第8話 流されるまま、王太子妃になりました。

 三年前の真相が明らかになり、王妃様と宰相の罪が発覚し、王宮だけでなく王国に激震が走った。国王陛下の容態は悪くなるばかり、いつ果ててもおかしくない状態だという。宮医は面会を禁止する。心労がたたったらしく、国王陛下の侍従長まで体調を崩して療養中。

 つまり、権限はアルベルト殿下に委ねられたままだ。

「宰相と王妃様の独断でございます。アルベルト殿下はいっさい知らず、関与されていません。次期君主としてなんら問題はなく、国王陛下のお身体のためにも取り沙汰されること自体、神殿としては遺憾」

 神殿がアルベルト殿下に肩入れして暗躍する。けれど、大魔法師が統べる魔塔がアロイジウス殿下の支持を表明した。

「大魔法師の名において魔塔は、アルベルト殿下の廃嫡を求める」

 やっぱり、あの時、大魔法師様は聖女奪還とやらに加担していなかった。あれ、勝手に宰相たちが大魔法師の名を騙っただけ。

 だからこそ、大魔法師の機嫌がよじれ、普段は国政に関与しないのに、アロイジウス殿下に味方したみたい。

 兄派と弟派による勢力は拮抗し、内乱勃発?

 私はアロイジウス殿下とともに王宮に留まったけれど、一触即発の状態で誰もが神経を尖らせている。中でもエルケの茶葉チェックや茶器チェックは厳しい。

 いつも以上に宮廷貴族のヒソヒソ話が煩い日、私がエルケと茶菓子の吟味をしていると、アロイジウス殿下が顔を出した。

「アルベルトが王太子を辞退した」

 あまりにもあっさり言われ、私は自分の耳を疑った。

「あのクソ野郎が王太子を引退……じゃない、やめた?」

「三年前の件、王妃と宰相が謀ったことが真実だと納得し、辞退した。傲慢だが、王子としての誇りは持っている」

 アルベルト殿下にとって王妃は最愛の母だし、宰相は尊敬する祖父だ。三年前の悪事が真実だと実感できるまで信じられなかったのだろう。

「意外です」

 自分は関係ない、ってアルベルト殿下なら逃げ切ると思っていた。メルヒオールやディルクも同意見。

「王妃は尖塔に幽閉、宰相は処刑、家門断絶」

 つい先日まで王国内で最も繁栄していた大貴族が滅ぶ。身から出た錆だから、私は同情できない。

「我が妻、確認する。あの時、ヨハネスの身体に入っていたのはそなた?」

 アロイジウス殿下に確認するように問われ、私は心底から感服した。

「そうです。よくわかりましたね」

「ヨハネスがそなたに見えた。気の迷いかと思ったが……」

 アロイジウス殿下が持つ絶大な魔力が真の姿を見せたのかもしれない。

「私もびっくりしました。まさか、こんな力が……」

「ヨハネスはそなたの身体にいた間、何も覚えていないようだ」

 元第一騎士団長は尋問室に移動した後、素直に罪を白状したという。良心が残っていたのかもしれない。

「いきなり元に戻って、ヨハネスは驚いたでしょうね」

「聖女様の奇跡を求めた酬いだと怯えている」

「神罰が下っても、自業自得だと思っちゃいました」

「我の力が及ばず、面目ない」

 高潔な王子様に繰り返される謝罪が心苦しい。挟持が高いだけに、心魂から悔いているようだ。

「アロイジウス殿下が悪いわけじゃないです。あいつら、身勝手すぎます」

「そなたを危険な目に遭わせたのは確か。ライナルトの裏切りも気づけかった」

 生真面目な騎士を信頼していたからショックらしい。背後のメルヒオールは悔しそうに唇を噛み締めた。

「三年前、ライナルトは裏切りたくて裏切りたかったんじゃない。お母さんが病気で大変だったそうです」

「ライナルトの苦悩に気づいてやれなかった私にも落ち度がある。命は助けた。家族も救う」

 ライナルトの処分はエルケも気にしていたからほっと胸を撫で下ろす。二度と道を踏み外してほしくない。

「よかった」

「大魔法師もただ名前を使われただけ。聖女召還に興味はあったが、奇跡に興味はなかったらしい」

「よかったです」

「落ち着いたら、そなたの妃教育が始まる」

 いきなり話題が変わり、私は理解できなかった。

「……へ?」

「我は従弟を王太子に推薦したが固辞された」

 アルベルト殿下が辞退した王太子の座を空席にはできない。三年前の内乱討伐失敗の汚名も濯がれた今、第一王子の立太子は自然な流れ。

「アロイジウス殿下が王太子に?」

 絶世の美男子の頭上に王冠が見えた。

「そなた、王太子妃になる。我は今のままのそなたで構わぬが、王宮マナーは一通り覚えたほうがよい」

 ……お、王太子妃?

