カエルに呪われたお姫様を救ったのは、クールで王子様な幼馴染みちゃんからの告白だった

青野 瀬樹斗

本編



 ──恋がしたい。


 好きな人がいて、その人と些細なことで笑いあったり、ふとした瞬間にドキッとしたり。

 どこにでもあるくらいありふれた、けれども素敵な恋がしたい。

 私──礇科いくしな茉里まりもそんな憧れを胸に懐く一人の女子高生だ。


 とある秋日和の放課後、私は図書委員として図書準備室で本の整理作業をしていた。

 もちろん一人じゃなくて、別クラスの同じ委員の男子と二人で。 


「礇科さん。そっちはどう?」

「うん、もうすぐ終わるよ。橋田君は?」

「僕も終わりそう」


 彼、橋田君は眼鏡を掛けた優しい男の子だ。

 図書委員で一緒になってから何度か話すようになった。

 細かな気配りが出来るところ、漫画以外の本をあまり読まない私にオススメの本を紹介してくれたり、他にも色々とあるけれど私は彼のことが気になっている。


 もし告白とかされたらどうしようかな?

 なんて期待半分に本を入れた箱を、棚の上に置くため脚立に乗って腕を上げる。


 でも私の身長じゃ足りなくて、限界まで伸ばしても届かない。


「う、ぐぐ……えい!」


 それでも力を振り絞ってなんとか棚の上に置くことが出来た。

 やっと届いた安堵で気が抜けたせいか、不意に体が浮遊感に包まれる。


 ──あ、やばいこれ落ちてる。


 そう気付いた時には視界は天井しか映ってなくて……。


礇科いくしなさん!!」

「きゃっ!?」


 橋田君の声が聞こえた瞬間、衝撃に備えて目を閉じた。

 けれども背中には予想していた硬さはない。

 恐る恐る目を開けると、いつの間にか下敷きになっていた橋田君の顔が目と鼻の先にあった。


 間近に迫った彼と目が合い、ドキリと心臓が大きく高鳴る。

 段々と顔に熱が集まっていって、きっと橋田君には真っ赤になった顔が映っているかもしれない。


「……」

「……」


 お互いに言葉も出ない静寂のまま時間が過ぎて、まるで世界に二人だけになったような錯覚に陥る。


「──礇科さん」


 先に沈黙を破ったのは橋田君だった。

 私の名前を呟いてから、ゆっくりを顔を近付けて来る。


 ──キスだ。


 それ以外の答えが浮かばない。

 気になっている男子とキスをする。

 まだ付き合ってないけど、その行為に出ただけでおおよその気持ちは察せられた。

 きっとキスの後で告白して来るだろうし、それに頷きさえすれば憧れの恋が手に入る。


 そんな浮ついた気持ちを抱えたまま、橋田君の顔が迫って来て……。




「──ぅえっ!」

「え?」


 身の毛がよだつ程の嫌悪感に突き動かされるまま、私は弾かれるようにして彼から体を離した。


 ──気持ち悪い、気持ち悪いっ!!


 込み上げる吐き気を抑えようと両手で口を塞ぎ、浅い呼吸を繰り返しながらゆっくりと橋田君から距離を取る。

 さっきまでドキドキして火照ってた体が、嘘みたい凍り付いて寒くて仕方がない。

 全身の震えは収まりそうになくて、視界には涙までも滲み始める。 


 あぁ、またいつもの発作が出ちゃった。

 あんなにキラキラして見えた橋田君が、どうしても悍ましく見えてしまう。

 漠然と募っていたはずの好意も跡形もなく吹き飛ばされていた。

 

