世界は終わり・・・

@Ak_MoriMori

世界は終わり・・・

 素晴らしき世界『イル・ムーア』は、終わりの時を迎えようとしていた。

 この世界の英雄『ホーソン』が、最果ての地にあるという『七色に輝く扉』の探索に旅立ってから久しく、朗報は一切届くこともなく、世界は静かにその幕を閉じようとしていた。


 そんな中、一人の乙女が、『祈りの丘』で最後の祈りを捧げようとしていた。

 その乙女の色彩は、夜の帳(とばり)に覆われたかのように真っ黒だったが、わずかな灰色がまだらのように残っていた。

 このように色彩を失っているのは、この乙女だけではなかった。  

 この世界に生きとし生けるもの・・・いや、世界そのものもまた色彩を失い、わずかに残された灰色も黒一色に変わろうとしていた。

 世界は今、何もかもが真っ黒に塗りつぶされようとしていたのである。


 そんな世界の最後の時に、はたして乙女は何を祈るのだろうか?


『この世界の色彩が元通りになりますように。』 


 普通の物語ならば、結末がどうであれ、乙女はこのように祈ることだろう。


 しかし、この『世界を紡ぐものの花嫁』として知られる乙女『エチカ』は、祈りの丘の『祈りの鐘』を三度打ち鳴らした後、それとは異なることを祈ったのである。


『もう一度だけ・・・もう一度だけ、英雄ホーソンの腕に抱かれ、あの鋭い眼光の奥に隠された優しい光を見れますように』と。それが、エチカの最後の祈りだった。


 エチカは、この世界の創造主であるとされる『世界を紡ぐもの』に仕える巫女として生きる宿命を背負った乙女だった。

 世界を紡ぐものの花嫁ゆえに、人間の男に恋をするなど、あってはならぬことだったし、エチカ自身も人間の男に恋をするなどと思ってもいなかった・・・かの英雄ホーソンにより、その命を救われるまでは。


 エチカは、祈りの後の鐘を鳴らす前に瞳を閉じると、愛しき英雄ホーソンの顔をそのまぶたの裏に思い浮かべた。


 この世界では、周期的に怪物が現出して世界を脅かしていたのだが、その際には、英雄ホーソンと『世界の筋(すじ)を読み解くもの』として知られる友『アルパ・カート』の二人が現れ、その脅威を打ち払ってきた。

 ある時、怪物の手下どもにさらわれてしまったエチカは、『ゴンゴルゴラの大岩』に鎖で縛られ、『むさぼり喰うもの』と名づけられた巨大なタコ型の怪物に喰われようとしていた。

 その時、英雄ホーソンが、空駆ける天馬に乗ってエチカを助けに来たのだ。

 英雄ホーソンは、一太刀でエチカを縛っていた鎖を断ち切ると、その逞しい腕でエチカを抱きしめ、天高く舞い上がった。

 

 エチカは、その時のことを・・・英雄ホーソンが、恐怖のあまり暴れるエチカを落ち着かせようとして、その鍛え抜かれた胸に彼女の顔を押しつけた時のことを思い出していた。

 硬い筋肉の向こうから聞こえる力強くも優しく響き渡る心音が、エチカを落ち着かせるとともに、今までに抱いたことのない感情を芽生えさせた。

 そして、エチカのことを見つめる鋭い眼光の奥に隠された優しい光が、その感情に火を点けてしまった。

 英雄ホーソンは、エチカを安全なところまで送り届けると、再び、むさぼり喰うもののところへと馳せていき、その後、その姿を見せることは一度もなかった。


 祈りの後の鐘を三度鳴らすために槌を手にしたエチカは、黒一色に染まりつつある自分の右手を見つめた。


(この異変は・・・わたしが、あの『願いの箱』のふたを開けてしまったことで起きてしまったのかしら?)


 なぜ、世界から色彩が失われていくのか?

 その疑問に答えられるものは、誰もいなかった・・・今まで何度も世界の筋を読み解いて、この世界を脅威から守ってきたアルパ・カートでさえも答えることはなかった。

 しかし、エチカだけがわかっていた・・・そのきっかけとなったかもしれないことをした張本人だからである。

 願いの箱のふたを開けた時から、目に見えぬ不穏な空気が世界を覆いつくし、世界の色彩を奪い始めたのかもしれないと薄々感じながらも、そのことを誰にも言うことが出来なかった。


