7
「皆さんはここで待機を」
椎名は妹島以外の封印の儀式を担当する四人の男たちに指示を出すと、ポケットから取り出した煙草に火を点けた。椎名の背後に立つ男たちは皆一様に生気を失った目をしており、電源の切れたロボットのようにただ立ち尽くしていた。
「あの、椎名さん。双眼鏡取ってきました」
「おお、ありがとう雪ちゃん。どうかな? だいぶ落ち着いたかい?」
「えっと、正直まだ……」
「まあそうだよね。とりあえず今は私の近くに居れば安全だと思ってくれ」
椎名に双眼鏡を手渡したのは巫女の少女、雪だった。
「あの、
「圭君って君と一緒に居た彼かい? 彼なら今もあの部屋でうずくまっていると思うよ」
妹島家で椎名は雪から様々な話を聞いていた。巫女について、誤った封印の儀式について、そして俊輔について。
そこから椎名が辿り着いた結論は申の封印は既に解かれている、というものだった。とは言ってもその封印が完全に解かれているわけではない。しかし今回の場合は、不完全だからこそ厄介だった。
雪の話によれば巫女の伝統は十年以上前から存在していたらしい。恐らくその頃から申の封印は完全ではなかったのだろう。しかし封印から抜け出した申はその力の大部分がまだ封印されたままだった。だからこそ考えた。封印を弱め自身が解放される方法を。申は十二支の中で最も人間に近い怪異とされている。考える力もそれを象徴するものの一つだろう。
申の至った結論は来るそのときを待つことだった。十二年の周期その十二回目、そのときを目指し封印を徐々に弱めていくことにしたのだ。その為に申は最も厄介な人間に憑りつくことにした。それこそが自身の封印を担う妹島家、その当主だった。そして申の策はそれだけではなかった。申は十数年と言う年月を見越して次に憑りつく相手の育成に着手した。それこそが次期妹島家当主、妹島俊輔だった。
日本各地に存在する猿神憑きの伝承にはある共通点があった。それは猿が人間の女性を生贄として求めるという点だ。申はそれを利用した。封印のための巫女と言う存在しない文化を作り出し、またそれを今日に至るまで『封人会』相手に隠し通して見せたのだ。
そして巫女文化は俊輔の感情を揺さぶる大きな材料になった。申の目的は妹島に俊輔の敵意を向けさせることだった。強力な敵意を抱く者はいずれ力を求めるようになる。それを知っていたからこそ申は俊輔の敵意を大きく大きく育て上げた。結果として俊輔は力を求め、申は妹島家を完全にその手中に収めることとなった。
「全く、恐ろしい怪異だね」
椎名は双眼鏡を覗きながら呟いた。すると神社の辺りから何かが飛び出すのが見えた。
「あの辺りか。さて、河合君。ここからは君たちの仕事だ」
暗い山の中で人影を探し出すのは至難の業だ。しかしそれが大きな土煙を上げているとなれば話は別だ。
申の計画は完璧だった。ここに至るまで一つのミスも存在しないその計画は、まさしく完璧と言うほかない。
「イレギュラーが無ければね」
椎名も河合の肉体のことは理解していた。河合の肉体は怪異にとってはこれ以上ない器だ。だからこそ、それを目にした申には必ず欲が生じる。完璧な器を手に入れたいという欲が。それこそまさに、人間のように。
「さあ申、喰いついてこい」
椎名はポケットから小さなスイッチを取り出した。親指をゆっくりとスイッチに添え、押下のタイミングを今か今かと待つ。
そしてそのときは訪れた。
「え、何、あれ……」
その姿は双眼鏡を持たぬ雪にもはっきりと見えた。
半透明の巨大な猿。かつて人が与えたその姿が、河合に向かいその手を伸ばす。
「来た!」
椎名はその手に持ったスイッチを、強く押し込んだ。
刺激があった。光も音も無い河合の世界に、僅かに走る刺激があった。それが腕輪から流れた電流だと理解するよりも先に、河合の体は動きだしていた。
