エピローグと呼ぶには②

「最初は奥さんに紹介したいって言われたけど、先輩、正直だからすぐに、奥さんが俺たちをくっつけたがってて食事会することになったって勝手に白状した。君に断られたから騙し討ちでやるから、一回それだけはつきあってほしいって頼まれたんだ」


 よほど私の顔に出ていたのか、彼は事情を説明してくれた。そうか、彼はあのとき、食事会の真の目的がわかっていたのか。


「先輩に話聞いたとき、自分でもわからないけどもやもやして。君にとって俺がただの同級生だとわかったからだと思う。まだ自覚していなかっただけで君のことが気になってた」


「彼女の誘いは違和感があったけど、行ったらあなたがいて、ようやく彼女の魂胆に気づいて。あなたは顔には出さないけど絶対、私が取り持ってほしいと頼んだって思ってるだろうと思ってた」


「もし先輩から話を聞いてなかったとしても、俺に興味がないのはわかったよ。なんていうかすごい外の顔してたし。隙がないというよりは、プライベートじゃない顔というか。

 ずっと和やかだったけど、入りこめるかんじがなくて。連絡先聞くの、結構勇気いったよ」


 全然知らなかった。少しはにかむ彼の姿が珍しくて目が離せない。

 彼は適齢期の波に乗るべきだと判断しただけだと思いこんでいた。彼は容姿も条件的にもいわゆる優良物件で、私を選ぶことにメリットがあるとは思えなかった。彼の気持ちを勝手に推し量って決めつけていた。確認もしないで。

 彼のほうでも同じようなことを考えていたなんて思いもしなかった。


「君はたまにすごく不思議そうな顔をしたり不安そうな顔をするから、君を繋ぎ止めたくて必死だった」


「そんなふうには全然見えなかった。ちゃんと大事にされてるって思えたけど、自分の好きのほうが大きい気がして不安になったり、どうして私なんだろうって、何でつきあい出したんだっけ、てわからなくなって。

 でも私、ちゃんと好きだったし、これからも好き」


 うん、と彼はやわらかく微笑んだ。少し照れを含んだ笑顔に、鼓動がはねる。


「でもどうして? 高校のときだってそんなに話したわけでもないし、結婚式のときだって近況とか話したくらいでしょう?」


 私はずっと、食事会の後に会うようになって何かが変わったのだと思っていた。

 彼はふっと息を吐くように笑った。口角の片側だけが上がる。


「やっぱり覚えてないか。小松の手紙にもあっただろう? 俺の『特別』」


 皮肉っぽさの中に寂しさを滲ませた顔。彼にそんな顔をさせたのは私で、罪悪感が生まれる。だけど私は首を傾げるしかない。


「君が言ったんだよ、俺に。教えるのがうまいね、て」


「…私が?」


 思わず目を見開く。小松さんの手紙にはたしかに書かれていた。彼が教師になった理由が「教えるのがうまいと言われたから」だと。そして、それを言った人が彼にとって特別なのだと彼女は思った、と。


でも、それが私?


 一年のときはたしかに同じクラスで、あまり話したことがないとはいえ何度か話した記憶はある。でもそんな、勉強を教わったことがあっただろうか。


「放課後、君は教室に残っていて、試験前か何かで勉強してた。俺は忘れ物をして教室に戻ったときに呼び止められたんだ、君に。

 一瞬身構えたけど、君はただ『この問題わかる?」て。俺が教えたら、『そういうことだったんだ、授業よりわかりやすかった。教えるの上手だね』てお礼を言った。その言い方が本当に自然で、わざとらしさとか媚とかまったくなくて。だから嬉しかったし、たぶんずっと記憶に残ってた」


「…ごめん、教えてもらっといて全然覚えてない」


 たしかに私はテスト前に教室で勉強することがあった。自習室の静寂の中、黙々と勉強している雰囲気が苦手で、かといって家では集中できなかったからだ。その中で通りかかった人に声を掛けたことは一度や二度ではなく、断られたこともあったが教えてくれる人も少なくなかった。

 上手だったと思うことも何度かあったが、それが誰だったのか少しも記憶がない。教えてもらっておいて失礼な話だ。


「うん。君は俺だったから声をかけたわけではなくて、たまたまいたのが俺だったってだけで、褒めてくれたのもそう思ってくれたからで。他意がまったくなかったからこそ、印象に残ってたんだと思う。君にとって俺が少しも特別じゃなかったことが、たぶん嬉しかったんだ」


「嬉しい?」


「正直、気を引くための言葉とかそういうの、辟易していた。でも君はいつも自然で、誰かに対して態度を変えたりしなかった。今もそういうところに惹かれてる」


 彼があまり言葉にしてこなかったことを急に話してくれるので、照れるよりもどぎまぎしてしまう。つきあっているときから、お互いにこういう話をしてこなかった気がする。


「君はたまに自分を卑下するけど、俺にしたらよほど君には俺はもったいない。誰に対しても態度を変えないのもそうだけど、おおらかさとか何気ない気遣いにはいつも助けられてるし、しっかりしてるけどちょっと抜けてたりとか、意外と大雑把なとことか、君と一緒にいるのが俺で本当に嬉しいんだ。


 俺は奇跡や運命を信じてるわけじゃないけど、小松の手紙がなかったらきっと今一緒にいることはなかったと思うから。そう思うと結婚式で君に再会したことは奇跡みたいなことなのかと最近思うことがある。


 小松は俺に感謝してくれていたけど、本当にいろいろなものをもらったのは俺のほうだったんだろうな」


 たとえ仕方のないことだったとしても、彼の中から後悔が消えることはないのだろう。その一方で彼は過去にとどまることはなく、私といる今とこの先を見てくれている。私も、彼といるのが私で嬉しい。


「あなたと過ごす時間はとても心地よくて、こうして一緒にいられて幸せ。


 小松さんの手紙が今を導いてくれたなら、私は奇跡を信じたいし、運命はあるんだって思いたい」


 私がそう言って彼を見つめてそっと彼の手を握ると、彼の手はそっと私の手を握り返し、優しい笑みを返してくれた。


 窓の外には、きっと昔小松さんが彼と出会った日に見たのと同じように、桜が舞っていた。





〈了〉

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