 それは私に限ったことじゃない。

 キスを避けて青ざめた顔を見る彼の双眸に、諦観が宿ったのが容易に悟れてしまう。

 橋田君は一瞬だけ顔色に悲痛を滲ませて、私から視線を外しながら立ち上がった。


「……傷付けてゴメンね礇科いくしなさん。残りの作業は僕一人でやるから、今日は帰った方が良いよ。それと……もう関わらないようにするから」

「ぁ……」


 そう言い残して、彼はそそくさと図書準備室を出て行ってしまった。

 足早に去る橋田君の背中を見つめることしか出来ない。


 そして皮肉にも……一人になったことで発作は治まった。


 こうして私と彼の恋未満の関係は終わりを告げるのだった……。


 ============


「聞いてよ璃千華りちかちゃ~ん!」

「ん~? どったの茉里まり


 誰も居ない教室で棒付き飴を咥えながらスマホを弄っていた彼女──渡和とわ璃千華りちかちゃんの元に駆け込む。

 璃千華ちゃんとは物心着く前からの幼馴染みで、艶やかな長い黒髪と綺麗だけど気怠げで垂れ目気味な瞳、お人形さんみたいに整った目鼻立ちは同性でも目を引かれちゃうくらい。

 クールな面持ちに違わずテンションは低めなものの、佇まいと容姿から女子の間では『王子様』なんて呼ばれている。


 そんな彼女は喚く私の抱擁をイヤな顔をせずに受け止めてくれた。

 璃千華ちゃんは『はいはい』って相槌と共に優しい手付きで頭を撫でてくれる。

 う~ん癒されてくぅ。 


 一頻り撫でられてから、私は璃千華りちかちゃんにさっきの出来事を話した。

 でも核心に迫るにつれて、持ち直した気分がまた沈んでいってしまう。

 震えそうな声をなんとか保たせながら続ける。


「──それでキスしそうだって思ったら、全身がゾワって気持ち悪くなって避けちゃった……」

「でた~。茉里まりはフツーに恋愛したいのに難儀だね~」

「ホントそれ!! 慰めて璃千華ちゃん!」

「ほいほい~」


 再び泣きながら抱き着く私の頭を、璃千華ちゃんは励ましながら撫でる。


 気になってた人なのに避けるようなことするのも、普通にお付き合いとかしたいのに出来ないのも、全て私の持病が原因だ。


 ──男の人に触れられたり、エッチな視線を向けられると拒絶反応が出てしまう病気。


 小学生の頃には既に発症していて、今も通院してるけどまるで改善する気配は無い。

 男性恐怖症を疑われたけど違うと断言出来る。

 恋愛対象ではあるし普通に会話する時は症状が出ないし、お父さんと璃千華ちゃんのお父さんには触れるから。


 ただどうしてか恋愛的な接触になると、途端に吐き気が込み上げるくらいの嫌悪感が押し寄せて来る。

 手を繋いだり肩を抱かれたりキスなんて以ての外だ。

 視線に関してもエッチな目で見られたって感じたらもうダメ。

 そうして何度もいい感じになりそうだった男子を拒絶してしまい、怒られたり避けられたりしてしまうのだ。


 そんな私の愚痴を聞き続けた璃千華ちゃんは、この持病を『蛙化かえるか病』と名付けたである。

 呼んでるの私達だけで、他の事情を知る人達からは男性恐怖症扱いされてるけど。


 曰く、私の症状が俗に言う蛙化現象に近いからなんだとか

 蛙化現象っていうのは、元は好きな人と両想いって分かった途端、その人に嫌悪感を抱く現象らしい。

 最近だと相手のちょっとした言動で好意が冷めるって意味で指すみたい。

 その冷める言動が私にとって恋愛的な接触だと見なせば、確かに近い気がすると納得したモノだ。


 うんざりする闘病の日々を思い返しつつ、璃千華りちかちゃんと対面の席に座って、頬杖をつきながら窓の外を眺める。

 夕方の窓ガラスに反射している自分の表情は随分と元気が無い。


「はぁ~あ。高校生になったら素敵な恋がしたいって思ってたのになぁ」

「それ中一の時も言ってたじゃん」

「そ、そうだったっけ?」

「言ってたよ」

「んがっ!? 我ながらまるで成長が見られない……!」


 スマホに目を向けたままハッキリと告げられた私は、堪らず机に突っ伏してしまう。

 なんで三年以上も前のこと覚えてるの?


