「やっぱアンタのおでんが一番だよ」

秋坂ゆえ

「ドジョウのおでん」、文字通り。

 そのおでん屋は、日本列島を縦横無尽に忙しなく移動する屋台だった。

 なのに何故かミシュラン三つ星を得、多くの人々、海外からの客も含め、とにかく大勢の人間がそのおでんを食してみたいと熱望していた。


 しかし、そのおでん屋「DOJOH」は神出鬼没。東京や大阪など大都市の繁華街に現れたと思ったら、翌日には中国山脈の標高700m地点に開店する、という異常な経営形態をとっていた。


 そして今夜は、東京都練馬区の住宅街、最寄りの駅からどう頑張っても徒歩14分27.4秒はかかる地点、より正確に言えば、四丁目公園の裏、杉浦さんちと松本さんちの前に現れた。


「いやぁ、流石ミシュラン三つ星! こんな異常気象で気温が摂氏45度でも僕の心を温めてくれるなぁ……!」

 そう言ったのは、初見の客だった。そのおでんの美味さに感動し、目には涙すら浮かべていた。彼はまだ三十代だったが、勤め先がいわゆる『ブラック企業』で過労のため随分と老け込んでいた。

「それにしても、お店の名前が本当に貴方のことだったとは。シンプル・イズ・ベスト、飾らない感じも僕は好きだよ」

「いやいやお客さん、そんなに持ち上げてもはんぺんしか出ませんぜ」

 おでんが煮込まれている大きな鍋の反対側で、店主のドジョウが笑顔でそう返す。


 文字通り、一匹のドジョウである。


「よくよく考えれば」

 還暦間近といった風体の男性客が声をあげる。

「今まで海辺では見つけられなかったなぁ。理由が分かったよ。あんた、淡水魚だもんな」

「そうなんでさぁ。いくらあっしがおでんを調理できるとはいえ、塩水なんかに漬けられたらどうなるか、想像もしたくねぇ」


 繰り返すが、店主は一匹のドジョウである。白い手拭いをひねり、頭部に巻いている。


「えー、それガチでヤバいやつじゃん! ってか私、おでんがこんなにえるなんて知らなかったよ。ねぇ、そっちのコンニャクも撮っていい?」

「どうぞどうぞ! 何ならインスタとかTikTokとかTumblrとかPinterestとか元Twitter現Xとかカクヨムの近況ノートとかにアップして宣伝してやってくださいな。こっちも客商売ですから」


 このドジョウは、おでんを作ることのみならず、かなり人間文化に造詣が深いようだ。


「お、やってるね」

 続いて現れたのは、とび職でもしていそうな印象の初老の男だった。

「ああー! 福田さんじゃないですか! 何年ぶり? 確か九州のどっかで会って以来だっけか」

「おうおう、おめぇさんが元気そうで何よりだ。とりあえずいつものくれや」

 神出鬼没と言われているのに常連がついている。『いつもの』と言われる前から店主のドジョウは、

「福田さん、ガキの頃から大根好きだもんなぁ。久々に会えてあっしも嬉しいから一個おまけしやすよ」


 一般的に、ドジョウの寿命は水田域で一、二年と言われているが、もはやこのドジョウにはドジョウの常識は通用しない。


「Oh! Long time no see, Mr. Dojoh!! Do you remember me?」

 金髪碧眼の英国淑女が入店してきた。年齢は二十代後半といったところか。他の男性客からの視線を一身に受けていた。

「Thank god! I've been wondering if I could see you around here!!!」


 店主のドジョウは完璧なクイーンズ・イングリッシュで返した。

 もうなんなのコイツ、ドジョウとしてっていうか、存在としてツッコミどころしかないんだけど。


「お客さん」


 表情に出てしまったのか、店主がぼくに声をかけてきた。


「分かりますよ。あっしは淡水魚だけどこうして空気の中でおでんを作って皆さんに召し上がっていただいている身ですぁ。そりゃ妙ちくりんに見えるでしょう」

「でも、貴方の、ドジョウのおでんがこんなにも美味しいなんて、ぼくは知らなかった」


 素直にそう告げると、店主のドジョウは不敵に笑って言った。


「こう見えてね、あっしも目標にしてる味に近付こうって毎日努力してるわけですぁ。結果的にそれで店の名も売れやしたけど、あの味には全然敵わないと忸怩たる思いで」


 ミシュラン三つ星の店が『敵わない』と言うおでんが存在するのか!? ぼくの好奇心は凄まじく刺激された。


「どこの、なんていう店ですか?!」


「はは、紆余磁土うよじどまちっていう所にある屋台でさぁ。もう畳んじまったかもしれませんけど」


 ぼくは愕然とした。


「そ、それは紆余磁土のおでん屋『ラッキー★落花生』のことですか?」


 今度はドジョウが喫驚した。


「お客さん、あの店をご存知で?!」

「ええ、ぼくの大伯父がやっていた店で——」

「なっ! じゃ、じゃああすこの店主が言ってた隠し味の正体もワンチャン知ってらっしゃる?!」

「え、あ、はい!」


 店主のドジョウがドジョウなのに顔を真っ赤にして叫ぶので、ぼくも声が大きくなってしまった。


「教えてくだせぇ、後生です! あの隠し味は一体……?」

「す、り身です。ドジョウの擂り身——!」


『えっ?』



 以降、おでん屋台「DOJOH」はどこにも現れなくなった。

 噂によると、一度だけ、店主不在の状態で開店し、食べに来た客達はその至上の旨みを満喫した、とされている。


 おでんに全てを捧げた一匹のドジョウは、文字通り身を削って立派な隠し味となったわけだ。

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「やっぱアンタのおでんが一番だよ」 秋坂ゆえ @killjoywriter

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