別の家庭だったならば

三鹿ショート

別の家庭だったならば

 家族にとって、私とはどのような存在なのだろうか。

 憂さ晴らしのための道具なのか。

 性欲を発散するための玩具なのか。

 私に跨がり上下運動を繰り返す母親と、兄によって折られてしまった人差し指を交互に眺めながら、そのようなことを考えた。

 だが、何を考えたところで、私が解放されるわけではない。

 外の世界に助けを求めることも可能だが、そのような行為に及ぼうとしていることが知られれば、おそらく今以上に私の自由が奪われることになるだろう。

 唯一安息することができる学校での時間まで奪われてしまえば、この家で過ごす時間に耐えることが不可能と化すに違いない。

 だからこそ、私は助けを求めることもなく、無言で耐え続けていた。

 それが正しい選択であるのかどうかは、私には分からない。


***


 学校の友人である彼女は、私とは異なり、常に幸福そうな表情を浮かべていた。

 その顔面には傷や痣などといったものは無く、彼女が語る家族の話は、まるで別の世界の出来事のようである。

 もしも彼女の家庭で生まれていれば、苦痛とは無縁の生活を送っていたに違いない。

 そのようなことを夢想したが、意味の無いことである。

 しかし、彼女に対して恨みを抱くようなことはない。

 問題ばかりが満ちている家庭に誕生したのは、私の運が悪かっただけだからだ。

 他者を恨んだところで、それが変わることはないのである。

 ただ、羨ましいことは間違いなかった。


***


 仕事に対する不満を兄が私にぶつけたことで、私の口から六本目の歯が旅立った。

 顔面を殴られたことで顔を出した鼻血が滴った床の上に、腹部を殴られたことによって出現した嘔吐物が重なっていく。

 私の髪の毛を掴むと、兄は何度も嘔吐物に顔面を叩きつけていった。

 途中で意識が途絶えていたが、目覚めたときには、母親が私の顔面を拭いていた。

 母親は私を案ずるような言葉を吐くが、片方の手は私の股間を弄っている。

 やがてそれが反応を示すと、嬉々として快楽に溺れていった。

 一体、この時間は何時終わりを迎えるのだろうか。

 そんなことを考えていると、不意に母親の動きが停止した。

 何事かと目を向けると、その後頭部には鉈のようなものがめり込んでいた。

 驚きのあまり動くことが出来ない私に向かって笑みを浮かべたのは、雨合羽を着用している彼女だった。

 突然の出現と行動に言葉を失っている私を余所に、彼女は私の母親の後頭部から鉈を抜き取ると、

「次は、あなたの兄ですね」

 そう告げると、室内から姿を消した。

 階上から物音が聞こえてきたが、やがて聞こえなくなると、彼女が再び姿を現した。

 赤々とした鉈を手に口元を緩めている彼女に、私はようやく言葉を発することができた。

「何故、このような真似を」

 彼女は私の隣に腰を下ろすと、変わらぬ笑みのまま、

「あなたを助けようと思ったからです。そのように言えば、納得することができますか」

 彼女は友人だが、その友人を救うためとはいえ、人間を殺めることができるのだろうか。

 私が彼女の立場だったのならば、そのように行動することはできないだろう。

 返答が無いことを否定と捉えたのか、彼女は首を横に振った。

「実を言えば、それは建前です。家族に傷つけられているあなたを救いたいという気持ちに間違いはありませんが、その手段に対する興味の方が強かったのです」

 彼女は手にしていた鉈を床に叩きつけてから、

「あなたの家族に比べると、私の家族は何の変哲もありません。普通に笑い、普通に喧嘩し、普通に仲直りをするような家族です。あなたはそのような家庭を望んでいたことでしょうが、私にとっては、つまらないの一言です」

 彼女は床に刺さった鉈の柄を人差し指で突きながら、

「私は、刺激を望んでいました。もしも暴力などが当然のような家庭に誕生していれば、私が退屈することもなかったでしょう。ゆえに、私にとって、あなたの家庭が羨ましくて仕方がありませんでした」

 それは、贅沢な悩みである。

 実際にこのような家庭に誕生していれば、そのような願望を抱く余裕は無かっただろう。

 私がそう告げると、彼女は首肯を返した。

「確かに、退屈極まりない家庭に誕生したからこそ抱いた願望なのでしょう。ですが、私が危険な願望を抱くことが無かったのならば、あなたが救われることもなかったということになりませんか」

 その言葉に、間違いは無い。

 彼女が行動していなければ、地獄のような時間に何時まで耐える必要があるのかが分からなかった。

 彼女の悩みを贅沢だと非難するよりも先に、言うべきことがあるのではないか。

 私が素直に感謝の言葉を伝えると、彼女は床から鉈を抜き、立ち上がった。

「感謝の言葉など、必要ありません」

 そして、笑顔で鉈を振りかざしながら、

「あなたが私を売るとは考えていませんが、目撃者は始末しなければなりませんから」

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別の家庭だったならば 三鹿ショート @mijikashort

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