水に流そう

「まぁ、大丈夫そうなら良かった」


「――そ、そうですわね!

 感謝してあげてもいいですわよ!」


「ヒビキしゃん!

 そんな言い方はだめでしゅよ!」


「きゃんっ!」


 ヒビキは、子犬みたいな鳴き声をあげた。

 アイラが尻尾で水面を叩き、ヒビキに水をひっかけたのだ。

 

 人魚なのに、水をかけられるのはイヤなのか……。


「ヒビキしゃん、めっでしゅ!」


「うー……」


「ごめんなしゃい、でしゅ!」


「…………ごめんなさいですわ」


「まぁまぁ、オレはとくに気にしてないから」


 謝ってくれたものの、不承不承ふしょうぶしょうと言った感じだ。

 ヒビキはどこか居心地が悪そうにしている。


 自業自得といえばそうなんだろう。

 だが、押しかけておきながら空気を悪くするってのは、

 こっちとしても気持ちが良くない。


 なんとか良い方向に場を変えたいな。


「えーっと……ヒビキさん?」


「なんですの!!」


 ヒビキがふんすと鼻を鳴らすと、

 シャーという威嚇音がアイラから飛んでくる。


 んもう! 仲良くしなさい!


「アイラ、オレは気にしてないから大丈夫だって。

 全部水に流そう。水ならココにたくさんあるんだし、な?」


「ルイしゃんがそういうなら……」


「なのでこの話はおしまい! ヨシ!!」


「それで、ルイさんでしたか。

 何しにこの浄化施設まで来たんですの?」


「えっと……水浄化チップの具合が大丈夫なのかと、

 あとはシェルターの浄化施設がどんなところなのか知りたい、かな?

 さぞかし大変なお仕事なんだろうな~、みたいな」


「フン、もちろんですわ!!

 そこまで言うなら、教えて差し上げても良くってよ?

 シェルターの水の安全は、この私が守っておりますから」


 ヒビキはそう言って形の良いアゴを上に向け、胸を反らした。

 あれ、わりとチョロイかも?


「さて、まずはこちらにおいでなさい」


 ヒビキはとぷんと水槽に体を沈めると、どこかへ行こうとする。

 オレはそんな彼女を慌てて呼び止めた。


「おいおい、ちょっと待ってくれ。

 オレたちは君とちがって水槽の中を泳いで行けないんだぞ」


「そうでした、あなたたちは『ヒレなし』でしたわね」


 ヒビキは水の中にもぐり、岩の影で何かを始める。

 すると、大きな音を立てて水槽の上に橋がせり上がってきた。

 なんちゅうギミックだ。ダー◯ソウルかよ……。


「こりゃまた、すごいもんを作ってるな」


「さ、おいでなさい」


 ヒビキは俺たちの足元をすいすいと泳いで案内する。

 この感じ、ツアーみたいでなんだか面白いな。


「貴方がたが使った水は、まずこの沈砂池ちんさちに送られますわ」


「ちんさちー!」


「なるほど、まずは大きなゴミをとるのかな?」


「そういうことになりますわね。

 ここで出たゴミは濃縮槽のうしゅくそうに送られて、

 そこでスライムが処理しますの」


「スライム? スライムって、あのオモチャの?」


「そのアレじゃないですわ。

 モンスターのスライムですのよ」


「あ、そっちか……ん、でもそこに送られるのって、

 ゴミだけじゃなくって、その……」


「ダメです。それ以上いけませんわ」


「あっ、はい」


 まぁ、そういうことだよな。

 トイレで流したものはココに送られている。

 それをスライムになった人が処理してるって……。

 1人だけメチャクチャ過酷な仕事じゃないか。


「ルイさんが言わんとすることはわかりますけどね。

 彼女がいなくなれば、このシェルターはすぐに崩壊しますわ」


「ですよねー。

 スライムさんは大丈夫なのか?

