孤児院 -覚悟の反抗-
「どうせ捕まるんなら後で仕返しされないくらい徹底的にやろうぜ」
「人殺しはさすがにまずいんじゃないかな……」
そうは言ってみたものの私もあの人相手ならさほど罪悪感はない。
前世の私なら殺人なんて絶対無理だった。でも今は、苦しむオヴァさんを想像するだけで楽しくなる。
積もり積もった恨みが原因か。
法律や社会環境に抑えられていただけで元から私は「こう」だったのか。
「なんだよ。お前はあいつにいなくなって欲しくないのか?」
「いなくなってほしいよ。……うん。あんなやつ別に死んでも私は悲しくない」
生きていくのに邪魔なモンスターを殺すのは当たり前のことだ。
恐ろしいことに、他の子も強くは反発してこなかった。
止めたほうがいいと言う子はいたけど、それは失敗した場合のことを考えたり後で捕まることを恐れているから。必ず成功してお咎めもない前提ならたぶんみんな今すぐ殺す。
日頃の行いはやっぱり大事だ。
こんな多くの子供たちから「殺されても仕方のない人間」だと思われているんだから。
「死体を隠しちゃえば私たちがやった証拠がなくなるかもね」
推理もののドラマや小説の知識から私はそんな風に話を続けた。
「それこそ穴を掘って埋めちゃうとか。ばらばらにして犬にでも食べさせるとか」
この国なら警察的な機関に大した力はないはず。
住民とはいえ下町に住むおばさん一人だ。捜査だってろくに行われないかもしれない。グリフォンなんてものがいるなら野生動物に噛み殺される人もいるだろうし。
孤児院長だって犯人捜しをするよりは新しい管理者を探すほうを選ぶんじゃないか。
暴力を振るうなら暴力を振るわれる覚悟をしなくちゃいけない。
歯止めのききづらい世界なら猶更だ。
怠ったのなら、殺されても文句は言えない。
「バレないなら、やってもいいかな」
誰かが呟いた。
「どうせ死ぬんなら先に殺したほうがマシだよな」
「ここだって牢屋と変わらないよ」
みんな我慢の限界だったんだろう。
というか、仕方なく我慢していただけ。抜け出せる手段があれば飛びつきたくなる。
いっそオヴァさんを殺してしまおうという雰囲気はどんどん広がっていって、
「やめて!」
お姉ちゃんの悲鳴が空気をぶち壊した。
◆ ◆ ◆
私はもう我慢の限界だった。
ノアの始めたオヴァさんを追い出す話。それはたった何日かの間に「オヴァさんを殺す話」に変わって、みんなまでやろうと言い始めてしまった。
このままじゃ本当にみんなでオヴァさんを殺すことになってしまう。
そんなの私は嫌だ。
「……やめようよ。今より悪くなるくらいなら今のままのほうがいいよ」
せっかく今まで我慢してきたのに。
そんなふうに無理やり終わらせられるのなら、どうして今なの? もっと私が子供の頃に、他の誰かが先導してくれればよかったのに。
今じゃきっと年長の私がとどめを刺すことになる。
言うことだけは一人前のノアなんて荒事じゃなんの役にも立たない。小さいし力も体力もないんだから。
お願いだから何もしないで。
あと三ヶ月で私は逃げられる。
逃げられるんだから無理に解決なんかしなくていい。
だからこれ以上私を責めないで。
『お姉ちゃんはどうして今まで反抗しなかったの?』
聞いたことのないノアの声が現実のように頭に響く。
乱れる呼吸の中で必死に息を吸う。
顔を上げるとみんなが私を見ていた。
信じられないものを見るような目。どうして? 私のほうが正しいことを言っているはずなのに。
私は何か言い訳を口にしようとして、
──靴音。
孤児院で靴を履いているのはオヴァさんだけだ。
私たちはみんな裸足で歩かされている。それにこのどすどすという足音はよく知っている。あの人以外にありえない。
みんなが青ざめる中、私は何故か「助かった」と感じた。
現実を思い知ればみんな夢から覚める。
本物のオヴァさんは簡単に殺されてなんかくれないんだ。
「どうしたんだい、アン」
入ってきたオヴァさんは当然のように私の名前を呼んだ。
「何もねえよ。なあアン姉?」
代わりに答えようとするドニ。
彼が他の子に目配せしているのは「動くなよ」という意味だろうか。さすがにこの場でいきなり殴りかかったりする様子はない。よかった。
でも、状況は良くなってない。
オヴァさんは私の悲鳴を聞きつけて来たはず。「なんでもありません」と答えてもきっと信用してくれない。そうなったら怒られるのは私だ。