 誰が?

 ……まさか、私……この私?

「……無理」

 ショックのあまり、下肢がガクガク震える。

「我の妻はそなたのみ」

 手を優しく取られ、甲にキスされ、上目遣いで見つめられたらアウト。

「……う」

 オーノー、破壊力がありすぎる。

 キラキラ王子に何も言えなくなる。

「我が隣にいてほしい女性はそなたのみ」

「……絶世の美人令嬢がいるのに」

 名家の美人令嬢がアロイジウス殿下に群がっていることは知っている。正妃がいるとか、いないとか、そういうのは関係ないらしい。

「私の姿が醜くなり王太子の地位を退いたら去り、元に戻ればまた擦り寄る。そばに置きたいと思うか?」

 アロイジウス殿下にしては珍しく嫌悪感を隠さない。背後に控えるメルヒオールの双眸も軽蔑の色が濃い。

「いやです」

 確かに、私もどんな美女でもいやだ。

「そういうことだ。身分も容姿も失った我に寄り添ってくれたのはそなたのみ」

 優しく抱き寄せられ、私の心臓が危なくなった。

「心臓が止まるからやめてくださいっ」

 私、キラキラ王子に慣れる気がしない。

 近いうち、心筋梗塞か、狭心症で逝くよね?




 国王陛下の病状の悪化が懸念されたけど、宰相が公開処刑され、王妃が幽閉され、アルベルト殿下が辺境伯として僻地に向かった。

 早くも王宮では優雅な戦いが繰り広げられている。年頃の令嬢を持つ家門の売りこみ合戦が凄まじい。代々の国王は多くの側妃を持ったから当然だ。

「我に側妃は無用」

 肝心のターゲットが素っ気なく拒否しても、引き下がるような宮廷貴族はいない。あの手この手で食いこもうとする。

「王太子妃様、どうか側妃をお決めくださいませ」

 私にふられても困る。ここで圧力に負けたら、後でアロイジウス殿下がとっても面倒……うん、意外と面倒なプリンスだった。

 私、王太子妃だよ。

 おまけに、聖女認定されちゃったよ。

 困った。

 気分が悪くなったふりをして逃げる。

 けど、一難去ってまた一難。

 こともあろうに、逃げこんだ先で宮医に縋られた。

「聖女様、お願いです。内々にしていましたが、右目は失明し、左目もほとんど見えません。どうか助けください」

 宮医がそれでいいの? その目で国王陛下を診ることができるの? 名医だと評判の宮医に不信感が募る。

「無理です」

「聖女様は人を救うために生まれてきたのでしょう。奇跡をおわけください。陛下のため、国のため、ここで隠居するわけにはいかないのです」

 私以外に陛下は救えない、と宮医は脅すように続けた。プライドが半端ない。

「私の奇跡は一度だけ」

「国のため、お願いします」

 宮医に凄まじい力で長椅子に押し倒され、私は死に物狂いで手足を振り回した。

「私はアロイジウス殿下の妻です。やめてっ」

 またこれ?

 それもよりによって宮医に?

「性行為に非ず。これは聖女様の奇跡ですぞ」

 宮医にはなんの躊躇いもない。毒親や毒教師のように、自分が正義だと信じこんでいる顔つき。

「やめてーっ」

 突然、視界が変わった。

 ……あ、まただ。

 また入れ替わった。

 これ、襲われたら変わる力?

 自分で拒む腕力がないから?

 ……え?

 何かが見えてきた……あ、豪華なお部屋で宮医が王妃様に強請られている?

『そなた、裏切ったか?』

 王妃様に扇で叩かれ、宮医は跪いた。

『王妃様、滅相もない』

『国の安寧のため、陛下にはそろそろお休みしていただかねばなりません。わかっていますね?』

『……わ、わかっております』

『予定では先月ではなくて?』

 クイッ、と王妃様は扇で宮医の顎を上げさせる。

『思いの外、陛下には体力がございました。アロイジウス殿下から贈られる薬湯の効果があるようです』

『アロイジウス殿下の薬湯を禁じなさい』

『禁じても陛下が飲まれてしまうのです。侍従長も止めようとしません。王妃様がどうかお止めください』

『ならば、薬をもっと増やしなさい』

 ……な、何、これ?