 ちょっと心配になるな。

 主に精神的な面で」


「だから、そのための水浄化チップですわ」


「あっ、なるほど」


「もしチップがなくなったとしても、

 汚水を分解することは可能と言えば可能ですわ。

 ですけど、チップがあれば――」


「ある程度キレイにした状態で渡せる?」


「そういうことですわね。肥料とそれ以外に仕分けて、

 スライムは主に、台所から出たものを引き受けてますのよ」


「なるほど。名状しがたいものを押し付けられている

 スライムさんはいなかったんだな」


「オ、オホン。その通りですわ」


「なー、めーじょーしがたいモノってなんだー?」


「リーさんは知らなくて良いものですわ」


「でしゅ!」


 その後もヒビキによって浄化施設の説明が続く。

 ここまでくると、完全に工場見学のノリだ。

 こういうの、小中学生以来かもしれない。


 大きな機械を見ていると、テンション上がるなぁ。


 浄化施設は浄化の工程別にタンクが別れていて、

 それがちゃんと動いているかどうかをチェックするのが、

 人魚であるヒビキの仕事らしい。


 そうか、人魚か……。


 俺はふと、ゴブリンの調べ屋のキクオから聞いた

 ある情報の事を思い出していた。


 そう、願いの壁を越える唯一の方法として、

 下水道が使えるというものだ。


 東京都心は、台風やゲリラ豪雨の対策のために

 大規模な下水施設が用意されている。


 そして、そのネットワークは

 願いの壁内部を含めて今も維持されている。


 地上から願いの壁を越えるのは

 危険極まりない。


 だが地下なら――まだ望みがある。


 しかし、これの問題はタイミングにある。


 地下下水道は、センサーや自律兵器で厳重に警戒されている。

 警戒が緩むのは、下水道が役割を果たす大雨の時だけだ。


 地下が水にあふれる時だけ、侵入するチャンスがある。

 人魚のヒビキなら、水をものともせずに地下へ侵入できるだろう。


 彼女に安全なルートをひらいてもらって、

 俺がそれをたどっていく。

 そうすれば、願いの壁の向こうへ到達できるかもしれない。


 ……だが、彼女にオレの問題は関係ない。

 ヒビキを巻き込むのは問題外だな。


「ルイしゃん、どうしました?」


「何よ、人が説明してるのにボーッとして……

 ちゃんと聞いてたんですの?」


「あぁ、ゴメンゴメン。

 ちょっと専門的な内容が多くて圧倒されちゃった」


「フフン、当然ですわね。

 この施設の事を完全に把握してるのは、

 私くらいですもの!!」


「でも、こんなとこにずーっといたら退屈じゃないか?

 たまには外に出て泳ごう、とか――痛っ」


 背中に鋭い痛みが走ったと思ったら、

 アイラの尻尾でムチのようにしてはたかれていた。


「何を――あっ」


 ヒビキはオレに対して何も言わず、

 とぷんと水の中に顔を沈めてしまっていた。

 透明な膜が張った彼女の眼は、水の中にある。


 どうやらオレの言葉は――色々とマズったらしい。


 そりゃ、もちろん外に出たいに決まってるよな。

 だけど今は、そんな事を言ってられる状況じゃない。


 このオンボロシェルターは、何時いつヘソを曲げるかわからない。

 それに彼女がここに居るということは、

 外にいられなかった事情がなにかあるはずだ。


 そうか……。

 だから彼女は、浄化施設を任されているという

 ことにプライドを持っているんだ。


 ここにいれば、彼女は自分が失った大事なものを、

 今は仕事があるから手に入らなくも仕方がないものにできる。


 彼女は決して得られない大事なもの――自由を、

 ここで仕事をすることで諦めてるんだ。


 皆のために仕事をするという自己犠牲。

 それによって彼女の心は保っている。


 オレが吐いた言葉は最悪だ。


 彼女がなんとか忘れようとしている自由。

 手に入れようとしても手に入らないものを突きつけた。

 そりゃ怒るよな……。


「ごめん、君の気持ちも知らずに。

 でも……俺からシヴァに話してもいいかな?」


 ヒビキの答えは、尾ビレで弾かれた水だった。

 しまった。完全に嫌われたか?


「ルイしゃん?」


「はい……反省してます」




※作者コメント※

やっぱりウカツなルイちゃん。

壁越えのことはおいておいて、

なんとかヒビキと仲直りできるといいけどなぁ……。

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【契約血清】サキュバスになった俺と、モン娘たちの戦闘日記。 ねくろん@カクヨム @nechron_kkym

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