 ともかくそれが事実なら私は何一つとして進歩してないことになる。

 うあ~~!


「こんなんじゃ夢のまた夢だよ~……」

「夢なら今も眩しそうに見てるじゃん」

「何をさ~?」

「その素敵な恋ってヤツ」

「ほえ?」


 璃千華ちゃんの指摘をすぐに理解出来なくて、呆けた声を漏らしながら顔を向ける。 

 私の反応で正確に伝わってないと察した彼女はため息をつき、咥えている棒付き飴を転がしたまま続けた。


茉里まりは恋に夢見すぎ」

「うぅ……良いなっていうのを素敵だって思うのはおかしくないでしょ?」

「それはそうだけどさ。そんな蛙化かえるか病を抱えたままでするもんじゃないって言ってんの」

「で、でもやっぱり恋愛したいんだもん!」


 璃千華りちかちゃんの言葉はご尤もだけど、正論を言われたくらいで諦められるほど安い夢じゃないのだ。

 だから精一杯に反論するけれど、幼馴染みは全く狼狽えた様子を見せない。


 むしろ呆れを多分に含んだため息をつく。


「現実の恋ってさ、漫画やドラマみたいにキラキラで甘ったるいのとは違うんだよ。もっとドロドロで、思わず目を逸らしたくなるくらい醜いのが普通なワケ」

「ど、ドロドロって……」

「自分勝手になるし、しょーもないことでイライラするし、叶わなかったら殺意とか憎悪にもなる。そんな勝手もたちも悪いモノ、しなくて済むならそっちの方が良いに決まってる」

「えぇ~……」


 いつも以上にドライな言葉に困惑を隠しきれない。

 まるで見て経験したような言い分が妙に胸に突き刺さって、反論する気概が削がれていってしまう。


 璃千華ちゃん、機嫌悪いのかな?

 ……ッハ!?

 もしかしていつも愚痴を聞かされて堪忍袋の緒が切れそうなの!?

 ど、どうしよう、いますぐ謝らなきゃ!


「ぐ、愚痴ばっか聞かせて、成功談を一つも聞かせてあげられなくてごめんなさい……」

「別にそれは最初から期待してないからいいよ」

「期待してなかったの!? しかも初めから!!?」


 まさかの期待値ゼロ発言に驚愕してしまう。

 え、私の夢ってそんなに望み薄いって思われてたの?

