もう小説家なんてこりごりです!

 全てがまやかしであったことが明かされても、メガラの心は未だにニアから離れそうになかった。


「でも私、ニアのことを忘れられそうにないの……」


 アルゲンターヴィス伯とキノは心配そうにニアを見る。メガラにまだ未練が残っている場合、これ以上に厄介な事態になりかねないことだった。


「メグ、さっきニアというのはこの一連の芝居のために考えた名前だって言ったよね?」

「それがどうかしたの?」


 ニアは持ってきた鞄から、本を一冊取り出した。


「実は、僕は君に名前を明かすことができなかったんだ」

「それは一体何故?」

「万が一にも、君に名前が知られていてはおしまいだったからね。僕はこういう者だよ」


 ニアはメガラに取り出した本を手渡す。


「それ、僕が最近書いた本。酒場は副業でね、本業は小説家なんだ」


 メガラは本の表紙とニアの顔を見比べた。驚きと共に、今まで自分が惚れていた男が夢のような世界を紡いでいる存在なのだと思うと不思議な気分になった。


「なんでそれを早く言ってくれなかったの!!??」

「まあ、少し読んでみてよ」


 キノがランプを掲げ、メガラはニアの著書を開いた。その顔はみるみる真っ赤になり、ついにニアに本を投げつけた。


「なんて破廉恥な内容なの!!! 信じられない!!!」

「恋愛は得意としているんだ。主に男性向けだけど」


 男性向けに特化した美しくもない男女の過激な秘め事を読まされて、メガラは憤慨した。


「あなたも私をこんな風にしようとしていたってことなの!!??」

「さあ、それはどうだろう? でも、やることなんてみんな一緒さ」

「もう嫌だ! あんたなんかキライ! このスケベ! 変態!」


 その言葉を聞いて、アルゲンターヴィス伯とキノは胸を撫で下ろした。


「おやおや、さっきまであんなに僕を愛しているって言っていたのに……」

「それとこれとは話が別よ! そんな人じゃないって思ってたから……」


 メガラは声をあげて泣き出した。初めての本格的な失恋だった。


「そうさ、人なんて見かけだけじゃないし、もちろん肩書きだけじゃない。それはみんなそうさ。庶民のいいひと面した悪人もいるし、腹黒そうな貴族でも心優しい人もいる。まずは目の前の人のことを知らないと、他人のことなんて何も判断できないのさ」


 ニアによる本格的な正論にメガラは打ちのめされていた。キノはメガラが投げつけた本を拾い上げた。


「ところで、いくつかお聞きしていいですか?」

「なんだい?」


 キノはメガラに更に追い打ちをかけるように、ニアに質問をした。


「実際のところ、メグお嬢様のことをどう思われますか?」

「そうだね……伯爵様の手前、あまり言いにくいことではあるけど……僕はもう少し年上の世の中を知っている女性の方に魅力を感じるかな……?」


 暗に「ガキっぽい」と言われて、メガラは激しく打ちのめされた。


「それとこの小説なんですけど……実体験を元にしていますか?」

「ノーコメント、と言いたいところだけど……それなりに取材はさせてもらってるかな? どうだい? 君さえよければこの後」

「結構です」


 ヘラヘラ笑うニアを一蹴するキノを見て、メガラは一層「何故こんな男を好きになってしまったのか」と恥ずかしくなる思いだった。


「さあお嬢様、帰りましょう。こんな男とお嬢様は一緒にいるべきではありません」

「……わかったわ、キノ」


 ニアと名乗った官能小説家は謝礼としてもらった「約束の金」の入った鞄を持つと再びメガラに近づいた。


「ところでメグ、次の話の主人公は君をモデルにしていいかい?」

「お断りよ!! 気安く私の名前を呼ばないで!! 私を誰だと思って話しかけているのかしら!!」


 ニアはキノと顔を見合わせて、互いに肩をすくめてみせた。


***


 ニアとの一件以降、メガラはすっかり小説を読む気がしなくなった。本を開くとニアの小説家としての顔が思い浮かんでしまい、夢を見ることができなくなっていた。


「でもキノ、それなら私は一体何をすればいいのかしら……」

「まあ、ゆっくり考えればいいのではないですか。気分転換が大事ですよ」


 テラスでふてくされるメガラに、キノは飲み物を差し出した。グラスに手をつけたメガラは目を丸くした。


「これ、蜂蜜酒じゃないの!」

「お嬢様にお酒なんか飲ませるわけないでしょう、それはただのジュースです」


 キノはこともなげに言い放つ。


「じゃあ、あのお酒は!?」

「お酒? お嬢様がお飲みになったものは全部そちらのジュースですよ」


 キノが言うには、ニアの店で出た蜂蜜酒は伯爵家で取り寄せたジュースを甘い酒と偽って飲ませたとのことだった。


「じゃあ、私……」


 メガラは酒に酔っているとばかり思っていたのだが、あれは全部素面だったのかと思うとまるで酒に酔っているかのようにみるみる顔が赤くなった。


「ま、何事も経験ですね」


 キノは一通の手紙を差し出した。


「ガストルニス公爵のご子息様からです……今度は是非貴女が望む場所へ連れて行くから、どうしても一度お会いしてみたいそうですよ」


 メガラは手紙を受け取り、その文面に目を走らせる。


「そうね……返事くらい自分で書けるわ。もういい、下がっていて頂戴」


 キノはくすりと笑うと、一生懸命手紙の返事を書き始めたメガラの前から退出した。



 ≪ 了 ≫

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