいか」


 ソルアルド様は、ほんの少しだけ不満げでしたが、とても喜んでいてくださっているように感じました。なぜでしょうか、私も心がふわふわとしています。


「それじゃあ、あまり長居するのもよくないよね。おやすみ、アンナリーザ」


 そういって、さまは私の手を握り、手の甲に口づけをなさいました。


 わあ、絵本で見たことのある光景だ、と他人事のように感動してしまいます。


「はい、おやすみなさい。ソルアルドさま」


 手を軽く振って、部屋を出ていく様。そんな姿も、とても絵になるお方です。


 改めて、贅沢な話のように思えてきました。優しくて、格好よくて、美しい。そんなあの方と一緒にいられることが。


 あの人と出会ってから、どうにも調子がくるってばかりです。顔が熱くなっていることに気がついた私は、頬を両方の手で押さえたのでした。




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