 普通にショックなんだけど……。


 打ち拉がれて顔を伏せていると、璃千華りちかちゃんが小さく息を吐いたのが聞こえた。


「てか謝るならアタシの方。茉里まりがどれだけ恋に憧れてるのか知ってんのに、変に説教かましてゴメン」

「ううん。璃千華ちゃんの言ってることは間違ってないと思うよ」


 目を合わせないまま頭を掻いて謝る彼女にそう返す。


 私だって頭の根っこでは分かってるよ、こんな体質の自分が恋愛出来るワケないって。

 諦めきれないくらい恋に対する憧れが大きいだけ。

 どんなに憧れても病気を治す力なんてないのに。


 そうして黙り込んだ私の耳に、またしても璃千華ちゃんのため息が入る。

 呆れるのも無理もないよね。

 なんて思った時だった。


「──そんなに恋愛がしたいならさ、試してみる?」

「……何を?」

「恋愛。それも男相手じゃなくて女の子同士で」

「…………へぇっ!?」


 予想外の提案によって、神妙な空気を破るような大声を漏らしてしまう。

 愕然とする私の反応が面白かったのか、璃千華りちかちゃんはニヤリとほくそ笑む。

 様になってるのがちょっとむかつく。


「世の中、同性で付き合ったり結婚する例もあるし、選択肢としてはアリだと思うけど?」

「そ、それはそうだけど……だったら誰が相手になるの?」

「アタシ」

「璃千華ちゃんが?!」


 さも当然のように自己推薦する幼馴染みに、私は驚愕と困惑を露わにする。


 正直、璃千華ちゃんって恋愛に興味ないと思ってたから。

 今まで告白されても全部断ってたし、恋バナしよって言っても何も言わなかったくらいなのに。

 そんな彼女から自分を相手に同性の恋愛を試そうだなんて、驚かない方が無茶に決まってる。


「その、璃千華ちゃんは良いの? 私が相手で……」

「良くなかったらそもそも提案してない」

「うっ……」

「もちろん茉里まりがイヤって言うなら止めるよ」

「い、イヤじゃないよ! むしろ璃千華ちゃんなら安心だし、やってみようよ!」

「……ん」


 慌てて賛同する私の了承を受けて、璃千華ちゃんは少しだけ笑みを浮かべる。

 なんだか流された気がしないでもないけど、彼女が相手ならイヤじゃないのは本当だもん。


「じゃ、バイトの時間も近づいてるしサクッと始めよっか」

「い、今から?」


 まさか早速始まると思わなかった。

 身も心も準備出来てない私とは対照的に、璃千華ちゃんはどこか乗り気だ。


「そんな身構えなくてもいいよ。質問に答えるだけだから」

「質問?」

「そ。アタシは茉里のこと好きだけど、茉里はどう思ってる?」

「そんなの当たり前じゃん。璃千華ちゃんのことは好きよりも大好きだよ!」

「ほぉほぉ両想いってワケか可愛いヤツめ。褒美としてこの飴をあげよう」

「おいひー♪」


 なんとも簡素な告白を経て、璃千華ちゃんは今しがた舐めていた棒付き飴を差し出し、私はそれを何の気なしに咥える。

 間接キスなんて小さい頃から何度もしてるし、漫画みたいに意識することは全くない。


 でもどうして今さら好きかだなんて質問したんだろう?  

 甘酸っぱいレモン味を堪能しながら思案している内に、璃千華ちゃんが席を立った。


「もうバイトに行くの?」

「ん。今日も稼いで来るぜ」

「頑張ってね~」


 緩い挨拶を交わして見送るけど、璃千華りちかちゃんは教室の入り口まで行ったところで足を止めた。


「あ、そうそう。一個だけ言っとくけどさ」

「なになに~?」


 何か忘れ物かな?

 そう思って聞き返した私に、璃千華ちゃんがニッとイジワルな笑みを浮かべながら言った。





「さっき言ったアタシの好きはLIKEじゃなくてLOVEだから。そこんとこよろしく」

「──はぇ?」


 ──パキンッ。


 告げられた言葉の衝撃が大きすぎて、気付けばアメ玉を盛大に噛み砕いていた。

 そんな私の呆け面を眺めながら璃千華ちゃんはヒラヒラと手を振って行ってしまう。


 一人になってから数秒後、ようやく意味を理解した私は……。


「──ほええええっ!?」


 驚愕から叫んでしまうのだった。


 ============


 家に帰ってからも璃千華りちかちゃんの告白が頭から離れなくて、ずっとドキドキしたせいでほとんど寝付けなかった。

 冗談の可能性は……ないと思う。

 幼馴染みなんだからそれくらいは分かる。

 でもメッセージで詳しく聞こうとしたけど、自分から聞くのはなんだか恥ずかしくてやめた。


 私のことが好きって本当なの?

 よろしくって恋人としての意味?

 なんて改めて聞ける?

