第5話
「なんだよ、大事な用事って」
校門にやって来るなり、大地は投げやりに言った。幾らかはマシになったにしろ、彼の表情の奥には未だに暗い影が潜んでいる。
「どうせまた、誰かに怒られたとか、課題手伝ってとかだろ? ったく、こっちも部活休む言い訳考える大変なんだからな」
大地の態度に由紀は何か言い返したくなったが、時計を見てすぐに言いとどめた。
今はそんなくだらないことを彼と言い争っている場合ではない。
「いい? 大地。よく聞いて」
由紀はスマホを弄る大地の両腕を突然掴んだ。
「なんだよ急に、びっくりするじゃんか」
「いいから、よく聞いて。緊張して、かっこつけたくなる気持ちは分かるけど、なるべく自然体でいること」
「は?」
「ハニーディップスの話題は確かにフックになるし、共通の話題になるけど、そればっかに集中しない事。でも、かといってプライベートな質問もし過ぎないこと」
「何のこと言ってんだよ」
「とにかく! 何事も焦らない事、じっくりお互いが近づいていけば必ず上手くいくはず。だって……彼女の好きな人は多分、あんただから!」
「は……由紀、お前何言って――」
「金井さーん!」
校舎の方から聞こえた声が、大地の言葉を遮った。
「金井さん、金井さんから誘ってくれるなんて嬉しいな。今日もハニディの……えっっ……泉くん……」
校舎から息を切らせて走ってきた亜理紗は由紀の後ろで棒立ちになった大地の姿を見て言葉を詰まらせた。
「た、たた、立花、さん……」
完全に声が裏返った大地を、由紀は肘で小突く。後退ろうとする彼の背中を押し、由紀はしっかりと大地と亜里沙を対面させた。
「ど、どうも……」
「あ、はい……」
ぎこちない挨拶を交わす2人の姿に由紀は思わず吹き出しそうになる。
「立花さん、ハニーディップスの話してたでしょ? 大地も、ハニディの大ファンだから話し合うかなあって」
大地が困惑の視線を向けてくる。由紀はそれを無視して、顔を赤らめた亜里沙へ静かに微笑み、頷く。
亜理紗は下唇を噛んで軽く点頭した。
「……えっ……じゃあ好きな人が俺って……」
思い出したように呟く大地のわき腹をもう一度強く小突いた。
「あー2人とも、ごっめん。私ちょっと、用事があるんだった。誘って悪いんだけど、私先帰るね? じゃ、あとはごゆっくり……」
2人の返答も聞かないうちに、由紀はその場から勢いよく走り去った。
学校へ続く坂道を駆け下り、繁華街を走り抜ける。風が火照った頬に当たり、心地いい。足取りも、そして心もどこか軽やかだった。
川沿いの土手まで走ってくると、さすがに息が切れ、由紀は膝に手をついて立ち止まった。その時になって初めて、彼女は自分がほほ笑んでいるのを知った。
心を満たす、満足感と優越感。自分はいいことをしたのだという充足が、最前感じていた罪悪感を打ち消していた。
自分はいいことをした。あの、大地の戸惑い方。嬉しすぎて、どぎまぎしている彼を見ているとこちらまで微笑ましくなる。
やってよかった。由紀は心の底から思った。
あとは――
「ほんっとうにありがとう!!」
翌朝、大地は頭を下げて感謝を示してくれた。滅多に見ることの無い彼の旋毛が、可愛かった。
「由紀、お前はホントにいい友達だよ」
大地は由紀の両手を握ってぶんぶんと縦に振る。
「分かった、分かったから。で、上手くいきそう?」
「ああ。立花さんもハニディ好きって言ってたろ? あの後、駅前の喫茶店で2時間もハニディの話してさ」
「えっ、大丈夫? あんたが一方的に話したんじゃ」
「違う違う。ほとんど、立花さんの独壇場。ずぅーっと喋ってんのあの人。でも、綺麗なんだぁ、その姿が……」
のろける大地に由紀は呆れたように首を振った。
「ま、あんたが幸せならそれでいいよ」
「ほんと、ほんとにお前はいいやつだよ」
大地が抱きしめようとする仕草を見せたので、由紀はそれをかわして、スマホの画面を見せた。
「そうだ、じゃあ2人でこれ行って来たら?」
「えっ……これ……」
ハニーディップスのライブの当選メールだった。
「そ、ハニディのライブ。これあげるからさ、2人で行ってきなよ」
「で、でも、由紀は?」
「私は……そりゃ行きたいけど、あんたと立花さんが行く方が意味があるでしょ? それに、大地もライブ行きたがってたじゃん」
大地は突然表情を歪ませ、目頭を押さえた。
「由紀……お前ってやつは……」
「ちょ、泣かないでよ…………え、嘘でしょ? ほんとに泣いてんの?あんた、」
芝居なのか、本気なのか分からない大地のリアクションに戸惑いながらも、由紀は苦笑してそれを見つめた。
ベッドに寝ころんだまま、無機質な天井を見上げる。
大地と亜里沙の距離は日増しに縮まっていくのが分かった。
1人で帰ると、学校からの道のりは普段感じていたよりも長い。でも寂しくはない。自分はいいことをしたのだという満足感がある。大地と亜里沙が仲睦まじく、帰宅している様子を想像するとこちらまでニヤついた笑みがこぼれる。
スマホが鳴った。
手に取ると、大地からのメッセージが届いていた。メッセージには大きなドームの前で、亜理紗と肩を組んでピースサインを投げる大地の姿が映っていた。
『これから2人で、ライブ全力で楽しんでくる!』
由紀は返信する。
「めっちゃ楽しそう!! 私も行きたかったーー! 私の分まで楽しんできて!!」
由紀は無表情だった。
ため息をついた由紀はスマホをベッドの向こうへ、勢いよく投げつけた。
いいことをした――
自分はいいことをしたんだ――
だから、こんな感情は――
「間違ってる……」
由紀は言葉にならない叫びをあげてベッドから飛び起きる。そして彼女は勢いのまま壁に掛かっていたポスターを引き剥がした。
本棚に立て掛けてあったCDも床に叩きつけ、感情のままに踏みつけた。
「間違ってる……こんなの間違ってる……」
あらゆる感情が混ざり合った巨大な濁流が大粒の涙となって、由紀の両目から零れ落ちる。無力感や敗北感は滂沱として溢れ、やるせない感情のまま由紀は泣き続けた。
金井 由紀が、泉 大地を好きだと気づいたのはその時だった。
友達のうた 諸星モヨヨ @Myoyo_Moroboshi339
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