8

 次に河合が目を覚ましたのは見覚えのある小さな車の助手席だった。

「ん、んぁ、あぁぁ」

「お、ようやくお目覚めかい河合君。おはよう」

「あ、先輩、おはようございます」

「どうだい河合君、体の調子は」

 河合は自身の体を両手で触るようにして確かめる。何本も骨が折れていたはずの体は、今は傷一つなくなっていた。

「もう大丈夫みたいです。……って言うかそうだ! 申の封印、どうなりました!?」

 ようやく目が覚めたのか、河合は周囲をきょろきょろと見回す。目に入るのは高速道路を走る車ばかりだ。

「封印は終わったよ。ある程度の事後処理も。君たちのおかげでね」

「終わったんですね。ならよかった」

 椎名は運転しながら河合が眠っている間に起きた事のあらましを話した。

 あの後悠は一時間の捜索の末山の中に倒れている俊輔を発見、保護した。彼や雪を含む封印関係者の身柄は翌朝到着した『封人会』事後処理班に引き渡され、現在はそれぞれから話を聞いている最中らしい。妹島家当主殺害の件も含めて、『封人会』と警察との間で何やら色々とあるそうだ。

「まあでもそれは、私たちには関係のない話さ。私たちの仕事は封印まで。後のことは上の奴らに任せておけばいい」

「そうは言いますけどやっぱり色々問題は残ってるんですよね」

「そうだね。これからの封印を妹島家に任せていいのかとか、十何年申の封印が不完全とはいえ解けていることに気付かなかったこととかね」

 二人きりの車内に静寂が訪れた。

「まあでも、収穫もあったよ」

「収穫、ですか」

「うん、何らかの要因で封印が弱まればそこから漏れだした怪異を再封印出来るってことだ」

 今回の一件はまさしくその一例だったと言えよう。信仰心の不足によって封印が緩み、そこから漏れだした怪異によって引き起こされた。そして原因である怪異を再封印することによって解決となった。過去にもそういった事例は存在したが、記録で読むのと実際に巻き込まれるのでは情報の深さに大きな差がある。

「つまり君たち兄妹の封印も何らかの方法で緩ませられれば、別の場所に再封印が可能と言うことだ」

 河合はその言葉に大きく目を見開いた。

「まあ問題は緩ませる方法なんだけど。それが可能であるとわかっただけでも収穫と言えるんじゃないかな」

「そう、ですね。確かに一歩前に進めた気がします」

 河合が椎名の封印記録に同行するのには、当然ながら理由が存在する。本来怪異を内に封印した人間などというイレギュラーは、万が一の事態に備えて厳重に監禁されるべきなのだ。しかし椎名家はそれに反対した。河合悠の内に封印された巳を何らかの方法で再封印し、彼ら兄妹を普通の人間へと戻すために。

 故に河合は特例措置によって椎名家の封印記録への同行を許可されている。自身の封印を解く方法を知るために。自身と妹が、普通の兄妹に戻るために。

「そういう意味では今回の一件は大変ではあったものの、君たち兄妹にとっては必要なことだったのかもしれないね」

「確かに、そうだったのかもしれないですね」

 再び二人きりの車内に静寂が訪れた。しかしそれは先程のように重苦しいものではなく、むしろ清々しささえ感じる余韻のようだった。

「でもちょっと残念なことしましたね」

 河合は窓の外を見ながら呟いた。

「ん? 何がだい?」

「折角兵庫に行ったのに何も特別なことしてないじゃないですか。それこそほら、美味しいもの食べたりとか」

 河合は冗談めかして笑いながらそう言った。

「いや、私は食べたよ? 明石焼とか神戸牛とか」

「え?」

 河合の表情が笑顔のまま固まった。

「悠ちゃんがお腹空いたってうるさくてね。兵庫を出る前に色々食べて回ったんだ」

「え、それマジですか」

「マジもマジ、大マジだよ。鞄の中に領収書も入ってるよ。いやあ悠ちゃんもよく食べるからさ。ほんとこういうときは『封人会』様様だよね」

 河合はわかりやすく肩を落とし大きな溜息を吐いた。椎名はそんな河合を見て愉快そうに笑う。

「悠、美味しそうに食べてました?」

「ああ、凄い幸せそうに食べていたよ」

「まあ悠が幸せだったならいいか……」

「ははは、つくづくいいお兄さんだね君は」

 河合はもう一度大きく溜息を吐いた。

「いや、正直そんなに落ち込むとは思わなかったよ。あれだったら今度は仕事じゃなくプライベートで行くかい?」

 椎名は先程の河合のように冗談めかしてそう言った。その言葉を聞いた河合は目を見開いて運転席に座る椎名の方を見た。

「いいですねそれ! また行きましょうよ兵庫!」

「え、ほんとに?」

「え、嫌ですか?」

 二人の間に微妙な空気が流れた。

「いやいや、全然いいよ! よし、また行こう!」

「いやでも今えって言いましたよね?」

「いやそれは、冗談のつもりだったから乗ってくると思わなくてね」

「えー! 冗談だったんですか?」

「いや行く行く! 行くって一緒に! 約束するよ! だからそんなに悲しそうな顔をするんじゃない!」

 二人を乗せた車は東京へ向かい走る。その車内には楽し気な二人の笑い声が響いていた。

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長月の申 ~怪異封印記録の玖~ 鶻丸の煮付け @kimura010924

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