 あの願いの箱は、アルパ・カートから贈られたものだった。


 英雄ホーソンと出会ってからというもの、エチカは、あの時に芽生えた感情に悩まされ続けていた・・・すなわち、恋わずらいである。

 世界を紡ぐものの花嫁として宿命づけられたエチカは、その純潔を世界を紡ぐものに捧げなければならない・・・それが、この世界の掟だからである。

 しかし、それでも・・・それでもエチカは、英雄ホーソンのことを忘れることが出来なかった。


 そんな恋わずらいに悩むエチカの前に、突如としてアルパ・カートが現れ、美しい彫刻がほどこされた小箱を差し出して、こう囁いた。


「乙女よ・・・これは、願いの箱と呼ばれるもの。

 あなたの願いを叶えたければ、この小箱のふたを開けるがよい。」


 エチカにそう囁いたアルパ・カートの目は、愛おしいものを見つめる目であり、どこか寂し気にも見え、エチカが黙ってこの小箱を受け取ると、やはり、寂しそうに微笑んだ。


「さらば・・・乙女よ。」


 アルパ・カートはそう言うと、現れた時のようにこつ然とその姿を消した。


 エチカは願いの箱を受け取ったものの、しばらくの間、その小箱のふたを開けることはなかった。世界を紡ぐものの花嫁としての責務が、小箱のふたを開けたいというエチカの欲求を押さえ込んでいたからである。


 しかし、さらさらと流れる小川の音が、英雄ホーソンの体中を駆け巡る血流のようにも聞こえ、どこからともなく流れてくる風の中に英雄ホーソンの息づかいを感じ、夜空の星たちの輝きが、英雄ホーソンの鋭い眼光に隠された優しい光に見えるようになった時、ついにエチカは、祈りの丘に登り、祈りの鐘を三度打ち鳴らし、再び英雄ホーソンに出会えることを祈りつつ、願いの箱のふたを開いた。


 そして、祈りの後の鐘を三度打ち鳴らした時・・・何かが変わった。

 目に見えぬ何かが変わり、その日を境に世界から色彩が失われ始めた・・・。


(あの願いの箱のふたを開けないほうがよかったのかもしれない。

 でも・・・それでも・・・たとえ世界が終わったとしても・・・わたしは、あのお方に会いたい。

 あのお方と出会った時、わたしが生きられる世界は終わってしまったのだから。)


 エチカは、祈りの鐘を二度静かに鳴らした後、最後の一回を力強く叩いた・・・この世界の最果てにいるであろう英雄ホーソンに彼女の祈りが届くように。


 祈りの鐘の音が、素晴らしき世界イル・ムーアに鳴り響いた。

 そして、その鐘の音が消え入るとともに世界のすべては黒一色に塗りつぶされた。


 やがて、塗りつぶされた世界の黒すらも徐々にその色合いを薄めていき、すべては無色透明となり、素晴らしき世界イル・ムーアは、ここに消滅した・・・。



・・・・



 手にした書物がゆっくりと消えていく様を眺め終わると、男はその頭を抱えた。

 机の上に置いてあった一冊の書物・・・『イル・ムーア』と題された書物に関心を抱き、そのすべてに目を通した男は、読まなければよかったと後悔した。


(私が・・・私がこの書物を読み、私が救うべき世界『イル・ムーア』を消滅させてしまったのだろうか?)


 この男こそ、英雄ホーソンだった・・・最果ての地でひとつの祠(ほこら)を見つけ、そこにあった七色に輝く扉をくぐり抜け、今、この場所にいるのだった。


 七色に輝く扉の先は、闇だった・・・夜目のきく英雄ホーソンの目ですら、何も見ることは出来なかった。しかし、しばらく時がたつと、うすぼんやりと何かが輝き始めた。

 英雄ホーソンは、その輝きに向かってそろそろと手探りをしながら進んだところ、うすぼんやりと輝く金色の机といす、そして一冊の金色の書物を見出した。

 その書物こそが、さきほど英雄ホーソンの手から消え去ってしまった書物であった。


 ふぅっと小さく息を吐き出すと、英雄ホーソンは目をつむり、イル・ムーアの出来事と書物の内容に思いを巡らせた。


 英雄ホーソンの知っているイル・ムーアと書物に書かれたイル・ムーアは、まったく同一のものであった。少なくとも、英雄ホーソンが、七色に輝く扉の探索の旅に出るところまでは、まったく同一だった。

 なぜなら、その書物には英雄ホーソンの輝かしい軌跡が詳細に書かれていたのだが、イル・ムーアで同様のことを振る舞ってきたからである。


(ああ、エチカ・・・愛しき乙女よ。)


 目をつむる英雄ホーソンのまぶたに、可憐なる乙女エチカの顔が浮かびあがった。

 あの乙女を腕に抱き、そして、恐怖におびえる乙女を落ち着かせようとその頭を胸に押しつけた時、英雄ホーソンの鼓動はいつもより早くなり、芽生えてはならぬ感情が芽生えた。

 そして、むさぼり喰うものの元に向かう時・・・あの乙女の何か訴えかけるような瞳で見つめられた時、その感情に火が点いてしまった。

 しかし、英雄ホーソンは冷静だった・・・相手は世界を紡ぐものの花嫁であり、英雄ホーソンの恋など叶うわけもない。

 英雄ホーソンに出来ることはただひとつ・・・エチカの前に二度と姿を見せないこと・・・否! エチカの姿を二度と見ないことだけだった。


 ああ、だが・・・エチカは・・・決して叶わぬ恋を叶えようとして、世界の終りのきっかけを作ってしまったのだ!