彼女がふんと鼻を鳴らす。
短く刈ったちぢれ髪に荒れた肌。ぎょろりとした目。太っているせいで私の何倍も大きく見えて、この人を殺すなんて全員束になっても無理だと思える。
私はこの人が怖い。苦手だ。
反省室送りかも。どうして? 私は何も悪いことをしていないのに。怒られなきゃいけないのはむしろ──。
私は引き寄せられるようにノアを見た。
孤児院ではみんな兄妹みたいなもの。歳の離れた妹のように考えていたその子は、いつもの何もかもを見透かしたような目で私を見返してきた。
ああ。
あとたった三ヶ月なのに。
鼓動で苦しい胸をぎゅっと押さえながら私はオヴァさんを見上げた。
「本当に何もなかったのかい?」
震える唇から深く息を吐き出す。
「ノアがオヴァさんを殺す計画を練っていたので叱りました」
「アン姉!?」
「へえ?」
部屋の空気が凍る。視線がノアを向いて呼吸が少し楽になる。
顔を伏せた私はオヴァさんの足音と「やっ!?」というノアの悲鳴、そして小さな身体が引きずられていく音を聞いた。
「来な、ノア。反省室だ」
「アン姉。……ノア、殺されるかもしれないぞ!?」
焦ったようなドニの声。
でも、だったら他にどうすればよかったんだろう。
「ノアが悪いんじゃない。みんなをそそのかして変なことさせようとして。一度反省させないと」
「悪いのはあのババアだろ!? 殺されるくらいならぶっ殺した方がましだ!」
「なら、あなたたちだけでやってよ!」
叫んで黙らせると私はいつものノアのように蹲った。
私は悪くない。
心の中でそう唱え続ける。
頭がいいのに利口じゃないからこういうことになるんだ。
諦めていれば無事にやり過ごせるのに。
「ノアの馬鹿」
私は必死で、鋭い胸の痛みを無視し続けた。
◆ ◆ ◆
結構な距離を引きずられたと思う。
途中で部屋に入って階段を下りて、さらに通路を進んだ先にある部屋に放り込まれる。
オヴァさんが手にした蝋燭の明かりがないと何も見えない。ぼんやりと浮かび上がった彼女の顔は怒りと喜びでわけのわからないことになっていた。
「あたしを辞めさせようなんて、大層なことを考えるじゃないか? ええ!?」
蹴飛ばされた私は床を転がって背中から壁に叩きつけられる。
ろくに食べていない小さな身体じゃ身体を守ることもできない。
向こうだって運動不足の中年だけど私の骨くらい簡単に折れる。
──上手くいかないなあ。
心の底から後悔。
私は前世の記憶で恵まれた環境を知ってる。でも、ここの人たちは違う。今の孤児院が当たり前で、ここより下に行くのを怖がってる。
ドニだって「ぶっ殺そう」なんて言ってても自分が殺される側になったら動けなくなるだろう。私だって人を殺した経験どころか殴り合いをした経験もない。
怖い。
束になれば殺せたかもしれないけど、私一人でこの人を殺せるわけがない。それに、お姉ちゃんにも拒絶されてしまった。
今より悪くなるくらいなら今のままのほうがいい。
私をフった男の言葉をふと思い出す。
『女の癖に可愛くないんだよお前は。利口ぶりやがって』
自分で言うことでもないけど、私は小さい頃から成績優秀だった。
勉強は好きだったしそれが取り柄だと思っていた。
彼もそんな私を褒めてくれたので、調子に乗ってお金のことや生活のことでなにかとアドバイスをしていた。
内容が間違っていたとは思わない。彼は前よりもお金が貯まるようになったし健康的にもなっていたと思う。でも、本人としてはそれが嫌だったらしい。
頭が良いのをアピールするだけで人の気持ちなんかわかってない。そう言われて捨てられた。
あの時から私はなにも変わってない。
私なんて何もしないほうがいいのかもしれない。
正しさだけじゃ人の気持ちは動かせない。
理屈じゃご飯は食べられない。
「なんとか言ってみなよ。ええ?」
怒りに燃える視線に心が折れそうになる。
でも、同時に湧きあがるような思いもあった。
──ふざけるな。
彼には悪いことをした。お姉ちゃんも傷つけてしまった。私は自分勝手で頭でっかちなただの小娘だ。
でも、だからってオヴァさんみたいな悪人にいいようにされたくはない。
我が儘でも自分勝手でも、単なる小娘の妄想でも、私は良かれと思ってやっている! こんな感情だけで動く化け物みたいな奴とは違う!