倒れているのは都合がよかった。地面のどこを触ってもそこには必ず自身の影があるから。
「後は任せた。
刹那、河合の肉体は影に飲み込まれるように消えた。故に申の手は河合に触れることなく、その影にのみ触れる。それだけではない。申は触れられざるはずのその手が、押し返されるのを感じた。
「承りました、
申の手を押し返しているのは小さな少女だった。美しい着物をまとった小柄な少女、それは河合と入れ替わるようにその影から姿を現した。
「
少女が一言そう発すると、申はその手に強い衝撃を覚えた。しかしその衝撃は一瞬で消えさる。理由は単純、衝撃を受けたその手が既に無くなっているからだった。怪異にとっては体の一部を失うというのは大した問題ではない。それは実際にその部位を失ったというわけではなく、力の一部が削がれたというだけだからだ。すると新たに疑問が発生する。何が自身の腕を奪ったのか。そしてその正体を、申はすぐに理解することになる。
「貴様、怪異カ」
申の振り返った先に居たのは、巨大な半透明の白蛇だった。
多くの怪異は人にその姿を名前を与えられ、祭られることで封印される。そして祭るという行為は、神社等を介して怪異を土地に縛り付けるという役割も担っていた。
しかし怪異の中には例外が存在する。『干支』の怪異の中に存在する例外は二つ。 その一つこそが巳だった。
「巳、こっち」
三年前に起きた事案以降、怪異:『巳』は河合悠という人間の内に封印されていた。
本来怪異を人間の内に封印することなど不可能だ。人間は内なる怪異の存在に耐え切れず、その精神もしくは肉体、或いはその双方が崩壊してしまう。
ではもしも、もしもそれが可能となる人間が居るとすればそれはどういった人間なのだろうか。その研究と実験の末、河合悠と言う双子は生まれた。一人で耐え切れないのなら、二人に封印してしまえばいい。それが研究の果てに至った結論だった。実験の対象とされた怪異は巳。二匹一対で二元を表す蛇の名と姿を与えられた怪異は、その対象として最適だった。
結果から言えば、実験は成功した。二人の河合悠それぞれの内側に巳を封印し、それをもう一人の内側に更に封印したのだ。するとどうなるだろう。
「椎名さん! あれ、どうなってるんですか!?」
「あれ、雪ちゃんはついてこなくても大丈夫だよ」
「椎名さんが傍に居れば安全って言ったんじゃないですか!」
「あ、そっか」
「あ、そっか!? 今あ、そっかて言いました!? あの、本当に安全なんですよね!?」
椎名は巳の出現を確認した後、四人の男を引き連れ神社へと向かっていた。申の封印が完璧でないことを確認した以上、再封印が必要となる。しかし申の封印には五人の申を祭る意思のある人間が必要だ。椎名は走りながら雪の方を振り返る。
「雪ちゃん。君、あの申の封印に協力してもらえるかな?」
「封印って、それをすればあの化物は消えるんですか?」
「完全に消えはしないよ。けど、少なくとも今は安全になる」
「なら、私に出来ることは協力します!」
「ようし、よくぞ言ってくれた!」
神社に辿り着いた椎名は雪の肩を掴みその目を見つめる。
「雪ちゃん、私の目をしっかり見ていてくれ」
「え、はい」
すると次第に雪の目から生気が失われていく。数秒の後、雪は四人の男たちと同じように物言わぬ人形のようになってしまった。
「よし、後は悠ちゃんを待つだけかな」
着物の少女、河合悠は素足で夜の山を駆ける。その頭上では今にも巳が申の喉元に喰らいつこうとしていた。
「見ルベカラズ」
申の声が響く。しかし巳にも悠にも変化は見られない。
「同族ニハ効カヌノカ……!?」
本来遭遇することなど無い自身以外の怪異。申はその存在に恐怖していた。しかし申自身にも何故恐怖しているのか、その理由がわからない。何故目の前の怪異に襲いかかれないのか、何故逃げるという思考が存在しているのか。その知能をもってしても、その理由に辿り着けない。