 あの書物によれば、英雄ホーソンの友であるアルパ・カートから願いの箱というものを受け取り、そのふたを開けたことにより、世界の終わりが始まったとあった。


(なぜ・・・アルパ・カートは、そんな真似をしたのだろうか?)


 英雄ホーソンの知る聡明なる友アルパ・カートは、世界を終わりに向かわせるようなことは決してしないはずだ・・・そう、英雄ホーソンは思いたかった。


(やはり・・・アルパ・カートは、世界を紡ぐものの化身だったのだろうか?)


 アルパ・カートは、世界を紡ぐものの化身・・・そんな噂話が、世界中に広まったことがあった。アルパ・カートの世界の筋を読み解く能力が、あまりにも優れすぎていたせいである。

 英雄ホーソンもまた、アルパ・カートに本当のところはどうなのかと問いただしたことが一度あるが、その時は『お前と同じだ』と、ただ一言返されただけだった。

 もちろん、英雄ホーソンは、このことを『人間だ』という意味に捉えた。


 しかし、今となっては、英雄ホーソンは、アルパ・カートが世界を紡ぐものの化身のように思えてならなかった。なぜならば、最果ての地の祠で見つけた世界を紡ぐものとみられる彫像の顔が、アルパ・カートにそっくりだったからである。

 その彫像を目にした時は、アルパ・カートにあまりにも似すぎているため、英雄ホーソンはその口元に微笑を浮かべたものだが、今となっては笑えないことであるような気がした。


(アルパ・カートは世界を紡ぐものの化身であり、人間に恋をしてしまったエチカに怒り、世界を終わらせてしまったのだろうか?)


 そうなのかもしれない・・・しかし、英雄ホーソンは、そう思いたくなかった。

 わが友アルパ・カートは、素晴らしき世界イル・ムーアを誰よりも愛していたのである。

 そんな男が・・・嫉妬ごときで世界を終わらせるなどとは・・・そんなことは、考えたくもなかった。


(そうだ・・・アルパ・カートは、花嫁であるエチカを誰よりも愛していたのだ。

 出来ることならば、エチカの願いを叶えてやりたかったのかもしれない。

 しかし、世界の筋はそのように書かれていなかった・・・そうか、だからか!

 だから、アルパ・カートは私をここに送ったのだ!)


 英雄ホーソンは、すべてを理解した・・・アルパ・カートは、愛しい乙女の願いを叶えるために、今の世界を消滅させ、新しい世界を一から紡ぎ直すことにしたのだ。

 アルパ・カート自身は、花嫁エチカと素晴らしき世界イル・ムーアと共に消滅することを選び、代わりに英雄ホーソンをこの場所に送りだしたのだ・・・新しい世界を紡がせるために。


 このことは、英雄ホーソンの勝手な憶測であり、真実からはほど遠いことなのかもしれない。しかし、英雄ホーソンを探索の旅に送り出す時のアルパ・カートの言葉が、今、鮮明に思い出された。


「わが友、英雄ホーソンよ。『この世界は・・・お前に託した。』」と。


 英雄ホーソンは、つむっていた目をゆっくりと開いた。

 机の上には、そこになかったはずの金色の羽ペン、金色のインク壺、金色の羊皮紙が置いてあった。

 ここでなすべきことを理解した英雄ホーソンは、金色の羽ペンを手に取ると、ペン先を金色のインク壺の中につけた。


 突然、今まではまったく見えなかった光景が、世界を紡ぐものホーソンの目の前に浮かび上がった。

 この場所には、世界を紡ぐものホーソンだけでなく、様々な姿かたちをした世界を紡ぐものたちがいたのである。皆が皆、その手にした金色の羽ペンで、必死に自分たちの世界を紡いでいた。ここは、『世界の紡ぎ場』だったのだ。


(さあ、わが友アルパ・カートの意志を引き継ぎ、私の新しい世界を紡ごう。

 もちろん、わが心に残る素晴らしきイル・ムーアを元にして。

 そして、私もまた、わが友アルパ・カートのように分身を作っておくのだ・・・万が一の時に備えて。

 乙女の恋心というものは、世界の筋をねじ曲げるほどに複雑なものゆえ、いつでも世界を紡ぎ直せるようにしておかなければ・・・。)


 きっと、新しい世界の英雄ホーソンと世界を紡ぐものの花嫁エチカは結ばれることになるだろう・・・しかし、実際のところは、その時にならないとわからないのである。


 そんなことを考え、ニヤリと笑った世界を紡ぐものホーソンは、勢いよく金色の羊皮紙に文字を書きつけ・・・そして、新しい世界がここに始まったのである。

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