 無理、少なくとも私には無理だ。


 あぁどうしよう、璃千華ちゃんのことを考えると胸がドキドキしちゃってる。

 彼女の気持ちを知ってから、歯磨きをしても口の中には貰ったアメのレモン味が残ったままだ。

 気にしなかったはずの間接キスも。


 こういう時は冷静になるまで時間を空けるべきなんだろうけど……。


「いやぁ~、茉里まり様にはいつもの助けられてばかりですわ~」

「煽ててないでお皿並べて!」


 私は現在、璃千華ちゃんの家で昼食を作っている。

 彼女の両親が仕事で家を空けることが多く、一人娘の璃千華ちゃんには家事力が一切ないので昔から私が面倒を看ていた。


 つまりイヤでも告白して来た幼馴染みと顔を合わせることになるのだ。

 かつてないくらい行き辛かったし、意識しすぎて合鍵があるのにインターホン鳴らしちゃうし、自分でも呆れるレベルに動揺してしまっている。

 家の中に入った瞬間、璃千華ちゃんの匂いがして無性にドキドキもして落ち着かなかった。


 でもそれ以上に不可解なのは璃千華ちゃんの態度だ。


 いつも通り、なんだよね。

 告白したとは思えないくらい、あまりにも普段通り過ぎる。

 出迎えてくれた時に『へいらっしゃい』とふざけるのも、家にいるからって白無地Tにズボンはジャージだ。

 さっきだってソファに寝そべってダラダラしてたし……やっぱ冗談だったのかなって気がしてきた。


 ……そう思うと、なんだかイラッとするけど。


 悶々とした複雑な心境を秘めたまま、璃千華ちゃんとの昼食を済ませた。

 食器を乾燥機に掛けて、リビングのソファに二人で腰を下ろす。

 私は壁際の方で、一人分の間隔を空けた状態だけど。


「ごちそーさま。やっぱ茉里の料理は世界一だね」

「ふぇっ!? そ、そんなこと、ないでしょ……」


 大袈裟な褒め言葉に心臓が大きく弾んでしまう。

 いつものことなのに、今日はやけに耳触りが良く聞こえる。

 なんとなく璃千華ちゃんの顔を見れなくて、視線を外しながら謙遜で返す。


「そんなことあるって。今まで茉里の手料理を食べて来たアタシが保証する」

「っ……料理評論家でもないクセに」

「なんだったらこれから毎日、アタシのために味噌汁作ってくれてもいいよ」

「も、もーっ! 流石に冗談だって分かるからね!?」

「うっははは」


 羞恥心の限界から怒って見せるけれど、璃千華ちゃんにはケラケラと笑って流された。

 やっぱりからかわれたのかな?

