セイレーン


 水槽の中をくるくるとまわっていた影がこちらに近寄ってくる。

 人魚は銀灰色シルバーグレイの髪をしていて、下半身の魚の部分も同じ色をしていた。

 ほの暗い水槽の中で、彼女の銀色は良く目立つ。


 水槽の中を泳ぐその姿は、夜空を駆ける星のようだ。

 彼女はほうき星のように輝く髪をたなびかせ、オレの前までやってくる。

 そして薄い膜が張った目でこちらを見ると、彼女はにっこりと微笑んだ。


 人魚の瞳の色は髪と同じく銀色で、どこか人間ばなれした印象を受ける。

 その銀の瞳で見つめられると、胸の奥がざわめく。

 まるで俺の心臓が冷たい金属にでもれたような心持ちだった。


「ど、どうも……これって聞こえてるのかな?」


 彼女はくちびるの前に指を持っていくと、それでバッテンを作った。


「聞こえないみたいでしゅね」


「反応しているなら、聞こえているんじゃ?」


「えーっとでしゅね……」


 俺が首を傾げていると、人魚は俺を指さした後に

 自分のくちびるを指さした。


「あっ、なるほど……口の動きか!」

「でしゅ!」


 どうやら目の前の人魚は

 オレが発した言葉を口の動きでよみとっているらしい。


 もしかして、読唇術どくしんじゅつってやつか?

 すごい特殊技能だな。


「アイラ、あの人の名前はなんていうんだ?」 


「セイレーンのヒビキさんでしゅ!」


「ヒビキさんか。えーっと……こんにちは?」


 俺はヒビキのほうを見て、ゆっくりと口を動かして話しかける。


 すると彼女はピンと指を伸ばし、水槽の上を指さした。

 上に行け、ということだろうか。


「ルイねーちゃん、ヒビキが話したいって!

 上に行こうぜー!」


「リーはヒビキが何を言ってるのかわかるのか?」


「ぜんぜん! なんとなくだー!!」


「そっかぁ……なんとなくかぁ」


「でも、リーの言う通りみたいでしゅ!」


 ヒビキは足先の尾ビレを大きく動かすと、

 水槽の水をかき分けて、光が波打つ水面へとのぼっていった。

 どうやらリーの言う通りのようだ。


「ルイねーちゃん、上はこっちだぜー!」

「こら、走っちゃダメでしゅよ!」


 水槽の前を4つ足で走っていったリーを俺とアイラは追いかける。

 すると大きく円弧を描いたスロープが目の前に現れた。


 現れたスロープの角度は結構キツイ。

 省スペース化か何かしらないが、30度以上の傾きになっていた。


 足を乗せるとちょっと人体の限界を感じるレベルだ。

 いている靴にヒールがあるせいで、なおさらきつく感じる。


 半分バツゲームじゃないかっていうスロープを登っていくと、

 軽く息切れし始めたところで水槽の上に出た。


「こりゃまた……水族館みたいだな」


 たどり着いた水槽の上の部分には砂場と岩場があった。

 水族館にあるペンギンエリアみたいだ。


 しかし、水族館のそれと違う部分もある。

 岩場の上にビニールシートがかれ、人間用の家具が置いてあるのだ。

 置いてある家具の素材は、全部プラスチックだ。

 水に強そうな素材になってるのは、湿気対策だろうな。


 寒々とした水槽の水べりで、ここだけ人が暮らしている温かみがある。

 待てよ……ということは――


「ここが生活の場所って言うことは、

 シェルターで使ってる水って……人魚のダシ入りってこと?」


 そう言ったか言わないかの瞬間、

 バシャンと水の上で何かが跳ねる音がした。


 あっと思った次には、

 たくさんの冷たい水が俺たちの頭の上に降ってきていた。


「しゅしゅ?!」

「ぎゃっ!」

「ちべてー!」


「フン、バカなこと言うからですわ!

 この水槽の水はどこにも送ってませんわよ」


 声の方へ振り返ると、岩の上にヒビキが腰掛こしかけていた。

 どうやら俺の「ダシ入り」という言葉を聞いていたらしい。

 何ちゅう地獄耳だ。


「いや、ちょっと気になっただけだよ。

 気にさわったならゴメン。

 でも、ここまでしなくてもいいだろ?」


「あら、悪いとお思いになる神経があるなら、

 もっと慎重になるべきですわね」


「はい……おっしゃる通りです」


 どうやら、ヒビキは気位きぐらいが高いタイプみたいだ。

 言葉の端々はしばしにトゲがあり、お嬢様感があふれ出ている。


 こういう手合てあいには、下手に逆らうと不味い。

 変にこじれる前に謝ってしまうのが吉だ。


「大変もーしわけありませんでしたー」


「はぁ……ところでだけど、

 そこの2人はともかく、あなたは見ない顔ね。

 何の御用かしら?」


「えっと……」


 銀の瞳で射すくめられ、オレは答えにきゅうしてしまった。

 どうやらサキュバスはセイレーンに弱いらしい。


「なんていうか、新しい水浄化チップのことで

 聞きたいことがあってきたんだけど……」


「あぁ……それなら問題ないですわ。

 以前使っていたものより、調子がいいくらいですわ」


 以前のものより……?

 そうか、エイタのやつがチップを改良してたのかな。

 いい仕事してるじゃないか。


「とれたてホヤホヤの新鮮なヤツだからなー!

 ピチピチシャキシャキだぜー!」


「うーん、チップに新鮮とかあるのかな?」


「このチップ、リーさんが有能な新人と一緒に確保したとか。

 その方に感謝を伝えておいてくださいますか?

 貴方もすこしは彼女たちのことを見習ったほうが良くてよ」


「あーヒビキさん、それなんですけど、

 浄化チップを取ってきたのは、オレもです。

 それで一応、チップの具合がどうなってるか

 気になって来たんだけど……」


「……ホント?」


「おう! 超ホントだぜー!

 ルイねーちゃんがいなかったらヤバかったぜー!!」


「えぇと……おりありはべりにいまそがり」


 バカにした目の前の人間が、

 持ち上げた本人だったことにバグってしまったのか、

 ヒビキはあからさまにキョドっている。


 わっかりやすいなぁ……。



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