孤児院 -初めの一歩-
突然追い出されたせいで部屋にはオヴァさんの私物がたくさんある。
私たち用のスペースもだけどここの整理も重要だ。
お金があるかもしれないと告げるとドニが一気に張り切りだした。彼はてきぱきと動いてあっという間に財布──というか硬貨入れの小袋を発見してくれる。
「あったぜ。これだろ?」
「すごい、ドニ」
「へへ、これくらい楽勝だって」
騎士になれなくても盗賊にはなれるかも、って言ったら怒るだろうか。
揃って覗き込むと中に大したお金は入ってなかった。
銀のコインが二種類、計十二枚と銅のコインが三十五枚。
「大きい銀貨と小さい銀貨があるね」
「大きいのが銀貨、小さいのは準銀貨よ。準銀貨十枚で銀貨一枚ね」
「で、銅貨十枚が準銀貨一枚。そんなことも知らなかったのか?」
「だって、使う機会なかったもん」
銅貨一枚がだいたい十円くらいだろうか。
「銀貨五枚、準銀貨七枚、銅貨三十五枚だから605フォンね」
ちなみに準銅貨はない。一円玉がじゃらじゃらあっても使い勝手が悪いんだと思う。
紙幣もない。発展途上の文明では金や銀みたいな実際に価値のある物をお金にすることが多い。国が保証してくれないと紙幣なんてただの紙切れだからだ。
銀貨や銅貨なら他国に持って行っても重さで価値を判断しやすい。
「金があれば食い物が買えるな!」
現金なドニはあんまり寝てないだろうに元気に目をきらきらさせていた。
◆ ◆ ◆
本当、ノアは変な奴だ。
俺──ドニは五歳まで普通の家で暮らしてた。
大工だった親父が事故で死んで、商家で働いてたお袋も病気で死んじまった。俺を引き取った商人は「お前も病気かもしれないから」って言って俺をこの孤児院に入れた。
あの商人の娘があの孤児院長なんだろう。
都で普通に暮らしていた俺からするとこの孤児院は異常だ。
みんな元気がなくて諦めたようにただ生きている。
そんな中で特に変わってるのはノア。
黒い髪に黒い目。ろくに外に出ないから日焼けもしてない肌。それだけでも変なのに性格まで変わってる。陰気なわけじゃないけど必要がないと全然喋らないし、こっちの話なんて聞いてないと思ったらしっかり内容まで覚えていたりする。
妙に綺麗でまっすぐな目は会った時から二年経っても変わってない。
話がぜんぜん合わないからずっとよくわからないままだったこいつはある日、いきなり我慢できなくなったみたいに騒ぎ出して、かと思ったらあっという間にオヴァの奴を追い出してしまった。
俺はなんか拍子抜けだ。
「こんなに楽にどうにかなるならさっさとやっときゃよかったな」
やるだけやったら寝てしまって半日も起きなかったノア。
ようやく起きて腹を膨らませたそいつに言ってやると「どうかな」と首を振られた。
「孤児院長様は怖い人だよ。ちょっと間違えただけでこっちが切り捨てられてたかも」
「そうか? なんか優しそうに見えたけど」
「私たちのほうがオヴァさんより使えるって思われたからだよ。あの人は楽してお金を稼ぐことしか考えてないんだと思う」
「ふーん。まあ、そりゃ楽して稼げるならそのほうがいいよな?」
俺たちだって金がないから苦労してるんだ。
でも、オヴァのやつが横取りしてた俺たちのための金は自由に使えるようになった。
「明日になったらさっそく食い物買えるだけ買ってこようぜ」
とにかく腹いっぱい食いたい。
みんな同じだろうと思ったら、アン姉とノアは揃って微妙そうな顔をした。
「ううん。いきなり全部使わないほうがいいよ」
「私も。もう少し計画的に使った方がいいと思う」
それから二人は顔をつき合わせて相談を始めた。
「ノア。次にお金が手に入るのはいつなの?」
「孤児院長様の用心棒さんが二日に一回くらい様子を見に来るらしいから、その時に教えてくれると思う。少なくとも今日と明日くらいは今ある分で乗り切らないと」
「じゃあ、今ある食べ物をうまく使わないとね」
「足りなかったら買ってくるしかないけど、掃除しながら食べられるものを探そう。……お店って昼間ならいつでも空いてるものなのかな?」
「食べ物は普通市場で買うものだから、日によって買えるものは変わるわ」
六日に一度来る安息日は市場が閉まるし、市場は新鮮なものが集まる代わりに仕入れによって品揃えも値段も変わる。
安くていい物を買いたかったら荷馬車が到着する日を把握して朝一で通わないと駄目だ。
