第4話

 ぼうっとしているとすぐ、亜理紗の言葉が頭の中に去来する。

 最終の下校時刻を告げるチャイムと放送が流れている。

 由紀は何事もなかったように、今日も校門の前で大地が出てくるのを待っていた。

 彼女の周りには、同じように誰かを待っている生徒が数人、時間を潰している。


 少しして、校内から一塊になった人の波が出てくる。幾人かの待ち人は、その波の中に相手を見つけその場を去って行く。

 由紀のそばでスマホを見ていた女子生徒も、やがてやって来たユニフォーム姿の男子生徒と落ち合い、帰宅の途についた。


 校門から少し離れた所で手を繋いだ2人の後姿を由紀はぼんやりと見つめた。彼らの姿が見えなくなった後、由紀は思い出したように大地の姿を探した。

 もう出てきてもいい時間なのに彼の姿はどこにも見えない。辺りを見回す由紀の横を、汚れた野球のユニフォームを着た生徒が数人、足早に帰宅していく。


 嫌な予感が頭を過った。乾いてきた口の中に無理矢理唾液を絞り出し、由紀は校内へ戻ろうとした。

 その時になってやっと、

「ごめん、遅くなった!」

 グラウンドの方から、大地がよたよたと走ってくるのが見えた。


 彼は泥だらけのユニフォームのまま、大仰な荷物を両手いっぱいに抱えていた。

「ごめんごめん、たまった洗濯物とか諸々持って帰れって監督に怒られてさ。片付けしてたら、こんな時間」

 大地のおどけて笑う姿にホッとすると同時に、先ほどまで感じていた焦りや不安に対する怒りが湧き上がってくる。

 平然とした大地に、由紀は思わず怒りの言葉をぶつけた。

 言い終わってから、しまったと思った。

 大地は驚きの顔を浮かべていた。

「なんで、そんな怒ってんだよ。いつもよりちょっと時間が遅れただけじゃんか」

 言い返す言葉もなく、どうしようもない恥ずかしさで由紀はそそくさと歩き始めた。


 無言で歩くうち、由紀はひどく惨めな気持ちになった。

 先日の亜里沙の言動。彼女が大地に恋をしていることは、誰が見ても明らかだった。何故大地なんかを、という疑問を抱いてみても変えようのない事実には何の意味もない。大地の事を卑下し、あり得ないと理由付けしたところで、かえって余計に自分が情けなくなってくるだけ。


 両想い。相思相愛の関係に自分の居場所はない。言い知れぬ孤独と、途轍もない罪悪感が由紀を襲った。

 それは大地に対してではなく、由紀自身に向けられたものだった。

 自分は大地に嘘を付いた。嘘を付いてまで、2人の恋路を邪魔してしまったのだ。弁護の余地のない事実が、形のない重みとなって由紀の上に圧し掛かってくる。

 自己嫌悪。どう取り繕っても、悪いことをしたという事実からは逃れられない。2人にとって、自分が絶対的な悪であるという事実に、由紀は耐え切れなかった。


 ほとんど無言で帰宅した由紀は、ベッドに倒れ込んだ。うつぶせのまま、枕に顔を押し付けて意味のない言葉を大声で叫んだ。

 いっそのこと、相手が最低な人間だったらまだ受け入れられたかもしれない。それならまだ、自分にも張り合える余裕があった。だが、相手は非の打ち所のない人物。おまけに一度話しただけでも好感を抱いてしまうような“いい人”だ。

 勝ち目なんか最初からない。大地だって、自分といるよりも亜理紗といる方が楽しいに決まっている。

 シーツを固く握りしめ、頬の肉をしたたかに噛みしめた。

 枕元でスマホが鳴った。反射的に手に取ると、メールが届いていた。

 無感情にメールを開き、中身を確認する。


 ――ハニーディップス springドームツアーにお申込みいただきありがとうございます。この度、抽選の結果、第一希望で――


 脳裏に、大地の笑顔が過った。それは、亜理紗の事を話していた時の心の底からの笑顔だった。

 スマホの画面を凝視し、由紀は大きなため息を吐いた。

 まだ、2人にとって自分が悪だと決まったわけではない。

 確かに自分は大地の恋人にはなれない。しかし、恋人であることが無理なのなら、せめて良き友人で、

「くそっ……まじで、くそっ」



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