孤児院 -外出と買い物-

「おはようございます、おじさん」

「おじさんじゃねえって言ってるだろ。俺にはロックって名前があんだよ」


 くすんだ赤毛。ごろつき一歩手前の目つきだけど顔立ちはそんなに悪くない。

 歳は三十歳くらい? 本人に尋ねたところ二十九歳とのこと。

 見た目のわりに面倒見はいいみたいで私がラフに話してもこんな風に許してくれる。

 

「じゃあ、ロックさん。孤児院長様からお話を聞いていませんか?」

「嬢ちゃん、ほんと頭がいいな。昔のお嬢様を見てるみたいだぜ」

「……ね、ねえノア。大丈夫なの?」


 一緒に入り口まで出迎えに来てくれたお姉ちゃんはすっかり腰が引けている。

 私は笑って「この人は大丈夫だと思うよ」と答えた。オヴァさんならびくびくした態度を出した時点で怒鳴りつけてきてそうだし。

 ロックさんは「少しはにおいもマシになったな」とこぼしてから、ちゃり、と音を立てて一本の鍵を差し出してきた。


「孤児院の入り口用だ。一昨日渡すのを忘れてた」

「ありがとうございます。これで戸締りができます」


 オヴァさんが来る気配はないけど物盗りとかもあるかもだし。


「あ、中で話しませんか? お茶は出せませんけどお酒なら」

「勘弁してくれ。ここはにおいがきつすぎる」


 ほんと、早くそこのところをどうにかしたい。


「お嬢様からの伝言だ。次の活動資金の支給は十日後、それまでは今ある金でなんとかしろってよ」

「十日ですか。よかった、一ヶ月って言われたらどうしようかと。ね、お姉ちゃん?」

「そうね。十日ならギリギリなんとかなるかも」

「一か月後って言い出したらさすがにそれは俺もお嬢様に物申したかもな」


 とりあえず十日間凌げれば新しいお金が入ってくる。

 となると優先するべきは食材か。


「市場に行って足りないものを買って来ないとね」

「おい、ちょっと待て。外を歩くならもう少し服をなんとかしろよ?」


 私たちが着ているのはつぎはぎだらけの袖なしワンピース、というか頭と手足が出るように穴を開けて二枚張り合わせただけの布みたいな服だ。

 洗濯もしてないからひどい状態。

 男女相部屋な時点で恥じらいなんて持てなかったけど、人目があるなら話は別だ。


「私はお仕事用に出かける時用の服があるけど……」

「服は買うか作るかしないと駄目かな」

「なら知り合いの古着屋に連れていってやるよ。嬢ちゃんと……アンだったか? 二人くらいなら面倒看てやる」


 貴重なお金だけど買い物にも必要なら仕方ない。


「でも外に出すなら私より年長の男の子のほうがいいかな?」

「駄目だ。大人しくするかわからない奴を外に出す気はねえよ」


 特に明言はされてないけど、ロックさんには顔を出すのは監視の役目もあるはずだ。

 私たちに逃げだす気はないし逃げる場所もないとはいえ孤児院長側で確信できる要素はない。

 防犯の意味でも「定期的に大人が出入りしている」という情報は役に立つから一石二鳥だ。他にも遠巻きに監視している人員はいるかもしれない。

 私とお姉ちゃんなら逃げられても捕まえられるってことか。

 どうせなら自分でいろいろ見たいのも確かなので私はこれを了承。お姉ちゃんには着替えてもらって自分は布にでもくるまることにした。


「あ、でも靴がないです」

「しょうがねえなあ。なら抱いていってやるよ」


 古着屋に行くならと私はオヴァさんの服をついでに持っていくことにした。

 私たちの服よりはよほど上等だけどサイズが合わないし趣味も良くない。売ってお金に替えてしまうのがちょうどいい。

 孤児院のみんなには「誰か来ても絶対に外に出ちゃ駄目」とお姉ちゃんから伝えてもらう。

 案の定、ドニをはじめとした何人かが「一緒に行く!」と言ったけど、ロックさんに睨まれるとみんな黙った。

 念のため孤児院の入り口にはしっかり鍵をかけて、


「じゃ、行くぞ」


 ロックさんに抱き上げられた私とお姉ちゃんは孤児院の外へと繰り出した。


「私、外に出るの初めてです。正確に言うと二回目ですけど」

「あ? そりゃお前、一回目は捨てられた時の話だろ?」


 要するに実質初めてと変わらない。

 孤児院の外は──ある意味想像通り、寂れた貧民街という様相だった。服の切れ端や大きな石なんかが片付けられずに転がっていたり、家の汚れが綺麗にされずに残っていたり。私たちよりはマシ程度の服を着た男がその辺に座りこんでいたりする。

 ロックさんいわく孤児院は平民街の中でも特に治安の悪いあたりにあるらしい。


「孤児院に悪さしたらお嬢様が黙ってない──ってのは知られてるはずだがな。外に一歩でも出たら殺される危険はあると思えよ」

「兵士はそういうの取り締まらないんですか?」

「取り締まってもきりがないだろ。たまに見回りくらいはしてるが、見てない時に起こった事件はどうしようもない」


 お姉ちゃんはどうやってお仕事に行ってるのかというと店から迎えが来るらしい。

 お出かけ用の服もなんというか、年頃の娘が着るには露出が多いのでどういう肩書きの子か一目でわかる。娼館と関わりのある娘に手を出すと用心棒に痛めつけられないのでみんな控えるというわけだ。

