孤児院 -ささやかな自由-
静かな瞳が私を観察する。
反応しようにも立ち上がる力もない。それどころか喉はからからで声が出るかどうか。
出だしで躓きかけたところで意外なところから助け船。
「オヴァ。お前、どういう管理をしているのかしら? 死にかけているじゃない」
孤児院長が「すぐに食事と水を与えなさい」と命令してくれたのだ。
「いいんですか、お嬢様?」
「別に情けをかけたわけじゃないわ。こんな状態じゃ話もできないもの」
用心棒の問いかけにそう答える彼女。
オヴァさんは「で、ですけど」と抵抗したものの「私の言うことが聞けないの?」と睨まれるとすぐに中へと引き返していった。
「それにしてもひどいにおい。もう少しどうにかならないのかしら」
「水くらい井戸から汲めるはずですが」
「女手一つとは言ってももう少しやりようがあるんじゃないですかね」
三人の文句を聞いているうちに「お、お待たせしやした」とご飯がやってくる。
スープの残りと二口ぶんくらいのチーズ、それから水。
私は水を少しずつ染みこませるように飲んでからスープを半分くらい食べて、それからチーズ、最後にスープを飲み干した。
身体にじんわり熱が生まれる。水分のおかげで話もできそうだ。
私は孤児院長に頭を下げる。
「ありがとうございます」
「あら、お礼が言えるのね? 思ったより言葉もしっかりしている」
「へえ。あたしの教育の成果でさあ」
「そうなのかしら?」
探るような視線と「余計なことを言うな」というプレッシャー。
状況が完全にはわからないけど……。
多分、オヴァさんは私をなぶり殺す許可を得るために孤児院長に連絡を取ったはず。そしてなんとか来てもらったものの孤児院長が「本人と会いたい」と言った。
狙い通りだ。
後は私に会おうと思った目的。彼女は中立なのか敵なのか味方なのか。交渉の余地はあるか。
悩みながらもここの答えははっきりと決まっていた。
「オヴァさんが私たちに勉強を教えてくれたことは一度もありません」
「っ!? このガキ、適当なことをぺらぺらと……!」
「黙りなさい」
用心棒が睨みをきかせている今、さすがのオヴァさんも自由には動けない。
少なくとも話が終わるまで私の無事は保証される。
「あなた、名前は?」
「ノアです」
「そう、ノア。オヴァからはお前に殺されるかもしれない、と聞いているんだけど」
「殺したいと思ったことはあります。見ての通りご飯も服も水もちゃんと与えてもらっていないので」
「ふざけるなよこの野郎! 殺してやる!」
「お嬢様が話している最中だ、邪魔をするな」
これは、思ったよりも話ができそうだ。
商人は打算が働かなければやっていけない。情よりも利益を優先するタイプなら話の持って行き方次第で味方につけられる。
話の通じないモンスターよりずっとやりやすい。
「お願いします、オヴァさんを辞めさせてください。このままじゃ子供が死んでお城からのお金も減ります」
「へえ、面白いわね。オヴァ? この子のほうがあなたより話がわかりそうよ?」
「て、適当言っているだけでさあ。そんなガキの言うことを真に受けないでくだせえ!」
「それはこの子の話次第かしら」
あっさりと言った孤児院長はまっすぐ私を見下ろして、
「でもね。私にオヴァを辞めさせる必要はないの」
「どうしてですか?」
「今のところ私は困っていないから」
お金が減るとしてもそれは今じゃない。
「これだけ言われればオヴァも少しは堪えるでしょう? お前たちが死なないように工夫するんじゃないかしら」
「人数を誤魔化す工夫かも」
「あら面白い。上手く行けば儲かりそうね」
なおも外されない視線は「もっと私を楽しませろ」と言っている。
彼女の損得勘定をいかに私側に傾けるか。
損と判断すれば私くらい簡単に殺す人だろうけど、ここはどんな手を使ってもひとまずの平穏を手に入れたい。
私はぎゅっと手を握り締める。
「どうしてオヴァさんを辞めさせたくないんですか?」
