寝静まった町の夢

高黄森哉

ビルとビルの会話


 町は静かだった。交差点に車は一台も見当たらなかった。交差点の信号はすべて黒で、それは電光掲示板もどうようだった。


「はあ、ここもすっかり静かになってしまったな」


 ビルは言った。それは、ここら辺では最も高いマンションだった。だから、のっぽ、というのがそれの名前であった。


「せいせいしましたよ」


 向かいのビルは、人間の喧騒が好きではなかった。だから、ここが静かになってせいせいした、と言いたかったのだが、その気持ちを形にすると、なんだか、心の形にぴったり填まらないのである。


「そうかい。まあ、彼らは本当に騒ぐのが好きだったからなあ。夜になっても、寝ずに騒いで、よくもまあ疲れないもんだ」


 一番のっぽのビルは懐かしんだ。向かいのビルは、身体を動かさずに頷いた。そして、笛のような心が、二人のやり取りに割り込んでくる。


「私なんか、私の中で、沢山仕事をしていて、気が休まりませんでした」


 鏡の表面を持つ、奥のビルは、早口だった。


「君のところは、ブラック企業だったからね」

「のっぽさんのところはホワイトでうらやましいです」

「とんでもない。周りが明るいもんだから、こちらも眠れなかったよ」

「そうですか。じゃあ、ようやく、ゆっくり眠れますね」


 この町も、眠るときが来たのかもしれない。起きているのは三つだけで、他は、物に徹している。


「眠る前に、まだ話がしたい」


 のっぽは、まだすこし目が冴えていた。


「どこかに、人間が残っていたりしませんかね。また、沢山繁栄して、この町を不眠症にしませんかね」


 向かいのビルは溜息をつく。確かに、彼らのどんちゃん騒ぎは、迷惑だったかもしれない。だが、聞こえないとなると寂しい。


「わからない。わかることは、世界中の都市から人間が消えたことだけだ。最後に人間が目撃されたのは、2023年の10月10日だ。それ以降は、人間の生存を示す科学的資料はない」

「どうして、忽然と消えたんでしょう。彼らは、そんなに軟弱じゃなかったはずなのに。でも地球以外は居場所はなくて。不思議です」

「いいや、奴らは軟弱だったね」


 向かいは、早口にかぶせるように反論した。


「軟弱じゃありません。あんなに面の皮の厚い生き物が軟弱なものですか」

「ああそうさ。それなのに神経質でもあった。その二面性が悪い反射を引き起こした。傲慢だった。それだけならば、とても良かった。とても良い性格と言えた。でも、彼らは彼らの持つ傲慢さが許せなかった。それが、軟弱だった」


 向かいのビルは、人間の傲慢は、見ていて壮快だと思っていた。彼が不快な喧騒の大半は、例えば、おでんの屋台で人々が語る、なよなよとした人生観や、例えば、労働者が現場で、ぼそぼそとつぶやく不平不満、例えば、女性社員どもが共有する、噂話だった。どうして、もっと大胆になれないのかが、ずっと不満で、嫌で嫌で仕方がなかった。それを大声で言ったら、ずっといいのに。

 ああ、そういった社会的黙秘が、重大な不和を呼んだに違いない。そこに、彼らの神経質が、勘繰りを繰り返させた。小さな不和はやがて、大きな軋轢になり、、、。


「あっ」


 早口のビルの体から、窓ガラスがいくつか外れて落下した。真昼の太陽の陽を受けて、きらきらと、火の粉のように、地面へ墜落していった。


「私、そろそろかもしれません」

「仕方がない。人間のメンテナンスがなければ、創造物は崩壊していく運命だ。それなのに彼らは、自分たちは物を破壊していくばかりだと主張して、よく憂鬱になったものだよ。君たちはこんなにも沢山、作ったじゃないか」

「そう、それが彼らの弱さだったんだ」


 向かいは力強くそういった。


「さて、そろそろ私は、彼らが帰ってくるまで寝るとする。君たちはまだ起きてるか。なら、気にしなくてもいい。私は喧騒の中で眠ることは慣れている」

「私も寝ます。彼らが帰ってこないうちに」

「本当に帰ってきますかね」

「わからない」


 のっぽはそう言ったきり、何も言わなくなった。ものに戻ったらしい。起きている建物は、二本だけになった。


「せいせいする。ああ、せいせいだ。こんなに静かな町だなんて。せいせいするよ」

「しっ。のっぽさんが起きますよ」

「君も思うだろう。こんな沈黙、何百年ぶりだい。いや、生まれて初めてだ。きっといい夢を見るよ。実は、夢を見たことがないんだ。ずっと彼らに邪魔をされてきたからね。だから楽しみなんだ。こんないい環境で、どんな安らかな夢だろう。もしかしたら夢でもこの静かな町を見るかもしれない」


 向かいは、その夜、夢を見た。それは、人間が町に帰ってきて、彼らの営みを再開する夢だった。その夢の中で、人間中心主義という言葉を忘れて、彼らは万物に愛されているのだという確信を持っていた。ビルですら、彼らを祝福しているように思えた。そんな、とても美しい淡い夢は、壊れやすく、触ろうとすると、破片になってしまった。

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寝静まった町の夢 高黄森哉 @kamikawa2001

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