 王妃様の命令で宮医が国王陛下に毒を盛っていたの?

 即効性の毒じゃなくてジワジワ効くヤツ?

 愕然とした時、物凄い破壊音とともに扉が開いた。ディルクを先頭にアロイジウス殿下やメルヒオール、騎士たちが飛びこんできた。

「リナ? ……そなた、我が妻に何をした?」

 アロイジウス殿下が怒髪天を衝き、背後に黄金色の火柱を立てた。ガタガタガタガタッ、という不気味な音と同時に壮麗な宮殿が揺れる。

 手に集められた黄金の炎を食らったら詰む。

 ディルクやメルヒオールも激昂し、アロイジウス殿下の爆発を止めようとしない。

 私、つまり宮医は私の身体から離れ、その場に跪いた。

「……アロイジウス殿下、私の罪を懺悔します。お聞きください」

 私はアロイジウス殿下が見えるように、右手を握ったり開いたりした。これ、アロイジウス殿下と決めた合図だ。もし、私が誰かと入れ替わった時にわかるように、と。

 まさか、こんなに早く使うとは思わなかった。

「……申せ」

 アロイジウス殿下は私の合図に気づき、優しい目で頷いた。

「王妃様に脅され、国王陛下に毒を盛っていました。即刻、私が用意した薬を調べてください」

 私こと宮医の告白を聞き、ディルクやメルヒオールは驚愕で目を瞠った。アロイジウス殿下の黄金のオーラの激しさがアップデートされる。

「父上の病は毒によるものか?」

 継母である王妃様に対する怒りが伝わってくる。

「アロイジウス殿下が贈られた薬湯が国王陛下の命を繋いでいました。私が禁じても陛下はお飲みになるし、侍従長も止めません。王妃様は侍従長の侍女を買収し、侍従長の食事に毒を盛らせました」