それもそのはず、申が恐怖している理由は相手が怪異だからではない。申に与えられた名前が申で、巳に与えられた名前が巳だからだ。動物の猿は本能的に蛇を怖がるという。大事なのはその真偽ではなく、そういった認識が人間の中で持たれているということ。故に申の名を与えられた怪異は巳の与えられた怪異に対して本能的に恐怖を抱いてしまう。
そしてその天敵の存在こそが、申の計画その全てを粉々に打ち砕く。
「あった、神社。巳、こっち」
申の喉元に喰らいついた巳は悠に追従するように、申を引き摺りながら神社を目指す。申はその首を喉から引き剝がそうと抵抗するものの、がっちりと喰らいついた巳の頭はびくともしない。次第に申の四肢から力が抜けていく。
二つの怪異、その勝敗は既に決していた。
「あ、居た」
「おーい悠ちゃーん! こっちこっち!」
神社では既に祭りの準備を終えた椎名が待ち構えていた。境内には白い道着を身に纏った四人の男と、同じように白い道着を着た雪の姿があった。
「本殿のところに押さえつけてくれ! あとは私がやる」
「巳、押さえて」
巳は悠の命令に呼応するように申を小さな本殿に叩き付け、その体に巻き付く。そしてその体が動くことのないよう強く強く締め上げた。
それを確認した椎名はその目を大きく見開いた。
「これより封印の儀を執り行う」
その声に反応したのは雪を含む白い道着の五人だった。五人は虚ろな目のまま申を祭るための神楽を舞い始める。
「それにしても、何度見ても規格外だね。君たち兄妹は」
椎名は五人から目を離さぬまま隣の悠に言った。
「おや、その力を使った状態でも喋れるようになったのですか?」
「うん。まあ結構練習したからねー」
河合悠が特異な人間であるように、椎名の一族にもまた特異な力があった。それは眼を介した人心の掌握。今神楽を舞っている五人も、椎名がその力によって動かしているのだった。
「私から見れば、貴方の力の方こそ不可思議に思えますけどね」
「ははは、お褒めに預かり大変光栄です。でもこれ、怪異には効かないしめちゃくちゃ疲れるし、そんな便利なものでもないんだよねーほんとに」
その力は元々、封印とは無関係の人間を逃がすことや、今回のように封印を行う人員に欠員が出たときを想定して作り出されている。その為怪異そのものに対しては一切の効力が無く、また肉体が強化される等の恩恵もない。だからこそ椎名家にとって河合悠の存在は、足りないものを補うピースのような存在なのだ。
神楽が終わる頃には、申の姿は完全に消えていた。
「よし、封印完了かな」
「巳、戻って」
悠が手を伸ばし声をかける。すると巳は悠の手に吸い込まれるように消えていった。悠の手を這うように黒い線が袖の奥へと消えていく。
「まあ年中長袖しか着れないのも不便か」
「私は良いのですけれど、兄様が可哀想です」
そんな話をしながら、椎名はスマートフォンを取り出した。
「もしもし。椎名円です。事後処理班の手配を申の地までお願いします。はい、それでは」
電話を終えた椎名は大きく伸びをした。
「ん~~~終わったぁ! 明日は楽しい楽しい事後処理だぞぅ」
わざとらしく無理矢理テンションを上げる椎名。
「……私に手伝えることがあれば手をお貸ししましょうか? 兄様が目覚めるまでは、少し時間がかかりそうですし」
悠はそんな椎名を憐れむようにそう言った。
「お? 悠ちゃんが珍しく私に優しい」
「手伝いが不要なのでしたら、はっきりとそう仰ってください」
「あー嘘嘘! 手伝って悠ちゃん! ねえ待って、無視しないで! ねえ!」
こうして様々な問題が浮き彫りになったものの、怪異:『申』の封印自体は無事完了した。
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