アン姉の説明をふんふんと聞くノアを見ていると「こいつ大丈夫か?」と思う。いやでも、その前に十一歳のアン姉と普通に相談できてるのがおかしい。
本当によくわからない。
「食い物ならアン姉と探したよな。ろくなもんなかったけど」
「ノアが食べられる分をとりあえず調達しただけだから、もう一回ちゃんと調べないとね」
それは大事だ。食べられる飯の量が変わってくる。
するとノアも張り切ったように拳をつくって、
「私も手伝うよ」
「お前、料理できるのか?」
赤ん坊の頃からここにいる奴ができるわけないよな、と思いながら聞くと「やったことはないけどやり方は知ってる」と言ってきた。どんな強がりだ。
「力もないし料理もできないのになんの役に立つんだよ。いいから朝まで寝てろ」
「それじゃ私何も役に立たないじゃない」
「お前はどう見ても頭使う方が得意だろ。体力使うのは俺たちに任せとけよ」
俺は七歳だし、男だからノアよりはずっと力がある。
アン姉とは四歳も違うから厳しいけど、女にばっかり働かせておくのは我慢できない。
するとアン姉はくすりと笑った。俺がここに来た時から優しくしてくれるこの人のことが俺は好きだ。……ノアにあんなこと言ったのは驚いたけど、アン姉も限界だったんだと思う。
ノアとは仲直りしたみたいだし、俺も気にしないことにする。
と、ノアが「むぅ」と変な声を出した。
「じゃあ、私は出てきた食材を確認するから。力仕事はお願いしていい?」
「おう」
食堂と繋がっている厨房の奥に倉庫がある。
食い物の類はそこに保管されてるんだけど、やっぱりあらためて調べてもそんなに大したものはなかった。
かちかちになった残り物のパン。ニンジン、タマネギ。
「お、これチーズか? オヴァの奴、こっそり食べてやがったな」
それからかちかちになった何かも見つけた。なんだこれ?
「ドニ、それお肉だよ。干し肉」
「マジで、これ肉なのか!?」
お袋が料理するところは見てたけど、そんなに真剣に見てたわけじゃないから気づかなかった。
肉なんてしばらく食ってない。月に一度くらいスープに少し入ってくるくらいだったからだ。
「お姉ちゃん、こっちの瓶ってもしかしてお酒?」
「うん、そうだと思う」
酒に干し肉にチーズって。オヴァが楽しむために俺たちのための金が使われてたのがよくわかる。ほんと、さっさと殺しとけばよかった。
「これだけあれば二、三日くらいはもつね」
パンや肉、チーズも火であぶって食べると美味い。問題は火を起こすのにも薪や油が必要ってことか。
「薪ってどうしてるんだろうな」
「買っていたはずよ。オヴァさんが自分で作るのは無理だろうから」
「薪もけっこう買うと高そうだよね……」
残り少ない金でやりくりするのはけっこう大変そうだ。
火を使う回数はなるべく少なくしたい。朝、スープをまとめて作って残りをとっておいて夜にまた食べるのがいいかもしれない。
「それか朝と遅めのお昼の二食にする? 動きだす前としっかり働いた後に食べて、後はゆっくりするの」
「お、それがいいかもな」
なんか楽しくなってきた。
こんな風にわいわい何かをやれるだけでこんなに楽しいのか。
ノアには本当に感謝しないといけない。
本人はわかってんのかな。最初にでかい仕事をしたんだから、別にしばらく寝てたって構わないんだって。
「アン姉。明日の朝飯用の仕込みしちゃおうぜ」
「そうね」
「あ、じゃあ手伝──」
「お前は座ってろ」
「ノアは危ないから近づかないようにね?」
「……はい」
本当はアン姉にも怪我させたくないんだけど、言ったらたぶん怒るから言わない。
「水ってどうしてるの?」
「近くに井戸があるの。そこから汲んでくるしかないわ」
「あれ力いるんだよなあ」
「あ、じゃあ」
またしても「私が手伝う」と言おうとしたノアは睨んで黙らせて、
「次からはなるべく分担してほうがいいな、これ」
「本当。二人だけじゃ大変」
「三人いるんだけどなあ……」
だから寝てろって言ったのに。
役に立つんだか立たないんだかよくわからない奴だ。でも、こいつならまた何かしてくれるんじゃないかっていう気もする。
俺は頑張ったノアのためにも、ぐっすり寝てるみんなのためにも張り切って準備にとりかかった。
◆ ◆ ◆