 便利といえば便利だけど、お姉ちゃんに買い出しをお願いするのもちょっと怖い。


「ロックさん。食材の買い出し担当になってくれたり──しませんよね?」

「お前が『自分たちでやる』って言ったんだろ。他をあたれ。……まあ、顔を出す時にちょっと寄るくらいなら構わないけどな」


 なんだかんだ言いつつ譲歩してくれるあたりが優しい。

 とはいえ二日に一回、一人が持てるだけの量じゃ二十人以上のお腹は満たせない。ちゃんとした買い出し部隊は必要だ。

 逃げるかも、とか殺人があるかもとか言われてしまうと男の子にも頼めないし。

 となると、頼れる大人を増やすしかないか。


「孤児院の卒業生と連絡が取れないかな。買い出しの手伝いくらいなら引き受けてくれるかも」

「でも、みんなどこに行ったかがわからないよ?」

「うちに控えがあるぜ。次までに何人か見繕ってやるよ」

「さすがロックさん。頼りになります」


 話している間に少しずつ街の風景が変わって多少マシな感じになってくる。

 人の数も多くなるけど、それにつれてこっちに向けられる視線も増えた。


「黒い髪」

「カラスみたいだ」

「不吉な髪だ」


 ひそひそと囁くような声。


「ノア、大丈夫?」

「うん。大丈夫だよお姉ちゃん」


 私は微笑んで陰口を受け流した。

 胸をちくちくと刺す痛みは無視する。文句を言ったところで人の気持ちは変わらない。

 ロックさんは黙って歩いていたけどしばらくしてからぽつりと、


「オヴァの服を売ればお前の服と靴、帽子くらいにはなるだろ」


 前世でも愛用していた帽子、ここでも必要になりそうだ。


「ようロック。なんだそのガキどもは。まさか愛人と隠し子か?」

「んなわけねえだろ。こいつらはお嬢様の所有物だよ。どういうわけか孤児院の管理者代行をさせられることになってな」

「ほう。あのババア、とうとう追い出されたか」


 子供だけだとちょっと入りづらそうな雰囲気の建物内にずらりと並ぶ古着。

 店主は四十代くらいのおじさんでロックさんとは顔見知りの雰囲気だった。


「追い出したのはこの嬢ちゃんだけどな」

「おいおい本当かよ。いくらなんでも子供に追い出されるか?」

「それが本当なんだよな。お嬢様のお気に入りだからよろしく頼むぜ」

「へっ。足元見たら後が怖いってわけか」


 店主の言い値を値切る文化は日本でも昭和くらいまでは残っていたはず。

 コネがあったり店主をいい気分にさせられれば安くものが買えるし、逆に足元を見られれば高く売りつけられる──なんていうのが昔は当たり前だった。

 コミュニケーションを大事にするって考えれば定価システムとどっちがいいかは難しいところだけど。


「で、だ。この服ぜんぶ売ったらいくらになる?」

「ああ? ……なるほど、あのババアの服か。ふん、まあ生地は悪くないな」


 ロックさんのおかげか服の売値は思ったよりも少し高かった。


「これならお姉ちゃんの服も買えるんじゃない?」

「え? でも私はこの服があるし」

「もう一着くらいあったほうがいいよ。ね、ロックさん?」

「ああ、そうだな。その服じゃ娼婦にしか見えねえ」


 というわけで私は安物のワンピースと頭巾みたいな帽子、それから靴を購入。

 お姉ちゃんもシンプルなワンピースを買ってその場で着替えた。