 なんて悲観が過ったのも束の間だった。


「──茉里」

「え」


 不意に空いていた一人分のスペースを璃千華ちゃんが詰めて来たのだ。

 それはつまり私と肩が触れるほど近付いたことを意味する。


 唐突な接近に一瞬だけ脳の処理が追い付かなくて、遅れて状況を理解した時には全身がブワって熱くなってしまう。

 距離を取ろうと璃千華ちゃんとは反対の方へ動こうとしても、自分から壁際に追い詰められるだけだった。


「り、璃千華りちかちゃん……近いよ」

「これくらいいつものことじゃん。むしろなんで茉里はアタシを避けるの?」

「そっ、れは……~~っ」


 素知らぬ問いを投げ掛けられた私は、恥ずかしさから閉口するしかなかった。

 璃千華ちゃんがあんなことを言うからって言っても、どんなことってわざと聞き返して来るのが目に見える。

 かといって告白されてから意識してるなんて、もっと言えるワケがない。

 どう答えても私が言い負かされる方にしかならないのだ。


 むしろ問い掛けられた時点で昨日の諸々が脳裏に過って、言うに言えない状況になってしまっている。

 そうして黙り込んだ私の顔を、璃千華ちゃんはわざわざ腰を曲げて下から覗き込んで来た。


 気怠げで垂れ気味な瞳と目が合ったと同時に……。


「──告白されたから緊張してる?」

「っ!」


 耳元で囁かれた追撃に、心臓が更にキュッと締め付けられた。

 鏡がなくても赤面しているのがイヤでも分かるくらい、顔中が熱くて堪らない。


「わ、分かってるならわざわざ聞かないで……」

「だって茉里が可愛い反応するから、ついイジワルしたくなっちゃうんだよ」

「かわっ……璃千華ちゃん、なんだか変」

「そう? あぁでも当然かも。何せ好きな人と二人きりだから……ね」

「ひゅわっっ!?」


 右耳に生暖かい感触がしたのと同時に、背筋に稲妻が走ったような錯覚をしてしまう。

 何を思ったのか、璃千華ちゃんが私の耳を半噛みしたのだ。

 未知の刺激にビックリした上に、変な声まで出てしまった恥ずかしさが込み上げてくる。


 両手で右耳を隠す私を、璃千華ちゃんはニヤニヤと意地の悪い笑みで見つめていた。


「蛙化病の発作で気分悪くなったりしてない?」

「い、いきなりだったからよく分かんないよ……」

「ほ~ん。じゃ、どこまで行けるか試してみよっか」

「ちょ、待っ──!!?」


 返事を言うより先に、璃千華ちゃんに恋人繋ぎで両手を押さえ付けられてしまう。

 完全に押し倒された姿勢にされた私は、目まぐるしい状況と胸のドキドキで頭が一杯だった。

 無防備な私を見つめる幼馴染みの眼差しは、まさに獲物を捕らえた肉食獣みたいだ。


 互いの体勢だけなら、橋田君が相手だった時と同じ。

 でも……気持ち悪さなんて微塵も沸いて来なくて、むしろ嫌悪感とは真逆の離れ難さでムズムズしていた。


「──好きだよ、茉里まり

「っ、りち──ひゃんっ!?」


 またしても唐突に告げられた想いに答える間もなく、右耳のたぶ付近にぬるりと暖かい何かが這わされた。

 感覚からして舌で舐められたんだろうけど、そんなところを舐める意味が全く分からない。


 なのに全然気持ち悪くならないのが……一番ワケが分かんないよ。

 困惑とドキドキで頭が回らない私の首から璃千華ちゃんが顔を離した。


「声エッロ。また一個、茉里の好きなとこが増えたわ」

「う、うぅ~~……っ」

「ハハッ真っ赤。青ざめてないってことは、これでも発作は出ないんだ」


 からかいながら、けれどもしっかりと顔色を見ながら璃千華ちゃんは笑う。

 いつも気怠げな目が、今だけはやけに強い意思が宿ってるように見えた。


 初めて見た眼差しに思わず目を奪われていると、璃千華ちゃんがゆっくりと口を開く。


「昨日の告白からどれくらいアタシのこと考えた? 料理中に眠そうにしてたから、もしかして寝付けなかった? だとしたら告白した甲斐があったね」

「い、いつから?」

「さぁ? 気付いたら茉里を好きになってた」

「なにそれ……」

「でもそんなの些細なことじゃん。大事なのは今の気持ちなんだから。アタシは茉里が好きで好きで堪らない。それこそ──」


 璃千華ちゃんはそこで言葉を区切って、目と鼻の先まで体を近付けて来る。

 同じ女の子でも目を引く綺麗な顔がこれでも視界に映って、ドキドキし過ぎて息が荒くなってしまう。


 茫然とする私に幼馴染みはニヤリと笑ってみせてから……。


「──今からキスしたいって思えるくらい、大好き」

「~~~~っ!!」


 キス。

 その単語を聞かされただけで形容出来ない身震いが起きた。

 嫌悪感はやっぱりない……私の病気は璃千華ちゃん相手だとまるで機能しない。

 それは良いことのはずで、こうなることを望みすらしていたのに、今は動揺が勝って自分の気持ちがよく分からない。


 ホントにキスするの?