「父上の侍従長が倒れた原因も毒であったのか」

「今すぐ解毒を」

 国王陛下は危篤状態だ。一刻の猶予もない。

「そなたの罪は免れぬ。なれど、よく明かしてくれた」

「殿下、拘束します」

 ディルクに後ろ手で掴まれた瞬間、アロイジウス殿下が低い声で止めた。

「……待て」

「罪人です。こちらで取り調べます」

「ふたりきりで話したいことがある。下がれ」

「……しかし」

「下がれ。一刻も早く、父上の解毒を」

 アロイジウス殿下の静かな迫力に折れ、ディルクやメルヒオールたちは下がった。私の身体は目を閉じたまま微動だにしない。

「……リナ?  我の愛しいリナ?」

 アロイジウス殿下に優しく手を取られ、私は泣きそうになった。呑気に泣いている場合じゃないのに。

「……殿下、戻れない。殿下の魔力でどうにかなりませんか?」

 アロイジウス殿下の魔力は大魔法師に匹敵すると聞いた。後ろ盾がなくても王太子に立礼された理由だ。

「我にはどうすることもできぬ」

「どうやったら、戻るんですか?」

 聞いても無駄だと思いつつも聞かずにはいられない。もっとも、すぐに困惑顔の美男子に聞き返された。

「そなた、前回、どうやって戻った?」

「……あ、叩いた」

 ペチッ、と私の頭を叩く。

 ……けど、空振り。

「……ど、どうしよう?」

 私が頭を掻き毟ると、アロイジウス殿下に肩を抱かれた。

「……そなたのおかげで父上をお助けできるかもしれぬ。礼を申す」

 耳元に甘く囁かれ、私の身体が痙攣する。

「……い、いきなりなんですか?」

「今、父上が天に召されたら国が立ちゆかぬ」

「王妃様はさっさとアルベルト殿下を国王にして権力を握りたかったようです」

「妻にも裏切られるのが君主……孤独な立場だ。支えてほしい」

「……う、う、う、戻ったら」

 戻れ、と私は真っ赤な顔で力みながら自分の頭や肩、胸、あちこちを叩いた。顔は引っかいた。

「リナ、そなたの大事な身体に傷がつく」

 アロイジウス殿下に悲痛な顔つきで止められた瞬間、私は顔に痛みを感じた。

「……痛い……」

 視界が変わり、今の私は絶世の美形を見上げている。猫脚の長椅子から摺り落ちそうだ。

「リナ、戻ったか」

 アロイジウス殿下が安堵の息をつき、起き上がろうとする私の背中を支えた。

「……さっき叩いたとこ、引っかいたところも痛い」

 さっきの私、馬鹿。

 もうちょっと手加減しなよ。

「宮医を呼ぼう」

 アロイジウス殿下に真っ青な顔で言われ、私は天然大理石の床に伸びている宮医を指した。

「そこに倒れています」

 宮医は低く呻きながら、足の爪先を痙攣させている。私と入れ替わったことをわかっていたら厄介。

 何も覚えていませんように、と私は祈るしかない。

 アロイジウス殿下が扉の前で待機していたメルヒオールや騎士たちを呼んだ。

「メルヒオール、宮医を連れて行け」

「御意」

 騎士たちに拘束され、宮医はようやく我に返ったみたい。

「……は? ……は? これはどういうことですかな?」

 宮医は周囲の騎士たち、アロイジウス殿下に肩を抱かれる私を眺める。まるで夢でも見ているような顔。

「宮医でありながら国王陛下に毒を盛った罪、しかと聞いた。自白したとはいえ、罪は重い。覚悟しろ」

 アロイジウス殿下が凜とした態度で言った瞬間、宮医は顔色を失った。下肢を小刻みに震わせる。

「……え? ……自白? なんのことだか?」

「王妃の命により、国王陛下のみならず侍従長も毒殺しようとした罪、そなたは懺悔した」

 薬を調べたから惚けても無駄、とアロイジウス殿下は穏和な声で続けた。

「……自白した覚えはありませんが、聖女様の奇跡を願った罪……あぁ、それで私の大罪がバレてしまったのでしょう……王妃様に強請られていました……やはり、本物の聖女様……本物でした……」

 宮医は私を見つめてから腑に落ちたように息を吐くと、メルヒオールや騎士たちに連行されていった。

 私も襲われた部屋にいたくない。

 アロイジウス殿下にエスコートされ、遅咲きの薔薇が咲く薔薇園に出た。虹色の薔薇を見て、改めて異世界だと実感する。

「我の妻、やはり救国の聖女だ。礼を申す」

 救国のイケメンにしみじみ言われ、私は首を振った。

「アロイジウス殿下、ハードル、あげないで」

「そなたがいなければ我は朽ち果て、父上も毒に負け、アルベルトは傀儡の王となり、王妃と宰相に操られていたであろう。宰相一族の欲に塗れた国に繁栄はない」

「もうちょっと聖女らしい力がほしかったです」

 これが聖女の力?

 偽らざる切実な気持ち。

「確認する。そなたが入れ変わる時、慮外者に襲われる時だな?」

 アロイジウス殿下に凍りついた顔で尋ねられた瞬間、虹色の薔薇が枯れた。ほんの一瞬で紅白の薔薇や三色の薔薇も。

「……みたいです」

 思いだしただけで鳥肌が立つ。

「専属護衛騎士を増やす」

「それは今でも充分です」

「足りぬ」

「これ以上、いりません」

「そなたに触れた者、極刑にしても足りぬ」

 アロイジウス殿下の唇が近づき、私の額にそっと触れた。

 ただそれだけなのに。

 私の心臓がおかしい。

 心筋梗塞か、狭心症か?

「……心臓が……ヤバいです……」

「リナ?」

 アロイジウス殿下に心配そうに抱き込まれ、ますます胸が痛くなった。……うん、これ、心臓病じゃない?

 もしかして、胸きゅん病?

「私、アロイジウス殿下と一緒にいたら早死にします」

「そんな呪いがあるのか?」

「呪いじゃない……呪いじゃありませんけど、ちょっと離れてください」

「我はそなたを放したくない」

「私のことを思うならちょっと離れて」

 予想だにしていなかった異世界に聖女として召還されて、ちやほやされた後に落とされて投獄されて不条理を噛み締めた。

 助かるために、化け物殿下と呼ばれるアロイジウス殿下に嫁いで。

 想像を絶する出来事の連続に生きた心地がしなかったけど、いつのまにか、令和の日本への未練が薄れていた。

 帰っても、アロイジウス殿下はいない。

 私も殿下が好き。

 ……うん、好きなんだ。

 自覚したら、さらに胸きゅん病がひどい。

 これ、一日も早くアロイジウス殿下のルックスに慣れないとヤバいよね?

 慣れる自信はないけど。

「リナ、愛らしい」

 蕩けるような笑顔のアロイジウス殿下に唇にキスされ、私の全身から力が抜けていく。立っていられないけれど、私を守ろうとする腕に優しく支えられる。

 これが運命、と冷やかすようにざわめく薔薇に言われたような気がした。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

規格外の聖女~偽物と認定されて投獄されましたが、奇跡を起こしました~ 森山侑紀 @moriyamayuuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