「新しく探すのは面倒だしお金もかかるもの」
やっぱりそうか。
「なら、新しい人はいりません」
付け入る隙はきっとそこにある。
「孤児院は私たちが直接運営します。オヴァさんがいなくなれば孤児院長様はお給料を払わなくて済むし、私たちもご飯を食べてもう少しマシな商品になります」
win-winな交渉。
オヴァさんは「なに言ってやがるこのガキ」と困惑を浮かべるも孤児院長の目には興味の色が宿る。「具体的には?」。
食いついてきた。
私は鼓動を抑えながらさらに説明。
掃除による衛生状態の改善。バランスの良い食事による健康の維持。設備の修繕を行うことで結果的に長もちさせて出費を抑える。
二十人以上の人手を遊ばせておくほうがもったいない。
売るにしても料理や掃除くらい覚えていたほうが高く売りやすいし、そもそも「死んだから補充する」なんてやっていたら育て直す手間ばかりかかってマイナスだ。
正直、オヴァさんに教育者の資質はない。
保護者としても最低。これなら私やお姉ちゃんがみんなの世話をするほうがずっといい。
孤児院長は「へえ」と笑みを浮かべて、
「計画も意外にしっかりしている。私に意見する度胸も利口さもある。……こんな小さなお嬢ちゃんがね」
「騙されちゃ駄目だ! こんな黒髪の不気味なガキ、さっさと殺しちまったほうが」
「切り捨てられる者がどちらかは決まったわ」
皆まで言う必要もない。
用心棒二人はオヴァさんへの対処を「拘束」から「無力化」に切り替えた。容赦なく振るわれる拳と蹴り。私たちにとってはあれだけ怖かった人だけど大人の男性にかかれば赤子の手をひねるようなもの。
「オヴァ。私は『上手くやりなさい』と言ったはずよ」
答えた孤児院長の声にはかけらの人情も含まれていなかった。
死なない程度に痛めつけられ、孤児院への不干渉を誓わされて放り出されるオヴァさんを私も黙ったまま見つめた。
胸に痛みはまるでなかった。
「た、助けてくれ! ノア、いい子だからこの方を説得──」
「馬鹿じゃないの。私たちをさんざんいじめておいて」
私は苦しんでいる人を積極的に身捨てた。
今の私と前世の私が決定的に乖離した瞬間だったかもしれない。
構わない。ここで生きていくためには日本人の感覚では潔癖すぎる。
追い出しの罪を私一人が背負うのならきっと、お姉ちゃんも。
くすくすと笑い声が聞こえて。
「ノア。あなたはどうやら『わかってる側』のようね」
「……そうでしょうか」
「黒い髪、私は嫌いじゃないわ。カラスみたいで」
「カラス、好きなんですか?」
「好きよ。頭のいい鳥だから」
でも、きっとこの人は邪魔になったカラスを根絶やしにできる。
「上手くやりなさい、ノア」
オヴァさんがかつてかけられたらしい言葉が私に投げかけられ、それから私たちは孤児院の中に入った。
相変わらず裸足で歩く環境じゃなかったけど、用心棒の片方が気を利かせて抱え上げてくれる。
「よっと。えらく軽いな嬢ちゃん」
「ありがとうございます、おじさん」
「お、おじさん!? 俺はまだ三十になってないんだが」
「十分おじさんじゃない。ああそうだ。オヴァを解雇したのはいいけど、大人が全く関わらないのも問題ね。あなた、ちょうどいいから二日に一度くらいここに顔を出しなさい」
「ええ、俺ですか!? いやまあ、お嬢様に付きっきりよりは気楽ですけど」
「言うじゃない。あなたの給料も減らしてやろうかしら」
漫才のような会話の後、廊下で孤児院長が呼びかけるとみんながぞろぞろと出てくる。
「ノア!?」
「お前生きてたのかよ!? 二日も閉じ込められてたんだぞ!?」
「……二日!?」
それはお腹がすくわけだ。あと一日そのままだったら確実に死んでた。
私の顔を見たお姉ちゃんは目に涙を浮かべて、それから気まずそうに顔を逸らした。
「聞きなさい、お前たち。オヴァは辞めさせたわ。これからは孤児院の管理費をお前たち自身で管理してもらう。掃除も洗濯も料理も全部自分でやること」