 さっきご飯食べたばっかりだよ?

 私が相手で良いの?


 瞬く間に脳裏を駆け巡る思考がぐちゃぐちゃに混ざって、わぁ~ってなるくらいワケが分からなくて……。


「……っ」

「!」


 ぎゅ、って目を閉じるのがやっとだった。

 その様子を見ていた璃千華ちゃんが息を呑んだ気がしたけど、既に限界寸前の私には割ける思考なんてない。

 お腹をみせて降伏するワンちゃんみたいに、もうされるがままなのだから。


「……止めないから」

「っ」


 目を閉じた私に璃千華ちゃんが一言前置きした。

 ただでさえ真っ黒な瞼の裏しか見えてない状況で、敢えて呼び掛けるなんてイジワルだ。

 そんな文句すら声に出す余力もない。


 でも……仕方ないよね?

 だって私の両手は押さえ付けられてるから抵抗出来ないし。

 発作だって起きないんだから、火事場の馬鹿力すら出そうにない。

 だから今からキスされたって……しょうがないよね。


 時間の経過もあやふやな思考に耽る私に、璃千華ちゃんは唇を落とした。 





 ──私の唇じゃなくて、おでこに。


「……ほえ?」


 意識を集中していた箇所とは違った接触に、閉じていた目を開くほど呆気にとられる。

 そうして視認した璃千華ちゃんの表情は、ニマニマと微笑ましそうなモノだった。


「き、キスは?」

「今したよ」

「いや、おでこじゃん! キスって普通、唇にするんじゃないの!?」

「流石に付き合ってないのに唇にキスするのは……」

「こんな時に冷静にならないでよ!」

「そもそも誰もマウストゥーマウスで、なんて言ってないよ」

「う、ぎぎぎぎ……!」


 混乱が収まらない私の追及を、璃千華りちかちゃんはのらりくらりと躱していく。

 肩透かしを喰らった不満から沸々と怒りが湧いてくる。


 いっそ一発殴ろうかな?

 なんて物騒な思考が過ったけれど、璃千華ちゃんは何故だかいやらしい笑みを浮かべていた。


「なに、その顔」

「ん? 茉里は可愛いなぁって考えてる顔」

「今煽てられても嬉しくないんだけど」

「煽ててなんかないよ。だっておでこにキスされて不満なのってさ……。





 ──唇にキスされるって、期待してたからなんでしょ?」


 その瞬間、シン……って時間が止まったような錯覚に陥った。


 ……。


 …………。


 ~~~~っっ!!


「はわわわわっ!? そ、そそ、そんなワケないし! ぉ、お手洗いに行ってくるから!!」

「いってら~」


 怒りも不満も何もかも消し飛ばす羞恥心と居たたまれなさに駆られるまま駆け出す。

 暢気な調子で見送る璃千華ちゃんを尻目に、私はリビングから一目散に逃げた。


 ドアが壊れそうな勢いで個室に入り、閉めたドアを背にズルズルと床に座り込む。


 胸のドキドキは一向に落ち着かなくて、顔どころか全身が燃えそうなくらい熱い。

 結局、璃千華ちゃんに弄ばれただけ。

 そう思い込もうにも、私は既に二つの確信に至ってしまった。


 一つ目、璃千華ちゃん相手には蛙化病による発作が出ないこと。

 男子だったら間違いなく出ていた嫌悪感が出なかった。


 そして二つ目は……璃千華ちゃんと幼馴染みのままでいられる自信を失くしたこと。

 今まで関わった男子達には感じたことのない、未知の動悸がその証拠だ。


 この気持ちが憧れていた恋なのかはまだ分からない。

 でもきっと、璃千華ちゃんはこれからも今日みたいに接して来ると容易に予想出来る。

 そうしたら私は……!


「どうしたらいいのぉ……?」


 熱い頬を手で扇いで冷ましながら、誰に言うでもない独り言を零すのだった……。

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