水は井戸から。共用だから好きなだけは使えない、か。
厨房だってコンロとか水道とかない。火を起こすのには火打石を使う。火がついたらそれを消えないように育てて、使い終わるまで維持しないといけない。
長く使えば使うほど薪だっている。
温かい食事をしないと元気が出ないのに、それを用意するだけでも一苦労だ。
冷蔵庫もないから買いだめもそんなにできない。
今は春の中ごろらしいのでこれからどんどん生物は足が速くなる。
石造りの建物はひんやりしていてその点では多少有利だけど、気をつけたほうがいいかもしれない。
日持ちしやすい根菜が残っていたのも納得。
「でもスープは便利だよね。水分もたくさん摂れるから」
味付けも問題。
野菜をいつもより多く使えるとして後は塩や胡椒で整えたい。もちろん調味料も一山いくらとはいかない高級品だ。
「ここは干し肉の出番じゃないかな」
肉を塩漬けにして乾燥してあるから入れて煮込めばいい味が出る。
ドニが「肉はいいよな!」って喜んだ。
「でもこれなんのお肉だろ?」
「牛じゃねえの?」
「グリフォンの肉かも」
そういうのも出回るんだ。
異世界ならではの食材が多いとなると前世知識はどこまで役に立つだろうか。でも野菜は今のところ普通だし、そんなに大きな差はないのかもしれない。
「みんなでご飯を食べたらまずは食堂と厨房を掃除しなきゃね」
「お前じゃ頼りないからな。男の説得は俺がやってやる」
「それは助かるよ、本当」
私は男の子に好かれないタイプだから。
◆ ◆ ◆
見捨てたはずのノアがオヴァさんを追い出して帰ってきた。
孤児院長に連れられて来たノアを見た時、私は本当にわけがわからなかった。
二日間閉じ込められていただけのはずなのに。
私ができなかったこと、やろうともしなかったこと、やりたくても方法を思いつかなかったことを、ノアはあっという間にやり遂げてしまった。
悔しい。
お前はくだらない人間だと本気で突きつけられたことが。それから、仲間を切り捨ててしまった自分の弱さも。
虫が良い話だとは思う。
でも、私はノアを抱きしめて謝った。何度も謝って、これからはできるだけこの子の力になろうと思った。
ノアがいなくなった時、私はみんなに責められた。
でも、あの子が帰ってきたこともあって一生懸命謝って許してもらえた。
オヴァさんがいなくなって孤児院は一気に変わった。
次の日の朝食は野菜たっぷりで、少しだけど塩漬けのお肉も入った。
みんなからは歓声が上がったし笑顔が生まれた。
今までにない解放感。
いつもよりしっかりお腹を膨らませた後は手分けして食堂と厨房の掃除。
ご飯を食べるところは清潔にしておくべきというノアの提案だ。
「本当、そういうことは頭が回るよな」
「うん。みんなの話を小さい頃から見たり聞いたりしてたからかも?」
孤児院には色んな子がいた。外のことを知っている子だって少なくない。
聞けば聞くほど惨めになる気がして私は苦手だったけど、ちゃんと聞いていればこうやって役に立つのか。
ノアはまだ五歳だから大した長さじゃないはずなのに。
それとも赤ん坊の頃のことも憶えてるんだろうか。うん、ノアならありえるかも。信じるかどうかは別として、唾が床にべちゃべちゃしてるのはほんとに嫌なのでみんな素直に掃除をした。
──オヴァさんの下着を雑巾にして。
二重の意味ですっきりした気持ちになりながら、とりあえず前よりずっとマシになった食堂・厨房を見渡す。
前よりご飯が美味しくなりそうだ。
掃除ってすごく気持ちいいかも。
「本当はみんな髪と身体を洗った方がいいんだけどね。あと服も」
「でも、そんなにたくさん水を使えないよ?」
「じゃあ、とりあえず足だけでも洗おう。あと水拭きもしたいな」
身体が汚いままだと掃除してもすぐにまた汚れてしまう。当たり前だけど、汚れたままが普通になっているとなかなか気づかない。
水の使い過ぎに気をつけながら毎日少しずつ髪や身体も洗っていくことにした。
「雨が降ってくれるといいんだけどなあ。それなら水をいっぱい使えるでしょ?」
「そうね。飲み水には使えないけど身体を洗ったり掃除ができるわ」
それから、翌日には大人の男の人が「孤児院長からの使い」を名乗ってやってきた。
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