髪の毛ラプソディー
蜂蜜ひみつ
髪の毛ラプソディー
『これ若白髪でさ〜』
そう言っても全然問題のない年の頃。
父親が病で突然他界し、ショックのあまり麻美は、右前髪だけが真っ白になってしまった。
可哀想な人と友人に思われたくなくて、そこだけいつも黒く染めていた。
大人になった彼女の就職先は、残業ばかりのブラック企業。
リモートワークの流れに乗って、家でも仕事の山と闘う日々であった。
社会人になってから仕事三昧で生きてきた麻美にも、やっと恋人ができた。
彼との時間を捻出するために、スケジュールを調整し、仕事の皺寄せを解消すべく、約束のない日は睡眠時間を削って夜遅くまでパソコンに向かう。
寝不足が続いたが、彼と過ごす時間は麻美にとって、多少無理をしても手に入れたい、心浮き立つ楽しいものであったのだ。
しかし、頑張っても恋人との時間のすれ違いが多いことは、やはり否めなかった。
そうしていつしか二人の間には、見えないザラついた砂が少しづつ混じり始めていくように、麻美は肌で感じていた。
『オデコを出してるのが可愛い』
出会った頃に彼がそう褒めてくれた、甘い思い出が麻美の胸をふわりと
少しでもあの頃に戻れたら……
今日のデートは前髪を上げたポニーテールで行こう、はたと思いたった。
そして鏡にむかい、オデコ出しのアップスタイルにすべく、ブラシで前髪を後ろに梳かしつけた瞬間。
麻美はあることに気が付き愕然とする。
なんと、左前頭部が明らかに禿げていたのだ。
——え?! 何これ……寝不足とストレスのせいで? まさか……いや、でもあきらかに絶対に……
ああ、まずいわ、時間があんまりない。
約束に遅れたら、また怒らせちゃう。もう行かないと——
麻美は動揺しながらも前髪を下ろし、いつものヘアスタイルに整えた。
それから鏡の中の、無理を重ねた自分の真の姿から目を逸らし、慌てて家を出ていった。
結局。
ほどなくして努力も虚しく、麻美は恋人に振られてしまった。
遅かれ早かれだったと、薄々分かっていたとしても。
仕方がなかったのだと、理性では納得していても。
悲しくて哀しくて、麻美は独り泣きに泣いた。
そして、すぐさまネットでくせ毛専門の美容師を探し、長い髪をばっさりショートカットにした。
失恋の区切りと、禿げた左髪養生のために。
季節も移り変わり、ようやく麻美に笑顔が戻る頃。
左前頭部にもようやく毛が生えてきた。
しかしその生えてきた毛は白髪だった。
そして右の白髪はさらに増えていた。
——悲しいと主に右が白髪。寝不足だと左が禿げるみたいだ——
麻美はぼんやりと自分の髪について分析した。
29歳。
誕生日を数ヶ月後に控え、麻美は髪型のことで突飛なことをふと思いつく。
——黒に染めずに青く染めてみようかしら。韓国アイドルみたいなのではなく、大人のネイビー、インディゴブルーみたいな——
いつもの美容師は売れっ子で、大概1ヶ月後ぐらいにしか予約は取れないが、それでも余裕でまだ誕生日前だ。
二十代ラスト、ひょいと閃いた新たなるヘアスタイルへの挑戦に、わくわくと期待が高まった。
予約の日を迎え、緩いパーマをかけた男性のような
自分の癖毛の持ち味を活かして切るいつものヘアスタイルだ。
そして今回はさらに。
前と横にインディゴブルーのメッシュを入れた。
そのクールな出来栄えに満足し、会社でも好評を得て、麻美も気に入っていた。
しかしながら、格好良くきまっていたのはほんの束の間。
青は色が抜けやすく、ブリーチした部分がすぐに薄い青緑じみてきたのだ。
そして所々ヘーゼルナッツみたいな色の部分も見受けられ。
さらに酷いことに、例の真っ白な白髪の部分は若干青味がかったくすんだ灰色になって、絵に描いた年寄りのようだった。
あの予約の日。
いつもの美容師はくせ毛カットは上手いが、カラーは苦手なのか。
思うように色が入らず、いろんな液剤の青色を何度もやり直し、何時間もかけて繰り返しカラーを重ねられたのだ。
その回数は、ブリーチ合わせてなんと四回。
そのせいで肌の弱い麻美の頭皮は、施術日はもちろんのこと、ピリピリが一ヶ月以上もゆうに続き……
毎晩シャンプーするたびに手のひらに絡み残る、今までに見たこともない程の多くの抜け毛。
日に日に頭から髪の毛が減ってく恐怖に、麻美は
—— 変な色過ぎるのに、抜け毛が酷いからこれ以上の毛染めは無理。マジで抜け毛が止まらない。ヤバい、どうしよう、もうホント泣きそう!!——
そんな時に麻美が思い出したのが、インディゴだった。
会社の自然派思考のお姉様方が、『白髪はヘナとインディゴで染めてるの。髪にも頭皮にも優しいし』と言っていたセリフ。