「オヴァさんが……?」
「辞めたって、まさかノア、お前がやったのか!?」
床に下ろされた私にドニが駆け寄ってくる。私はなんと言っていいか迷って苦笑だけを浮かべた。
曖昧な答えに変な顔をするドニだったけど、やがて笑って、
「すげえよお前、ほんとにあいつを追い出しちまうなんて!」
その声でようやくみんなも状況が飲み込めたのか、通路に明るい声が漏れ始めた。
みんな余裕がないのでそんなに大きな声は出なかったけど、これからもう少しまともな食事ができるようになればみんな元気になるはず。
私は勝ったんだ。
当たり前のささやかな自由を手に入れた。
去っていく孤児院長を外まで出て見送って──。
「本当に、良かった」
「お、おい! 大丈夫かよお前!?」
体力の限界を迎えて崩れ落ちる。
慌ててドニが抱き留めてくれたけど、このまま三日くらい寝たい。
「死ぬな! せっかくオヴァを追い出したのに死んでどうすんだよ!?」
「どいて、ドニ!」
男子って言っても七歳のドニから私を受け取ったのは十一歳の──アンお姉ちゃん。
何か言いたかったけどほんとに力が入らない。
せめて笑顔をだけは浮かべると、お姉ちゃんは感極まったように私を抱きしめた。
「ごめんなさい、ノア。……本当にごめんなさい」
許してもらえたんだろうか。
わからないけど詳しい話は後にしよう。
三日は大袈裟だけど少し眠りたい。
オヴァさんを追い出したって言ってもこれからが大変だ。起きたらさっそくいろいろやらないと──。
思いながら私は眠りに落ちて、久しぶりにぐっすりと眠った。
起きたら半日経っていて、私はベッドの上だった。
◇ ◇ ◇
「お前寝すぎ。ほんとにこのまま死ぬかと思ったんだからな」
あきれ顔のドニに言われ、まだ気まずそうなお姉ちゃんから「はい」とご飯を差し出された。
「残ってた食材で作ったの」
オヴァさんが作ったのと大差ないメニュー。
でも、怒られるんじゃないかとびくびくしなくていいご飯はとても美味しくて、自然と笑顔がこぼれた。
「で、これからどうすんだよ?」
「ん……。そうだね、とりあえず掃除かな」
私が寝かされていたのはオヴァさんの部屋だった。
急に追い出されたので私物はそのまま。妙にごちゃごちゃしていて品がないのがそれっぽい。
夜中なのでみんなは就寝中。
二人で看病(?)してくれていたらしい。お姉ちゃんはお仕事だったはずなのにお休みしたみたいだ。ありがとうとお礼を言うと、黙って私を抱きしめてくれる。
「あらためて言わせて。……ごめんなさい、ノア」
「いいよ。気にしないで」
「でも」
もうあのことはそんなに気にしてない。
だって、なんとかなったんだから。
「私が勝手にやったんだもん。お姉ちゃんは悪くないし、間違ってないよ。……私こそごめんなさい。お姉ちゃんの気持ち、なんにも考えてなかった」
自分勝手だったのはむしろ私のほうだ。
お姉ちゃんの感覚が普通だと思う。怒るなんて筋違いだし、人それぞれ大事なものがあるのは当たり前。
オヴァさんみたいに話の通じない人とは無理だけど、お姉ちゃんの気持ちはわかるし受け入れられる。……だから大丈夫。
そう言って安心してもらおうと思ったのに、腕の力はむしろ強くなった。
それを見ていたドニは呆れたような顔をして、
「お前、ほんとに変な奴だよな」
「……そうかな?」
「そうだよ。髪も変だし」
みんなして髪のことばっかり。
「でも、オヴァを追い出してくれてありがとな。これで少しは楽しくなるだろ」
「うん、そうだといいな」
私が変に見えるのは前世の感覚が混じっているのと世間知らずなせいだろう。
前者はどうしようもないけど後者は改善できる。
この世界のことはおいおい知っていくとして、これからどうするかの話。やっぱり、まずは掃除からだ。
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