ほとんどあてつけだ。
それでも構わない。
このままでいるなんて嫌だし、ここで終わりたくもない。どうせ殺されるなら好きなようにやってもいいじゃないか。
私はよろよろと身を起こすとオヴァさんを見上げた。
「私を殺したら孤児院のお金が減るんしょ? オヴァさんが怒られるんじゃないの?」
諦めたくない。
この世界のこともろくに知らないけど、孤児院の環境は絶対間違ってる。
誰かのためにならなくてもいい。私は、私のために戦う。
お姉ちゃんやみんなに頼ろうとしたのがそもそも間違いだった。
危険なことなら自分でやらなきゃ。矢面に立たない人間が信用されるわけがない。
殺されるかもしれない。
構わない。どうせ一回死んでるんだし、失敗したら自分で責任を取ればいい。今の私には命以外に賭けられるものがなにもない。
それに、これはある意味チャンスだ。オヴァさんと二人きりで話ができることなんてそうそうない。
私にできるのは知ったふうな口を利くことだけ。
だったら、せめて小賢しく憎まれ口を叩く。
「はっ。転んで頭を打って死んだとでも言えばいいさ」
向こうは鼻で笑って突っぱねるけど、
「人が減るのは変わらないじゃない。そういうの、監督不行き届きって言わない?」
「……生意気な口を!」
オヴァさんが頬をひきつらせた。
足が持ち上げられて、蹴られるかと思ったらギリギリで止まる。
賭けには勝った。
彼女は雇われの身。孤児院の子供相手には王様みたいに振る舞えても孤児院長のことは怖いはず。不興を買って解雇されたら運営費のピンハネだってできなくなる。
怒りで我を忘れて暴挙に出る可能性もあったけど、どうやら思いとどまってくれたらしい。
「いいさ」
一転、彼女が浮かべたのは「いいことを思いついた」という表情。
私たちのことなんかストレス解消の道具くらいにしか思っていないだろう中年おばさんは私を上から睨みつけて、
「なら、院長直々に判断してもらおうじゃないさ。あんたみたいなゴミがここに必要かどうか」
彼女はきっと、それこそが私の狙いだとは思わなかっただろう。
本当なら年に一度あるかないかのチャンス。
孤児院長と直接話をする機会。それを他でもないオヴァさんが作ってくれるかもしれない。
私は喜びをなんとか押し殺しながら黙りこんだ。
孤児院におけるかりそめの主は大きく響く舌打ちをすると荒々しく反省室をドアを閉じた。
完全な暗闇に包まれた空間で私はほっと息を吐いて。
──さあ、どうなるか。
話を聞く限り打算的な性格らしい孤児院長は、あまり信用できない部下の話を鵜呑みにするだろうか。
それとも「せっかくだから自分の目で見て判断しよう」と思うか。
命がけで殴りかかるよりはずっと分の言い賭けになったはずだ。
そうして、長いようで短いような時間が流れて。
◇ ◇ ◇
「出な」
閉じ込められてどのくらい経っただろう。
数時間? 半日? 一日以上? わかるのは空腹がとっくに限界を迎えていることだけだった。気絶寸前の状態は逆に余計なことを考えなくてすんで助かった。
放置されている間は何度も後悔した。
このまま死ぬんじゃないかと思ったし、誰かが助けてくれないかと妄想もした。いざそうなってみると覚悟を決めたつもりでもなかなか格好はつかない。
でも、ギリギリ間に合った。
「いいかい? 余計なことを言うんじゃないよ。さもないとどうなるか」
明るいところに目が慣れないうえ起き上がる気力もない私をオヴァさんが無理やり抱え上げてくれる。
この期に及んで脅しと共に連れていかれたのは意外にも孤児院の入り口。
「遅かったのね」
「へえ、すみません。ガキがぐずったもので」
「その子が? あら、死にかけじゃない」
地面に下ろされ、立つ気力もないままに見上げる。
女がいた。
二十代中盤くらいか。清潔でつぎはぎのない服を着て、使用人か用心棒らしき男を二人従えている。ふん、と鼻で笑うように私を見る姿は好意的に見えないけど、無駄に攻撃的にも見えない。……それとも単に住む世界が違いすぎて攻撃対象とも見なしてないだけか。
彼女が孤児院長。
思ったより若かったような、むしろ歳を取っていたような。
死ぬのを待つには若すぎるし言いくるめるには大人すぎる。歳で言ったら前世の私より上だ。
やりづらい。
やりづらいけど、この人を説得できなかったら死ぬのは私だ。
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