——それだ!——
ネットで調べると、まさにインディゴブルーに染まるらしいので、麻美は早速取り寄せた。
金曜夜に白髪部分の、灰色になってしまったところだけを試しにやってみた。
染色後お湯で流し、濡れたまま放置すると青くなり、ドライアーをすぐにかけると紫になるらしい。
友達から麻美の携帯に連絡が入った。
大人になってからSNSで繋がって、中学の頃の同級生とたまに飲みに行くようになっていたのだ。
クラスの男子の一人がラーメン屋を開業したので、明日の日中、繁忙時間過ぎた頃行ってみようとなったのだ。
麻美は濡れた髪のまま眠りについた。
翌朝に鏡で見ると、インディゴブルーとはほど遠い、若干ピンクがかった茶色になっていた。
げぇ……でもまあ白髪グレーよりマシか、と待ち合わせの店へと向かう麻美。
約束時間前だったが、彼女が最後の到着であった。
「麻美! 久しぶり! うっわ〜派手な紫色だね〜」
「え?! なんのこと??」
慌てて麻美はスマホを出し、自撮りモードで確認すると……
インディゴで染めたところが、なんと、ド紫であった。
絶叫しなかった自分を褒めてやりたい、と麻美が取り乱すほどに。
ことの経緯を説明し、そして彼らからもらった言葉は……
「巨峰とかお芋みたいな色で美味しそう。季節ぴったりでかわいいよ」
食いしん坊で家庭的なイメージだった智子。
今日は旦那さんと子供たちで出掛けてくれているとのこと。
その、人をほっこりさせる言い回しがあの頃と変わらないなぁと、麻美は気持ちが少しほぐれた。
「色違いモンスターみたいだな。チャラい男にボール投げられてゲットされないように。ワラ〜」
昔からゲームばっかりやっていた
発想が中学と変わんない永遠の少年気取りかと、笑ってしまった麻美。
宏太はバツ2で、来月3回目の結婚を予定してる。
「なぜか紫の髪のおばあちゃんっているけど、まだ若いからギリセーフ。でも、おしゃれモード大学生気取るにはきついわねえ」
恵梨香は超有名広告代理店勤務のバリキャリ。
美人で歯に衣着せぬ物言いは健在だ。
彼女はバツ1。
「紫の髪の人って宗教でやってるって聞いたことある。麻美は違うんだろ? でもそれと勘違いされたらやばくね?」
接客の合間を縫って、店長のテツが声をかけてきた。
中学3年の頃不登校になったテツだが、こうしてまた繋がるんだから不思議なもんだと、麻美は思う。
「今検索したら、そのような噂はない。安心しろ。紫水晶のようで、その色、悪くない」
意外な人物に詩的な例えで褒められた?! と思ったが。
見たまんまを言っただけ、昔からブレない理系の
修哉
太陽光と蛍光灯の下だとそのまま紫に見えるが、麻美の家の温かみのある暖色電球下では、色補正で茶色に見えるんじゃないか? とのこと。
なるほど、紫足すオレンジは茶色だからか、と絵を描くのが好きだった麻美は納得した。
ラーメンのあと、これから早いけど飲みいくぜーとなったが、
「ごめん、私、急遽用事できた」
と、明るい声で麻美が言った。
失恋で落ち込んでたけど、新たな男性からの急なデートのお誘いか?! と一斉に仲間が麻美に詰め寄る。
「ううん。髪切りに行くことにしたの。
あのさ。久々会ってみんなと話して……
みんな大人になって変わってるようで、全然変わらなくてさ。やっぱなんかいいなぁって。
自分らしさって凄くいいよねって、再発見したっていうの?
まずは、くせ毛や白髪を嘆かないで、髪があることに感謝しなきゃね。
このまま私、女子で若薄毛のまんまは勘弁だよ。帰り道、お洒落ぽい美容院で飛び込みで、ベリーショートにしてくる。
時間がかかっても元に戻るよう、休ませて大事にする。髪だけじゃなくて自分自身も。
じゃ、これから合流する、竜二と山ちゃん先生にもよろしく言っといて。
ここにいる誰よりも短く切ってくるわ〜。
みんなバイバイ! またね〜」
麻美は奇抜な髪色に気づかないで、電車に乗ってここまでやって来た。
そして今は知っていながらも、ヘンテコな色の頭のままで。
来た時よりも颯爽と明るい顔で、繁華街へと駆けて行くのだった。
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『参考・引用/蜂蜜ひみつ/てんとれないうらない
/第18話 白髪くせ毛を嘆くより あることに 感謝を捧げよ 3点/作者了承済み』
髪の毛ラプソディー 蜂蜜ひみつ @ayaaki
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