 ……本当はズボンのほうが良かったんだけどお姉ちゃん、ロックさん、店主さんから揃って却下されてしまった。女の子はスカートを穿くのが当たり前らしい。

 男だと思われたら殴られる時に遠慮がなくなる、とも言われてしまうと無理にとは言えなかった。


 それからその日と翌日、私たちは残った食材でギリギリご飯を食べた。

 お姉ちゃんがお仕事に行く日と重なったので帰りにちょっとしたお菓子を買って来てくれて、おかげでなんとか体力がもった感じだ。

 ちなみに日払いのお給料は今までオヴァさんに渡していたのをロックさんに渡すように。

 その次に来た彼から請求された金額は今までお姉ちゃんがオヴァさんに払っていた額よりも一割くらい少なかった。

 差額とお客さんからのチップ分はお姉ちゃんの手元に残る。


「じゃあ、これも孤児院に入れるね」

「いいの、お姉ちゃん? それはお姉ちゃんのお金だよ?」

「みんなのご飯がこれで買えるならそんなのぜんぜん気にならないよ」


 ありがとう、と心からお礼を言うと、お姉ちゃんは微笑んで私の頭を撫でてくれた。



   ◇    ◇    ◇



「なんか見たことねえ食い物があるぞ。なんだこれ」


 約束通りロックさんが行きがけに買って来てくれた食材。

 成人男性が一抱えする程度の量だけど「とにかく安いの。あといろんな種類を」とお願いしたのでなかなかに雑多なラインナップ。

 ドニが微妙に嫌そうな顔をする中、一緒に覗き込んだ私はむしろ歓声を上げた。


「これ、お米だ!」

「おいノア。美味いのかこれ」

「美味しいっていうか主食だよ。これがないと始まらないやつ」


 タイ米とかそっち系の長い種類。原種っぽい感じな上に玄米だけどお米はお米。

 聞いたところ別の国で作られている作物らしい。買ったはいいけどろくに売れなくて困っていたのを安く買ってきてくれたらしい。

 買ってきたロックさん当人も「こんなもの食うのか?」と不思議顔だったけど、ナイスとしか言いようがない。


 ただ、さすがにじゃがいもはないか。


 確か中世ヨーロッパにはなかったはずだし、作られていないのかもしれない。詳しくは市場に行ったり商人に話を聞いてみたい。

 炭水化物はエネルギーになるから重要。あとたんぱく質。豆もあったからこれも入れれば腹持ちがよくなる。

 お米は使える水の量的にも道具的にもしっかり炊いてはいられないからスープに生のまま入れて一緒に煮てしまえばいい。


 ただ、一人が一抱えしただけの量じゃぜんぜん足りない。

 相談の結果、この日はオヴァさんの私物からさらに見繕った売り物──銀が少しだけ使われた銅製のアクセサリーと嚙み煙草の残りを売って、それから孤児院の卒業生に会いにいくことになった。

 上手くいけば買い出し班を編成できるようになる。

 私は期待に胸を膨らませながら新しい服に袖を通す。


 ──この時の私はこれから訪れる困難をまだ予想していなかった。


 卒業生との交渉は思った以上に難航したのだ。

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ぼろぼろカラスはやがて羽ばたく 緑茶わいん @gteawine

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